見出し画像

復職したけれど… 〜その8〜 2021年10月

2021年1月16日に「適応障害」と診断され、休職。
結局、その後一度も出勤することなく、2021年2月28日付で退職。
3月1日から、以前いた職場に事務員として復職(転職)しました。
しかし、これが失敗の始まりでした…。
その1その2その3その4その5その6その7からの続きです。

入院前の日々

時々睡眠薬を服用するようになりました。
日々、気持ちに波があります。
この時点で、症状としては軽いけど適応障害が治った感じはありませんでした。
だからといって特別配慮していただく必要もないし、ましてや腫れ物に触るようにはされたくない…。
ただ、小さなこと何でもないようなことで傷つくというのだけは、理解してほしいなと思っていました。
まあ、それを理解出来ない人間っていうのは、私みたいなのを「弱い」「甘えてる」と一蹴しちゃうんだろうな…とも。

自分はこの職場では、いてもいなくても同じ人間だと思っていました。
仕事、あんまりチャッチャとやると後日暇になりそうだから、時々セーブするんです。
ホント、私のやっている仕事なんて、週2日も出勤すれば十分なんです。
だから、今以上シフト増やしてもらえる見込みはありません。
収入が少ないのもストレスの一因でしたので、手術後は就活しようとずっと考えていました。

この7ヶ月ちょっとは、本当にお金と時間の無駄でした…。
傷病手当もらうのは籍を置いておかなきゃいけないから、さすがに迷惑で出来ませんが…。
でも、雇用保険の受給をすれば良かったです。
だって、今のパート代よりおそらく雇用保険受給額の方が金額高いんですよ。
すぐには決まらなかったかもしれないけれど、その分数ヶ月休めたわけで…。
今となっては、私のこと誰も知らない職場に行った方が、ここまで拗らせることなく寛解した気もします。
まあ、後悔しても仕方ないから、職探し頑張る!とわりと前向き(?)な自分がいました。

入院&手術

自身の誕生日に入院しました。
詳しい話は、下記をどうぞ…。


入院中、意味不明な悪夢を見ました。
どうしてそうなったかよくわからないけど父親と喧嘩して、その父親に向かって「私なんて存在しなきゃ良かったんだよね?」と喰ってかかっていました。
そんな私を、娘が泣きながら抱きしめてくれていました…。
これは適応障害とは関係なく、おそらく自分自身の育ちの問題…。
そして、同じ環境で育ってきても、実弟は少しも持ってない感情だと思います。
自分の存在が、人様(両親)を苦しめてきた…。
実はそんな思いが少しばかりあるのです。
意味不明なのが、父はもうヨタついた爺さん(76歳)なのに夢の中ではもっと若くて、私も若かった。
なのに娘は、今の娘でした。
さすが夢。年代設定バラバラでした…。
ちなみに、父とは特段仲が悪いわけではありません(良くもないけど)。

入院中は、とにかく暇でした。
なので、意味不明な夢を見たり、いろいろと自身について考えたりすることが多かったと思います。
常に誰かに認められたい、必要とされたい人生だったかもしれません。
その欲求を、この年齢になっても未だに満たしていないんです。
職場ではいてもいなくても同じ、透明人間…。
メチャクチャ必要とされなくても、このご時世で「落ち着いたら会いたいね」って社交辞令じゃなくて本気で思ってくれる人がいたら、幸せだなと思いました…。


10月31日に退院しましたが、自宅療養ということで仕事はもうしばらく休みます。

   次回に続きます…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?