【宗教2世問題の解決の難しさ どこまでが信仰の「強制」?】

「宗教2世問題を解決しよう!」という流れになっていますが、はっきり言って解決するのは非常に難しいと思います。伝統宗教でも当たり前のように行われている慣習まで制限されるおそれがあるからです。

例えば「子に親の宗教を強制しないように」という意見がありますが、どこまでが「強制」とみなされるのでしょうか?仮に規制しようとするならば、キリスト教徒の親が子を生まれてすぐに洗礼させたりイスラム教徒やユダヤ教の親が子を入信させたり、男の子の場合に割礼を施すのはかなり難しくなってしまうと思います。「入信」という考え方がない日本の宗教でも、妊娠中にお母さんが神社へ戌の日参りに行ったり、出産後にもお宮参りに行ったりすることがあります。子供を親戚の仏式のお葬式に連れて行くことも日本では珍しくありませんよね。こうした慣習も「強制」になってしまうのでしょうか?そもそも論として、宗教というものは時に家族で何か一つのことを行う特徴を持ちます。子への宗教の「強制」を規制しようとするあまり、伝統的に広く受け入れられている家族ぐるみで行われている行事やイベントまでなくならないか不安です。妊娠中は戌の日参り、出産後はお宮参りと、子が無事に産まれて成長することをお祈りして心の支えとなったり、家族と喜ぶ気持ちを共有することができたりして救われた気持ちになるお母さんは少なくないのではないでしょうか?私が子供の頃のお宮参りなどの写真を見た時も、自分はこのように大切にされてきたのだと温かい気持ちになります。

仮に親のそうした行動に納得できない人がいたとしましょう。成人した後は当然、親から信仰を押し付けられてはいけないと思います。しかし、成人する前はやはり限度があるのではないでしょうか。日本では、というかほとんどの国でそうだと思うのですが、子供は成人するまで親にある意味「支配」されています。でもそれは、子供達本人が自分達の行動に責任を持つ必要がなく、親から守られているということでもあります。現実的にはかなり難しいですが、親への子の宗教の押し付けを防ごうと仮にこのような縛りを緩めようとすると、同じカルトの問題において、親が未成年の子を親の権限でカルトから脱会させることは難しくなってしまうのではないでしょうか?

宗教2世の人の気持ちには寄り添う必要がありますが、政策を考えるというのであれば世の中のこうした厳しい側面についても向き合う必要があるでしょう。軽い気持ちで、子に親の宗教を強制しないような政策を、と私はとてもじゃないけれど言えないです。