見出し画像

後悔しない人生を歩むという考え方について

「死にたい」と本気で願った日から、今日までずっと、"いつ死んでも後悔しないように生きる"という考えの元に過ごしてきた。

やりたい
やめたい
行きたい
帰りたい
撮りたい
創りたい
逃げたい

という自分の欲求を第一に優先して生きてきた。その人生の道中、「こいつは自己中だ」と僕から離れて行った人もいるし、そう直接言ってきた人もいた。それでも、すぐに死にたくなってしまう性格の僕は、どうせ死ぬなら生きたいように生きて、それが原因で人に嫌われても関係ないと思っている。寧ろそーゆー人は離れていってほしいくらいだ。この考えは、振り返れば、とても生きやすくなったと言える。

僕は性格上、繊細なhsp気質、忘れ物や時間がどうしても守れないADHD気質、その上、鬱っぽく病んだ時には、すぐ死にたくなってしまうところがある。21年生きてきて、やっと最近その正体を知った。

悪い意味じゃなくて、良い意味で、こいつらはどうせ治らないし変わらない。どれだけ工夫して生きてもその根源はマグマのように残るはずだ。0には出来ない。

僕はこれからもずっと、見えないアンテナを張り続け、全く関係無い人の考えていることまで気にして疲れ。忘れ物もする。約束も守れない。挙げ句の果てに、自分を責めて病んで、他人に怒られ病んで、死にたくなるだろう。もう分かりきっている。

20歳を迎える頃、自分についてずっと研究をしていた。自分を研究して知ることが自分を愛することだと思ったから。だからHSP、ADHDのような言葉もその時に知ったし、沢山調べた。病んだ時こそ、死にたいと思ってしまうが、まだ死ぬには勿体無いとも思えるようになったし、何しろ死ぬことがダメなことだと認識出来るように変革した。

病む=死にたくなる

つまり、僕はとにかく悩みが少しでも少なくなるように生きなければいけない。最近は常に悩みの根源を減らす方法を考えている。少しでもストレスになりそうなことは事前に察知して離れる。そんなに、ストレスが溜まっていない時でも、自然と触れたり散歩に出かけたりしてストレスの解消をする。

命をかけているようなものだから、多少自己中心的に生きることは悪いことではないと思う。それに、自己中心的に生き始めてからは生きやすい。勿論、過度に自己中心的に生きていると周りに友達とか親友が居なくなってしまうのは理解した上で、調節は必要だ。そこもまた難しいが、自分がこれからも生きていく為には必要な術である。

これらを全てまとめて、後悔しないように生きるという目標の下、21歳を生きている。考えはこれからも変わるかもしれないが、少なくとも今の最適解はこれで間違いない。昔と比べて圧倒的に生きやすくなった。僕はこれからも何事も後悔しないように、少しだけ自己中に生きることにする。

終)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?