見出し画像

21 根っこ

反抗期な様子の長男なのではあるが、そんな彼が私や妻に時折、素直に甘える姿を見ていると、親としては心底安心する。

気分のままに反抗したり、甘えてみたり出来る程度には、彼にとって心理的に安全な存在であり、素直に振る舞える環境を提供出来ているのかなと少しだけ思えるのである。


私の中で一体、いつ頃に物心というものが付いたのであろうか。何を持ってして物心が付いたと言えるのか定かでは無いが、私の中に在る最も古い記憶は二歳半頃のものだ。

夜の寒空の下、マンションのエントランスで母親の手を握り、花壇の縁から戯けて何度もジャンプして飛び降りながら、父親の帰りを二人で待っている光景。これが私の最も古い記憶なのである。

何故この光景が記憶として、何時迄も私の中で鮮明に残っているのであろうか。

光景としてよりも、その時に私が感じていた気持ちの様なものが強く記憶として残っている。繋いだ手の先に見える母親の表情。それが何だかとても悲しそうで、寂しさが滲み出ていて、そんな母親を見るのが嫌で居た堪れず、精一杯無邪気に戯けて見せていた。

そんな私の様子を見て、何だか辛そうに微笑んでくれる母親を見るのも嫌だったのだが、何よりも遠くから父親の運転するカリーナの大きなエンジン音が聴こえてきた時、その瞬間に母親の表情が明るくなる感じ。これまたこの居た堪れない時間から解放される安堵感と同時に、自分の存在の至らなさを痛感させられている感じが、堪らなく嫌だった。


母親が何故其れほどに辛く、寂しそうであったのか。いつか母親にこの時の記憶を伝えて聞いてみた事がある。曰く、当時同居していた義母が厳しくて家の中が居心地悪く、なるべく同じ空間に居たく無かったそうである。


この記憶が原初のものとして私の中に強く残っているのは、きっと幼児期に私の人格を形成した環境や出来事の象徴として刻まれているのではなかろうか。そんな気がしているのである。

この世は儘ならず、居た堪れない気持ちを抱えて生きていくものなのだ。


人生に対する捉え方の根っことして、この様な思いが刷り込まれている。ずっとそこから逃げたくて、それでもやっぱりそんな自分を誰かに認めて欲しくて、その堂々巡りの沼でもがき続けていた。


誰に認めて欲しかったのか。きっと母親に認めてほしかったのだろう。ちゃんと私を見て、理解して欲しかった。そんな幼児期の私が、今だにちゃんと私の中に居る。だからこそその象徴として、鮮明な記憶として刻まれているのだろう。


今の私は、そんな幼児期の自分を乗り越えるべきなのであろうか。


否、乗り越えるも何も、やっぱりこの世は儘なら無いし、居た堪れない気持ちを受け止めていくしか仕様がないものだと今も思う。


母親や、他者から認めて貰う必要は最早無い。


私が私を認めているのだから。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?