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心の "対処能力" と "容量タンク"

最後の手段

9/10(金曜日)の深夜... 久しぶりに、自傷行為を今すぐしたい…!他の方法でも落ち着けるはずだけど、1人ではすることが出来ない・・・ と感じました。
私の中で「最後の手段」である方法を取りたいと思いました。
自傷行為(今回の場合はリスカ)は、私に安心感を感じさせてくれてくれます。
ふわっとして、ぼーっとして、気づいたら赤色に染まっている朝・・・ そんな毎日の繰り返し・・・ということも過去にはありました。

自傷行為をしたい。でもそれは同時に、縫合の必要があるということ(感覚過敏の私は包帯が物凄く不快)。周りを心配させてしまうこと。"自傷行為をしないで耐えられている私" (他の方法・・・ゲームや音楽や読書などで対処すること) が評価されていることも分かっています。

だから私は、思い立って すぐに自傷行為をする ということは選びませんでした。
彼に泣きながらLINEをして、通話に付き合ってもらいました。話したいのに言葉にならなくて、たくさん泣いて・・・ でも少しずつ話せるようになって、落ち着いてきて、通話が終わる頃には笑えるようになりました。

心の "対処能力" と "容量タンク"

それから数日、ゆっくり考えてみて思ったことがあります。

最近、色々な出来事がありました。選択しないといけないことや、辛いことや、それを1人で抱えたこともあって・・・  色々な事や感情が積み重なって、私の "心の対処能力" を超えたのだと思いました。

私は、人にはそれぞれ、心のタンク(容量)があるのかなと思っています。
それは、この事に関しては大きめのタンク、この事に関しては小さめのタンク というように分かれていたりすると思うし、大きいタンクでも沢山入っていれば、追加で入れられる量は少なくなると思います。もちろん全体として見た場合に、どれくらいの量が入っているのかということも関係あると思います。また、他人事であればたくさん入る。などのように、自分事か他人事かによっても変わってくるのだと思います。

心のタンク = 対処能力 とも考えられるかもしれません。
心のタンクの容量がある=余裕が持てる=対処能力が上がる
そういう事もあるのかなぁと考えています。
自己肯定感との関係もありそうですね...(長くなりすぎるので、またいつか掘り下げたいです...!)

私の心のタンク

私は 自分事に関しての、全体的な心のタンクが 常に多く入っている状態 (追加で入れられる量=余裕 が少ない) だと自覚しています。それは、私が虐待を受けていたからだと思います。心に大きな傷があると、タンクの容量が少なかったり、追加で入る量が少なくなりやすいのだと思います。

可変性があるということ

私は、実感を持って気づきました。

心のタンクに入っているものは減らすことが出来るし、容量は大きくすることが出来るのだと。

そして、私が興味深いなぁ と思うのは、

心のタンクを他人に差し出す ということは、結果として、自分のタンクの容量を増やせる可能性もあると思います。「助けるつもりが助けられていた」 とよく聞くのは、そういうことなのかな と考えました。

だから、心のタンクが溢れそうで辛くなった時には、誰かの力(タンク)を借りるのも良いと思います。もしかしたら、自分では余裕が無くて、気がつかなかった"感情の対処方法" に気づくことが出来るかもしれません。


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