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3 私の人生に「アメリカ」は、関係がないと思っていた。 青木真兵

なぜアメリカについて語り合いたくなってしまったのだろう。まずはそのあたりから話を始めていきたい。

幼いころからアメリカを意識したことはなかった。行ってみたいと思ったこともないし、特段のかかわりもなかった。祖父が海軍にいたので先の戦争の話は聞いていたし、もちろんその戦争はアメリカと戦ったもので、数えきれないほどの空襲や2度の原爆投下で日本人がたくさん殺されたことは知っていた。それでもすごく遠い国、自分とは関係のない国だというイメージがあった。だから今、アメリカと聞いて頭にパッと浮かぶのは、高校3年生の秋--2001年9月11日の夜のことだ。自室で受験勉強をしながらラジオを聴いていたら、突然ニュースが飛び込んできた。
「ニューヨークへ行きたいか?」と参加者に大声で問いかけるクイズ番組を見ていた世代でもないから、かの地に憧れを抱いたこともなかった。しかしラジオでその一報を聞き、すぐにテレビをつけたときの衝撃は忘れることができない。ニューヨークの世界貿易センタービルという巨大な二棟建のビルに、飛行機が突っ込んだというのである。たぶん私がテレビをつけたのは、一機目の突入直後だったと思う。そのうち、超高層ビルにもう一機の飛行機が突っ込んでいく様子をリアルタイムで見ることになった。私は実質的に、後に「テロの時代」の幕開けと位置付けられる出来事とともにアメリカを初めて意識することになったのだ。

9.11から始まった私のアメリカ

大学に進学したら、考古学を勉強しようと決めていた。理由は明確ではない。たぶん考古学という響きに惹かれたのだろう。幼いころから漫画で読んだり、テレビでよく目にしていたツタンカーメンやピラミッド、そういうものにかかわってみたかったのだ。だから外国考古学が勉強できる大学だけを受験し、入学した。
しかし実際に入ってみると、その外国とは中国のことだった。当時、これからは中国の時代だと言われていて、その言にのって中国語を学ぶ友人もいたが、私はいまいち関心を持てなかった。考古学研究会に入会し、OBも含めた最初の飲み会の自己紹介で「エジプトやギリシャなど外国の考古学に関心がある」と述べたとき、失笑されたことを今でも覚えている。研究会は翌年春には退会し、春休みは東京の街をただぶらぶらしていた。

大学2年生になってもやりたいことは定まらない。写真部や落研の見学にも行ったが、しっくりこない。そんななか、運命の出会いは突如現れた。なにげなく出てみた古代エジプトの講義を担当する新任の先生が、エジプト学を専門とする人だったのである。
その日から私の生活は一変した。大学の図書館に入り浸り、エジプトをはじめとする古代オリエントの本を読んでは、アポイントメントも取らずに先生の研究室に押しかけ、感想ともつかない言葉を伝え始めたのだ。先生と話すうちに古代オリエントへの憧れは増幅していく。この目で現地を見てみたい。そのころから池袋にある古代オリエント博物館にも出入りし始めていた私は、まずは夏休みにトルコへ行くことを決めた。

なんと言ってもトルコには、山頂に大きな神像の頭などが転がっているネムルト・ダウという遺跡がある。イスタンブールやカッパドキアなど、異国情緒溢れる都市や遺跡にも関心があったし、中近東文化センターを中心とした日本の発掘調査隊がトルコに現場を持っていることも知った。とりあえず、そこに行ってみよう。興奮気味に話す私を、周囲は「治安は大丈夫か」「危なくないのか」と心配した。アメリカであの大きなテロ事件を起こしたのは、イスラム教徒だ。トルコも、イスラム教徒の国ではないかというのだ。
もちろんそんなことでトルコ行きを断念する私ではなかった。行ってみると、人びとはみな本当に優しく歓待してくれた。当たり前だが、イスラム教徒の国だからといって危ないわけでも、イスラム教徒だからといって敵対的なわけでもないのだと実感した。しかし9.11同時多発テロ事件の後、イスラム教徒やアフガニスタンが敵視され、メディアでそのように喧伝されていたことも事実だった。
当時のアメリカ大統領ジョージ・ブッシュは、報復としての対テロ戦争を十字軍になぞらえた。十字軍とは、中世ヨーロッパにおいてキリスト教徒が聖地エルサレムをイスラム教徒から奪回する、軍事的な活動である。アメリカは自分たちを正義の側に置き、相手を敵側に据えた。その根拠として歴史を持ち出し、戦争を正当化したのである。

考古学者にとってはアウトオブ眼中、でも……

こうして世界はキリスト教対イスラム教の対立構図で語られていった。
そうした中で考古学を学んでいると、その両宗教にも「はじまり」があることがわかってくる。そのはじまりのさらに前にはユダヤ教という「はじまり」があり、そのユダヤ教もあるタイミングで人類史に登場してくる。現代世界で多数派の一神教への信仰は、人類史全体でみると、かなり新しい出来事なのだ。それ以前の人びとは多神教を信仰し、少なくともキリスト教対イスラム教というような対立の図式で語られる宗教戦争は存在しなかったようである。私は現代とは異なるパラダイムが支配したであろう時代としての、一神教誕生以前の古代地中海世界への関心を深めていった。

何がいいたいのかというと、古代地中海世界の歴史からすると、アメリカはとても新しい国なのである。過去を眼差す考古学や歴史学にとって、アメリカははっきり言ってアウトオブ眼中だ。ヨーロッパの歴史や文化は、古代地中海で生まれた都市や神殿、言語や宗教が、古代ローマ帝国やゲルマン民族による建国、幾多の戦争を経て展開してきた本流とされている。アメリカの歴史はそこから派生した一支流に過ぎない。ヨーロッパ文化を何重にも漉してできあがったのがアメリカではないか。考古学にのめり込むほど、私はそんな風に思うようになった。

そのように、ある意味純粋に考古学や歴史学を研究しようとすると、アメリカは視界に入ってこない。だがその後、その研究を取り巻く環境、つまり現代社会について考え始めると、私の視界に急にアメリカがフェードインしてきた。
大好きなハンバーガーやプロレス、幼いころ家族で行ったディズニーランド、なぜか勉強しなくてはならない英語、自由とその背後にある自己責任という聞きなれない考え方……私の暮らしの隅々にまで「アメリカ」は行き渡っていた。さらに世の中を見渡すと、なぜ沖縄に米軍基地が集中しているのか、日米地位協定とは何だろう、中東地域でなぜアメリカの存在がこれほど大きいのかなど、どんどん疑問が湧いてくる。現代社会の事象を一皮剥けば、そのほとんどすべてにアメリカがかかわっていた。

就労支援で得た「未来を見る目」

この視界の変化には、私の生活や意識、状況の変化が大きく影響している。
2016年、私は奈良県東吉野村に引っ越した。周囲は山に囲まれ、家の目の前には幕末に新たな時代を切り開こうとして散った若者を祀る史跡があり、すぐ下には滔々と川が流れている。そう簡単に変化しない自然や、想像力を働かせればなんとかつながることができそうな幕末の人間の歴史に常に触れることのできる、つまり私の「過去を見る目」を発揮できる場所だ。
一方、引っ越しと同時に始めた就労支援は、障害のある人が働き、その人生を生きていくことをサポートするという「未来を見る」必要のある仕事である。この仕事に従事して2年ほどが経ったころから、「現代社会で障害のある人が生きるとはどういうことなのか」という問いは、私自身の生涯のテーマとなりつつある。

障害とは何かというとき、それはひとえに社会の問題であると知ったことも大きい。障害とは手や足を欠損していたり、知的能力が一定の値より下であったり、幻覚や妄想が見えるといった事象だけを意味するのではない。これらの症状が障害となるのは社会側の問題なのであって、社会が変われば障害ではなくなる可能性がある。
例えばIT化が進み、仕事と生活の切れ目がなくなっていく中、バーンアウトによるうつ病が増えているという現実がある一方で、かつて障害とされた視力の低さは眼鏡やコンタクトの発達で、もはや障害とは認識されていない。社会が変わることによって、私たちが今当たり前に諦めていることや悔しい思いをしていることも変化する可能性がある。
就労支援という仕事への関心や実務を通して、私は「未来を見る目」を得たような気がしている。そしてこの「未来を見る目」自体に、「アメリカ的なるもの」が標準装備されているような気がするのだ。

マイ・アベンジャーズとの「アメリカ的なるもの」への旅に出かけよう

そういう意味で、アメリカを知ることはこれからを生きる上で必須な事柄だと思う。
国民国家としてのアメリカについての情報を多く仕入れることのみならず、私たちが生きる世界にどれだけ「アメリカ的なるもの」が含まれているのかを知ること。グローバル化の中で、私たちはそれをあたかも地球全体の歴史的必然性に基づいた自然現象のように認識してしまっているけれども、それで良いのか。普段当たり前に見ている世界や社会における「アメリカ的なるもの」の含有率を測ってみると、違う選択肢が見えてくるかもしれない。生活レベルではもう少し「アメリカ的なるもの」を取り除いたほうが良いかもしれないし、社会レベルではもう少し「アメリカ的なるもの」を取り入れる必要があるかもしれない。それはこのメンバーとの対話を重ねることで、アメリカへの解像度が上がるにつれ、見えてくるだろう。

身近なところで声をかけたこの「マイ・アベンジャーズ」は、結果的に絶妙なメンバーになった。本連載を通し、私たちと一緒にアメリカについて、生活について、社会について、世界について、楽しみながら考えていっていただければ幸いである。3人分の長い前書きはこれで終了だ。次のバトンを受け取る人から、本題に入っていくはずである。さて、どんな話になるのやら。

(撮影すべて:青木真兵)

〈プロフィール〉
青木真兵
(あおき・しんぺい)
1983年生まれ、埼玉県浦和市に育つ。「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」キュレーター。古代地中海史(フェニキア・カルタゴ)研究者。博士(文学)。社会福祉士。2014年より実験的ネットラジオ「オムライスラヂオ」の配信をライフワークとしている。16年より奈良県東吉野村に移住し自宅を私設図書館として開きつつ、現在はユース世代への支援事業に従事しながら執筆活動などを行なっている。著書に『手づくりのアジール─土着の知が生まれるところ』(晶文社)、妻・青木海青子との共著『彼岸の図書館─ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)、『山學ノオト』シリーズ(エイチアンドエスカンパニー)、光嶋裕介との共著『つくる人になるために 若き建築家と思想家の往復書簡』(灯光舎)などがある。

◉この連載は、白岩英樹さん(アメリカ文学者)、光嶋裕介さん(建築家)、青木真兵さん(歴史家・人文系私設図書館ルチャ・リブロキュレーター)によるリレー企画です。次のバトンが誰に渡るのか、どうぞお楽しみに!

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