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選択的夫婦別姓では解決しないこと2

 先日、私はこのような記事を書きました。

 今回は、「選択制」の限界に焦点を絞って書いてみます。

本当の意味での「選択制」ではない

 選択的夫婦別姓を推進する人たちは、選択的夫婦別姓は選択制であり、現行法は「強制的夫婦同姓」(厳密には同氏)であると主張します。

これは単なる言葉遊びにしか過ぎないと私は思います。

 まず、「選択的夫婦別姓」というと聞こえがいいですが、選択できるのは「同氏」か「別氏」のどちらかだけです。夫婦が新しく氏を作る「創氏」や、夫婦が二人の氏を重ねて作る「複合氏」を選択することはできません。欧米人に多いミドルネームを名乗るという選択もありません。また、ロシアやポーランド、チェコなど、スラヴ系の人が持つ男女で語尾が異なるけど同姓という仕組みや、父の名前からつくる父称を持つことも認められません。

*スラヴ系の夫婦別語尾姓については以下参照↓

ミャンマー人のように氏を持たないことも認められません。

 現行法を「強制的夫婦同氏制」と主張するのであれば、「選択的夫婦別姓」は「同氏か別氏しか選べない制度」と主張することもできるでしょうし、「同氏か別氏しか選べない制度」を「選択的夫婦別姓」とあえて呼ぶのであれば、「強制的夫婦同氏または別氏制度」ということもできるでしょう。これから日本に帰化したいと思う外国人が、母国での名前の仕組みを残したいと主張した時は、必然的に日本の名前の仕組みを「強制的」に押し付けていると言うこともできます。

 それでも、私は「名前を自由に名乗れる制度」が良いとは思いません。それが認められるのであれば、「名前を強制的に名乗らせるなんて!」という主張も通ってしまうからです。

 また、文化的な面でいうと、

婚姻を始めとする身分関係の変動に伴う氏の変更を含む氏の在り方が,決して世界的に普遍的なものではなく,それぞれの国の多年にわたる歴史,伝統及び文化,国民の意識や価値観等を基礎とする法制度(慣習法を含む。)によって多様であること(甲8の18頁から24頁まで。なお,そもそも氏を持たない国も存在する。)

(下のリンクより引用↓)

と判断されています。

 スラヴ人やミャンマー人の例でも分かるように、氏に限らず名前の仕組みは国や民族、文化などにより様々です。それぞれ独自の名前の仕組みを持つことは、間違っていることではありません。第一、滞在先の国が母国と文字が異なるケースは珍しくありませんし、そもそも論として、外国で母国と全く同じ方法で名前を表してもらえるわけではないのです。

*下の記事参照

 ただ、日本としては旧姓使用について、諸外国に理解を呼びかけることは必要だと思います。

まとめ

 名前の仕組みにおける「自由」は、どこかで線引きせざるを得ません。本当に「自由」を認めてしまうと、収まりがつかなくなるからです。私は夫の氏も妻の氏も平等に選択できる現行法くらいに留めておくのがいいんじゃないかと思います。

*何でも自由であることの弊害について書いた記事はこちら↓

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