名前も「男女平等」にできるのか?

先日、言語を「男女平等」にできるか、という投稿をしました。今回は名前を「男女平等」にできるかについて考えてみます。いったいどういうことでしょう?

近年夫婦別姓について議論が深まっています。夫婦が別姓を選択できる国はありますが、実態について見ていきましょう。よく論点になるところではなく、別の観点から説明していこうと思います。例えばロシアですが、夫婦別姓は認められています。しかし、ロシアには「父称」といって、「〇〇の息子或いは娘」を表す名前が本名の一部になっています。ロシアで公的文書を書くときには「氏名父称」を記載します。(外国人は書かなくても大丈夫です。私も書いたことがありません、いや、書きようがありませんでした笑)例えばプーチンでいうと、「ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン」が本名ですが、「ウラジーミロヴィチ」が父称にあたります。父の名が「ウラジーミル」なのでウラジーミルの息子「ウラジーミロヴィチ」を父称としてつけられているのです。中には父親がいない人もいますが、その場合は母の親戚の男性などから父称をつけるようです。ロシアは比較的保守的な国なので特に疑問を感じずに父称を受け入れている人が多そうです。私も「父称は必要ない」と言っているロシア人を見たことがありません。西欧系など西欧人の中には「父の名しか書かないなんて、女性差別だ!」と思う人もいるかもしれませんね。しかし、なかなか父称は無くせないでしょう。というのはロシアでは人を「〇〇さん」と呼ぶ時は、その人の名前と父称を呼ぶ必要があるからです。「プーチンさん」と言うなら「ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ」と言わなくてはなりません。外国人向けの学校で先生を名前だけで呼んでもまだ許されるでしょうが、そこまで親しくない人と話す時、初対面の人に呼びかける時など改まった場面で相手を名前だけで呼べば失礼にあたります。(父称のない外国人には英語のミスター、ミスにあたる単語をつけて呼びます)伝統の否定を試みたソ連時代でさえ、父称はなくなりませんでした。

*ロシア人の名前については、こちらの記事に書きました。父称についても書かれています。(2021.06.20編集)↓

他方で、「男女平等」意識の高い西欧諸国出身者も父称を理由にロシアを非難しようとしてもできないでしょう。「ジョンソン」などのように「〇〇ソン」等が語尾の苗字が英語圏やゲルマン語圏には存在します。「ソン」の意味ですぐひらめくと思いますが、これも「〇〇の息子」の意、つまりロシアと同じ父称の名残りなのですロシアと同じスラヴ系の民族には、名前に父称を入れたり本来父称だったものを苗字にして使う人達がいます。プーチンのところで気づいた人もいるかもしれませんが、「ストイコビッチ」も父称が苗字になったものです。

他にも父称を使ったり、苗字の代わりに父称を使う民族は存在します。

あと最後に、ロシア人やチェコ人などスラヴ系民族の中には男女で語尾が異なる苗字が多く存在します。有名な例でいうと、男性なら「メドベージェフ」という苗字は女性では「メドベージェワ」になります。女性形は最後にaがつきます。プーチンの娘は「プーチナ」になるわけです。苗字に男女の区別のない国に帰化した女性は男性系を名乗っていることが多いですけどね。ロシア人の苗字については、以前こちらにも書きました。↓

こうして見ていくと、苗字にも各民族や国の文化が反映されていることがよく分かっていただけたと思います。近年はすぐなんでも変えよう、という風潮になっていますが、その伝統について理解が深まってから改革を行わないと歪みが出たり中途半端になってしまうと思います。いや、そもそも「平等」にこだわりすぎるのもどうなのかな、と思います。言語と同じく苗字の付け方(そもそも持たない民族もあるが)も民族の文化や伝統、歴史を反映したものと言えるでしょう。「ジョンソン」という苗字から、その人は「ジョン」という人の子孫であること、そして「ソン」という語尾から昔の父系継承の名残りであることを知ることができます。苗字を通じてその人の一族の歴史に思いを馳せることもできます。伝統と現代的な「権利」や「平等」の考え方は相容れないものです。古い価値観を元に生まれた苗字について現代的な価値観で論ずるのはナンセンスではないかと思います。
世界中に様々な言語があるように、世界にも様々な苗字の伝統があっても良いのではないでしょうか?