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文明xTransformation:人と自然の相互関係を屋久島から考える 〜進化の観点から文明の再考〜

 今年屋久島は世界自然遺産登録30周年を迎えます。九州で最も高い山を有する標高差から生まれる生物の多様性。そして雨が降り、森から川、そして海にまでつながる、水のめぐりを肌で感じれられる自然の近さ。人の暮らしと自然環境との関係性が問われている今、改めて屋久島という島の重要性が増しているように思います。
 今年の文明セッションは、そんな屋久島に関係の深い3名で行います。若かりし頃は屋久島で猿の研究に明け暮れていたと仰る、ゴリラ(人類進化)の研究で著名な山極先生。日本のファシリテーターの草分け的存在であり、屋久島には40年前から通う中野民夫さん。そして屋久島で長らく宿とガイド業を営みながら、自然と人との関わりをみつめ学び続けている今村祐樹さん。薩摩会議は、まさに「これからの時代の文明の在り方を問う」場ですが、それを導く貴重なセッションとなりました。

山極 壽一
総合地球環境学研究所 所長
1952年東京都生まれ。京都大学理学部卒、同大学院理学研究科博士後期課程単位取得退学。理学博士。ルワンダ共和国カリソケ研究センター客員研究員、日本モンキーセンター研究員、京都大学霊長類研究所助手、京都大学大学院理学研究科助教授、同教授、同研究科長・理学部長を経て、2020年まで第26代京都大学総長。人類進化論専攻。屋久島で野生ニホンザル、アフリカ各地で野生ゴリラの社会生態学的研究に従事。日本霊長類学会会長、国際霊長類学会会長、日本学術会議会長、総合科学技術・イノベーション会議議員を歴任。南方熊楠賞、アカデミア賞 受賞。

中野 民夫
屋久島 本然庵 主宰
ワークショップ・ファシリテーター
東京工業大学 名誉教授
1957年東京生まれ。学生時代は海外への一人旅。株式会社博報堂に就職、1990年前後に休職・留学しCIISで組織開発・変革を学び、ワークショップに出会う。復職後、人と人、自然、自分自身がつながり直すワークショップや、参加型の場づくりの技法ファシリテーション講座を実践。2012年に同志社大学へ、2015年から東工大のリベラルーアーツ研究教育院で参加型授業を展開し、2023年3月に定年退職。屋久島に本然庵という拠点を創り、マインドフル・リトリートなどを実施。歌や絵を楽しむ。主著に『ワークショップ』『学び合う場のつくり方』など。

今村 祐樹
SUMU YAKUSHIMA
合同会社モスガイドクラブ 代表
大阪府吹田市生まれ。大学卒業後、就職した仕事をやめ「自然の中で生きる力を身につけよう」と23歳の時屋久島に移住。かつて「山10日、海10日、里10日」と形容された屋久島の森川海と一体であった流域コミュニティの再生を通して「いつでもどこでもおいしい水が飲める地球をまず屋久島から実現する」を目標に様々なプロジェクトに取り組む。暮らしたくなる島の魅力づくりとともに人が訪れば訪れるほど島の自然がますます美しくなっていくような仕組みづくりに奔走している。

中野:私と今村さんの感じていること、考えていることについて自己紹介と共にお話しました。それではここから山極先生のセッション内講演ということでお願いいたします。

山極:ありがとうございます。今日は文明の話です。私は皆さんよりも一時代前の人間で、多分皆さんとは少し違う経験をしています。それは言葉を持たないサルやゴリラの群れの中に入っていって、彼らと1日中暮らすということをやってきたということです。
 それから、お二人の話の中にも出てきた屋久島には原生林があります。アフリカにも熱帯雨林と原生林がある。そこで暮らした経験があります。テント生活が主だったのですけど、そういう中から、地球というもの、それから文化というもの、文明というものを考えてきたという経験があるので、そこからちょっと話をしたいなと思います。

人新世の今、地球が危ない

 文明に繋がる話として人新世(アントロポシーン)について考えてみます。始まりは産業革命以降かあるいは1950年代以降といろいろ意見が分かれているけれども、まあその辺りということです。この約100年間で、人口は4倍になっているんです。この50年間で約2倍になっています。昨年80億人を超えました。
 人間も生物なので生物の持っているロジスティクス曲線という生息数のグラフに従って人口もS字カーブを描くはずなんです。結局食べるものが限界に達するので、いくら指数関数的に人口が伸びたとしても普通は頭打ちになる。
 しかし実際の数字を見ると頭打ちになっていないんですよ。頭打ちにならないというのは、おそらく産業革命でエネルギー革命があって、食糧生産を倍増できるようになった。そのおかげなんですね。その結果として地球はえらいことになっちゃったわけです。
 しかも人間だけじゃないんですね。家畜の数はそれぞれ10億を超えてます。野生動物の数と比べると4桁違う。地球上の哺乳類の9割以上が人間と家畜です。
 人と家畜を食べさせるための畑と牧草地が地球の陸地の4割を超えたんですね。野生動物の住んでいる森林というのはもう3割しか残っていない、これは人工林を含めてですから、相当えらいことなっている。

 21世紀になってから提唱されたプラネタリーバウンダリーという地球の限界を表す指標があります。生物多様性とかリンと窒素の循環とか、土地利用とか、気候変動とかそういうのですが、そのうちの4つまでがもう限界値を超えたと言われ始めました。だから、人間が危ないだけじゃなくて地球が危ないということですね。

文明の前にある三つの自由

 我々はこの3年間、新型コロナウイルスによるパンデミックを経験しました。地球は人が支配してる惑星じゃなくて、目に見えない細菌やウイルスによって支配されている惑星だということを思い知らされた。
 今までやってきたような自由な移動とか対面での会話とか食事での団欒とか、共同保育、対面事業、芸術活動、スポーツ、コンサートというものが、この3年間、抑制されてなかなかできなくなりましたよね。これは人間にとって、とてもとてもつらい経験だったに違いない。
 その影響がこれからじわじわ出てくると思うんですよ。というのはね。私が研究してきたゴリラと人間を比べると、人間ってのは三つの自由を駆使して社会を作ってきたんです。移動する自由、集まる自由、対話する自由です。
 ゴリラって年間せいぜい20平方キロメートルぐらいのエリア内でしか動かないんです。そして個体は一つのグループにしか所属できない。人間はいろんな集団を渡り歩いて暮らしていますよね。皆さんもいろんな集団に属していると思います。それができるのは人間だけです。
 そして言葉を持っている。対話ができる。これは人間が文明を作り出す前に獲得した大きな能力なんです。社会の根本はこの三つの自由で作られている。だから社会は文明によって作られてるんじゃないんです。それ以前に、人間的な社会、暮らしというものが先にできていたはずなんですね。

SDGsには「文化」のゴールが無い。そして地球環境問題は人間の文化の問題である

 今、SDGsという世界がまとまって持続的な開発目標を掲げて、サステナブルな地球を作りましょうと協力し合ってますよね。17のゴールと169のターゲットがある。
 これはすごく良いことだと思うんだけど、私はちょっと不満があるんです。というのは、人類が生きる上で不可欠なのにこのSDGsのゴールに含まれないものがあるんですよ。それが文化なんですね。
 なぜ文化が含まれていないかというと、文化って数値化されないんです。文化の生産物はいっぱいありますよ。このパソコンだってそうだし椅子だってそうだし、家だってみんな文化の産物です。
 しかし文化というのは人間の身体の中に埋もれている価値観なんです。だから、それは外出しになったときに表現できるけれども、その価値観自体は数値化できない。だから、数値化できないってことは目標にならないってことですよね。
 しかも、文化は土地土地によってその価値は違ってくるんです。目に見えないものです。でも、文化の生産物は我々の目の前にたくさんあるわけです。人間の衣食住というのは文化の産物ですよ。
 さらに文化というのは自然と人間というものをきちんと繋ぎ合わせる装置ですから、自然とかけ離れているものではないはずです。そこをもう一度考えなくちゃいけないんじゃないかということで創設されたのが、私が今所長をしてる総合地球環境学研究所(以下:地球研)です。
 初代所長は日髙敏隆さんです。この方は、動物行動学を日本に輸入した方で日本動物行動学会を創立された方です。元々は昆虫研究者だったんだけど、彼が言ったことは、「地球環境問題はことばの最も広い意味における人間の『文化』の問題である」。科学技術の問題じゃない、文化の問題だって言ったわけですね。

文化は多様で個性的なもの、接触しなければ創造性が生まれない

 2001年に地球研が創立されたのですけど、同じ年にユネスコのパリ総会で「文化的多様性に関する世界宣言」というのが採択されているんです。
 ほとんどの方はご存知ないと思うんですけれど、第1条に「生物的多様性が自然にとって必要であるのと同様に、文化的多様性は、交流、革新、創造の源として、人類に必要なものである。」と書いてあるんです。文化は個性的でなくてはいけないと書いてある。
 第2条は、時間の関係で飛ばしますけど、第7条「創造は、文化的伝統の上に成し遂げられるものであるが、同時に他の複数の文化との接触により、開花するものである。」と書いてあります。
 文化は多様で個性的なものでなければいけないけれど、それが接触しなければ創造性が生まれないって書いてあるんですね。交流が必要なんです。これが今日のテーマなんです。
 我々地球研は第4期に入りましたが、そこで薩摩会議と同じテーマを掲げています。それは、「自然文化複合による現代文明の再構築」です。文明を再構築せなあかんのちゃうかってことですね。これまでの自然と文化の複合的な関係の分析成果を、今後は文化の再編という形で活かしつつ、地球規模の環境課題に地域から地球スケールで応える。これまでの地球環境学と人文学、自然科学双方では示されなかった大きなブレークスルーを目指す。こういうことを目指しています。

本来、文化は地域を離れられない

 文化と文明、この2つを同じと考えてらっしゃる方がいるかもしれないけど違うんです。文化っていうのは、政治的権力も組織もいらないんです。権威は必要です。だけど政治的に動く必要は一切ない。
 そして、さっきの第1条にあるように文化的多様性は自然の多様性の上に乗っているから、地域を離れられないんですよ。だから広がっていかない。
 一方、文明はシヴィライゼーションという英語に現れるように都市化なんです。これは政治権力と政治組織によってどんどん広げていくものです。だから過去に4大文明があったように、文明は大きな権力によって作られたものなのです。でも文化は違うんです。地域に根ざしたもので、権力は要らない
 ボトムアップで広がっていくものであり、広がり方には限界がある。そういうものなのですね。ところが今、世界で起こりつつあることは何かというと、文化の無国籍化なんです。
 さっき言ったように、プラネタリーバウンダリーの4つの指標が超えつつあるということは地球が閉じちゃっているという状態。何か行動すると天に唾することになるということになるので閉塞感に我々は満ちているわけです。

グローバリゼーションによる一元化が貧富の格差を生む

 でも一方で、情報通信機器によって世界は開かれています。地球上のあらゆる出来事が耳に入ってきて目にできるわけでしょ。世界が開かれてるっていう感覚と、地球は閉じてるって感覚を両方ねじれながらわたしたちは持っているってことです。
 これが現代の意識だと思います。そしてその中で、地域に根ざしていた文化がGAFAによって代表されるようなIT企業によってどんどんプラットフォームの上に吸い上げられて、無国籍化してるんです。文化が地域から消えようとしているんです。
 同じような服を着て同じような家に住み、同じようなものを食べ、そして同じような言葉を喋る。そういうのがグローバルな科学技術によって先導されている、それが今の時代です。つまり、一元化する。
 その一元化した世の中で格差は増大している。当たり前ですよね。文化の中で価値観っていうのは地域に根付いたものでした。ところが、世界中一元的な価値観に染まっちゃえば、それは貧しい者が貧しくなっちゃうわけですよ。地域によって貧しい、あるいは富んでいるという価値観は違うはずだった。
 アフリカの価値観は違う、日本の価値観も違う、鹿児島の価値観と北海道の価値観は違うはずですよね。それが一元化してしまえば、物を持たないものは貧しいというレッテルを貼られてしまうわけです。そういうふうになりつつある。
 その中で、食糧不足に悩んでいる人、あるいは戦争で虐げられてる人たちが元の土地を捨てて大移動を始めてるわけですね。難民となって。それが今世界中で起こっていることです。

信用社会から契約社会へ

 そして世界中で信用社会から契約社会への移行が進んでいます。信用社会って何かと言ったら人を信用するってことですよね。
 人に様々なことを期待して、助け合うという社会。それを日本も他の国々も最近まで作ってきたはずなのに、今、契約社会になってるんです。契約社会というのは皆さんがたくさん持ってるカードが象徴です。そのカードの先に人はいないんです。
 システムと制度があるだけです。人々はバラバラになって、お互い信用し合うよりも、制度やシステムを信用して、そこにお金を投じてるわけですね。そうするとシステムが壊れたら、いっぺんに何もかもなくなっちゃうわけですね。
 信用社会であれば、人が死んでも、その人が持っているネットワークがまた自分の方にやってくる。レジリエントさを信用社会は持っていたはずです。だけど今は契約社会です。それは、人と人とが付き合うのが面倒くさい、煩わしいという世の中になっちゃったからですね。
 その流れで自己実現、自己責任ということが、とにかく言われるようになってしまったのです。

人間に欠かせない3つ縁と社交

 科学技術は、個人の能力を拡大するように仕掛けてきます。それに乗っちゃったわけですね。その結果、三つの縁がどんどん失われようとしている。血縁、地縁、社縁です。ここにはベンチャー企業をやっている方が多いと思うけれども、今や終身雇用を目指して会社に就職する若い世代は少なくなりました。新入社員が3年以内に離職する率は3割以上です。年功序列もだんだんなくなってジョブ型雇用が増えました。そういう中で非正規雇用が47%もあるんですよ。
 だから一生を一つの会社に奉職しようなんて人はどんどん減っていくと思う。だけど人間というのは、縁を作らなければ生きられない。やっぱり、いろんな人に信用していただきたいし、あるいは承認願望というものがあるから、1人では生きられないんですよ。
 だから、縁作りをしたい。縁がなければ、縁ができるようなところに行きますよね。それがスポーツであり、コンサートであり、お祭りなんです。イベントなんです。ここ(薩摩会議)もそうですよね。だけど、その縁というのは長続きしないかもしれない。
 だから今、新たな社交による文化の再構築が求められているのです。これが多分、文化による文明の再構築なんですよ。文明というグローバルなプラットフォームからトップダウンでくだされる様々な誘惑的な指標ではなく、地域から起こしていく文化に染まった社交、あるいは新しい文化の中で人々の縁をしっかり作っていくことが今求められているんだと思います。
 社交とは何か?この社交って英語に訳せないんです。ミーティングじゃないでしょ。ソーシャルインタラクションでもないでしょう。社交というのはすごく日本的な言葉なんです。これは何かっていうことを、日本が誇る劇作家の山崎正和さんが2003年に『社交する人間ーホモ・ソシアビリス』という本の中で定義しています。
 「人間のあらゆる欲望を楽天的に充足しつつ、しかしその充足の方法のなかに仕掛け(礼儀作法)を設け、それによって満足を暴走から守ろうという試みである」
 時代時代によって社交のあり方は違う。でも社交によって様々な人々の、社会の価値観が変わってきたわけですよね。
 「社交の中では人々は互いに中間的な距離を保ち、つかず離れずの関係を維持することが期待されている。参加者は自らの表情も発言も内面の感情そのものも、その起伏に合わせて協力してリズムを盛り上げねばならない。」
 「社交は行動に複雑な手続きを設定し正確にしかも自然らしく、それを踏んでいくことを要求する。」
 最後の結論がいいんですよ。「行動の全体はまるで音楽のように一つの緊張感で貫く。」社交は言葉じゃないんです。音楽的なリズムなんです。

移動社会は縁を薄くさせ、シェアを増加させる

 今、私たちは第二のノマド時代を迎えていると思います。さっき言ったように3つの縁が薄くなって、逆に人々が動くんです。今は移動手段も豊富で動くことができる時代です。 情報社会は人の移動を容易にさせます。昔は、自分が行くところの情報をほとんど得られなかったわけでしょ。相手の所に行ってみて、いろいろ聞き回るしかなかった。でも今はあらかじめ情報が全部手に入ります。だから簡単に行き来できる。
 移動の増加は、人の縁を薄くさせます。まず情報の遅延がなくなります。これからは緩やかな縁で繋がれる時代が来るのかもしれないですね。そして、移動社会は、所有を減らし、シェアを増加させる

移動が増えてくるとシェア社会になる

 実は1万2000年前に農耕牧畜が始まって、そこから文明という方向に進んでいきました。それ以前は、狩猟採集社会です。狩猟採集社会っていうのは、定住をしない。
 その土地の自然の恵みが減っていけば移動していけばいいんですよ。そして土地というのはコモンズだったんです。共有財ですね。どういう集団が来て使っても、それはそれぞれの約束事はあったかもしれないけど、永久的にその集団の権利としては認められなかったわけです。狩猟採集社会とはそういう社会です。
 しかもモノはシェアが原則だから、平等な関係が保たれている。だから、移動が増えれば、今の現代社会だって、定住性がなくなって、複数居住地ができるかもしれない。実際中野さんは複数居住してますよね。今村さんだって大阪に帰れば複数居住。僕だってそうですよ。アフリカに行ったら2地域ぐらいいつも歓迎してくれる場所があって、そこは長年付き合ってるから、会えば、昨日会ったように付き合ってくれるような人たちがいる。そういう地域を皆さんも持つようになるかもしれない。
 既にこの会場にいる方々もそういう複数居住をしてる方が多いんじゃないかと思います。そうなると所有が減っていくんですよ。だって物持っても移動できないでしょ。持って歩けないじゃないですか。しかも使わないのに自分の家に置いといたってしょうがないわけでしょう。
 だから今もう既に起こってますが、私今これ使ってるんで次誰か使ってくれませんかとネットに上げるわけです。ネット上でのフリマの世界は安く買えますね。物々交換だってできるわけでしょ。そういう時代になりつつある。
 そうなると、まさに市場価値から使用価値へです。大企業が商品に値段をつけ、それをマーケットで売りさばくんじゃなくて我々自身がその価値を決める。その価値は、マーケットの価値ではなくて使用価値になっていく。
 私が使い終わったので今度はあなたが使ってください。それは物が人を繋ぐってことなんです。元々はそうだったんですよ。物が人を繋いでたんですよ。でも我々は所有という社会を作っちゃったから、物は自分のものになっちゃったんですね。
 そしてその所有が人々の価値を決めてたんですよ。それがだんだん薄くなるのではないか。今だって、インスタグラムやFacebookに、私は何を持ってますって言って自慢する人ほとんどいないですよ。私は何を見ました、何を経験しました、何をしました、でしょ。それに、みんなが「いいね」を押す時代なんですよ。
 だから、物よりも行為に価値を見出す時代がこれからやってくる。その結果として、みんなが分散していく。都市に一極集中するんじゃなくて、いろんな複数拠点を持ちながら、様々な地域を渡り歩いていくことができるんではないかと思うんです。

お互いを助けあう共助の社会へ

 そして社会関係資本。これは英語で言えばソーシャルキャピタルですよね。所有物に自分の人生を依存するんじゃなくて、人との関係に自分の人生を依存する。お互い助け合う共助の社会が、成立するんじゃないかと思います。私はこれまで、「Think Globally, Act Locally」って言ってたのを逆転させて、「Think locally, act glocally」という風に言おうと思っています。

屋久島の話

 ここから屋久島の話しを少しします。地域から世界へという話です。
 屋久島の全体図の中で、今村さんや中野さんが住んでるのは、下の方ですよね。モッチョム岳の方だと思います。私が50年近く関係を持ってきたのは、西部域と言われる人が住んでいない、サルしかいない地域です。大体20キロぐらいある地域なんですけど、そこでずっと仕事をしてきました。1970年代前半から屋久島に行き始めました。
 今、屋久島一周道路は全部舗装されましたけども、その頃は地道でした。砂利道でした。永田に小屋を立てて野外博物館と称していました。京都の飲み屋を回って募金していただき80万円集めて建てた小屋なんです。
 我々の間ではサル小屋って呼んでいました。当時私はまだ20代でした。この頃サルの調査を始めたんです。サルと一緒に森を毎日毎日歩いてました。その頃気がついたのは、今村さんの話しにも出てきたけど、ものすごい美しい森が、西部林道の海岸線から頂上まで残ってる。と同時に、ちょっと尾根を登れば、全面皆伐をした恐ろしい風景が広がってるんです。植林さえしていない。がけ崩れが起こるのは当たり前ですよね。
 そういう状態に山々がなっていた。70年年代から80年代にかけてね。そこで我々は反省したわけです。これまでたくさんの研究者が屋久島にやってきたけれども、屋久島の研究成果を屋久島戻したか?戻してないですよ。
 みんな論文を書いて、資料は全部持ち帰って分析したかもしれないけど、それを屋久島に戻していない。それはやっぱりいかんというので、私は1983年、日本モンキーセンターに就職してから活動を始めました。
 上屋久町と屋久町に分かれていたんだけども、研究成果を屋久島に戻すために上屋久町と屋久町の両方で島民の方々に見ていただこうと「屋久島の森とサル」という展示を1985年に開催しました。
 島の青年団を中心に、地元と研究者をつなぐ博物館活動を担う「あこんき塾」という団体も作ってもらっって2年間ニッセイ財団の支援をいただきました。その後はトヨタ財団にお世話になったり、自らクラウドファンディングによってお金を集めたりしました。 足で歩く博物館の活動に参加したり、1990年代には全国の学生を集めてフィールドワーク講座をやりました。いろんな班にわかれて屋久島の森と文化、それから歴史を勉強しましょうということをやったんです。

本として屋久島の研究を残す

 もう亡くなられましたが日吉眞夫(ひよし・まさお)さんと、先ほど中野さんが紹介された山尾三省(やまお・さんせい)さんのお二人が白川山(しらこやま)という村を最初に立ち上げました。1986年のことです。日吉眞夫さんが中心になって季刊誌『生命の島』という雑誌を作り始めました。
 季刊ですから、年間4冊。私は最初の号から18号ぐらいまで「世界の森 屋久島の詩」という話を連載させていただきました。同時にそのさっき言った「あこんき塾」の活動成果として、「ヤクシマザルを追って」という自費出版の絵本を作りました。今やっと新泉社という出版社がついて、これが市販される絵本となっています。

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