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父「称」と父「姓」を混同しないで!

*写真は、ロシアのサンクトペテルブルクにあるドストエフスキーの家。フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーФедор Михайлович Достоевскийと、名前・父称・姓の順で書かれている。

 先日、選択的夫婦別姓を目指して活動する全国陳情アクションの事務局長井田奈穂氏のツイートのやり取りで不可解なことがありました。

 このようなツイートに対して

という返信があり、それに対する井田氏の返事は、以下になります。

*ジェンダーの話を出したのは、後述の井田氏のツイートを見ても分かりますが、井田氏が選択的夫婦別姓の話をジェンダー問題としても語っているからです。

 あれっ、子の「姓」の話なんてしてましたっけ?前のツイートで出てきたのは、「父親の名前である父称」「男女で語尾が違う姓」です。父の「姓」を子につけることについては言及されていません。

 引き続きやりとりを見てみましょう。

*これも、普段井田氏がジェンダー問題として選択的夫婦別姓について語っていることから出た返信です。

 だから父の「苗字」である父「姓」でなく、「名前」である父「称」の話なのですが…

 これに対する反応は

でした。

 同じようなやりとりが繰り返されますが、結局井田氏は父の「名前」である父「称」の話でなく、父の「姓」である父「姓」の話として話を続けてきます。

 厄介なのは、井田氏に対して、やはり父の「名前」である父「称」の話でなく、父の「姓」である父「姓」の話として返信してきた人がいたことです。


 井田氏はこれまで、しばしば世界の姓の制度を引き合いに別姓選択ができない日本の仕組みを問題視してきました。↓


 なお念のため…日本の司法は、日本の夫婦同氏制度は合憲であり、なおかつ氏の仕組みは文化や伝統などにより国それぞれと判断しています。

 また、日本には西欧文化が入ってくる明治より前から夫婦で同じ苗字を名乗る習慣がありました。

 本題に戻りましょう。

 世界の名前の仕組みは、別姓か同姓かの違いだけではありません。また、別姓選択できる国も、男女平等や選択の自由という観点から別姓を認めてきたとは限りません。別姓選択ができても、名前の他の要素にジェンダー要素が残っていたり、他に選択できないものがあるとすれば、ジェンダーや選択肢を増やすという観点からそのような仕組みになっているとは言い切れないと思います。

 世界の名前の仕組みを引き合いに日本の名前に関わる制度を批判するのであれば、姓だけにこだわらず、ウクライナの場合は父称や父称由来の姓、男女別語尾姓の存在など、他の観点からも各国の仕組みについて比較、検討されるべきだと思います。東欧の事情を知らない人が「父称」と「父姓」の区別がつかないのは理解できるのですが、名前の制度を変えようと活動し、海外の名前の制度についても調べている人達でも理解しているのか疑問に思う場面があり、正直なところ驚きを隠せません。東ヨーロッパを専門に勉強してきた者として、選択的夫婦別姓の話題については、殊更英語圏や西欧、中韓台といった日本人に馴染みのある国の姓以外の仕組みについてはほとんど無視されてしまっている印象を受けます。しかし、残念なことに、こうした傾向は選択的夫婦別姓の話に限ったことではありません。日本人に馴染みのない国について学んできた者としても、「多様性」を訴えるのであれば、日本人に馴染みのある国以外の事情についても丁寧に語って欲しいと切に願います。