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<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

第11次灯台旅 網走編

2021年10月5.6.7.8日

四日目 #13 網走観光1

四日目の朝は五時過ぎに目が覚めた。スマホで天気予報を見ると、曇りだったはずなのに、午前中に晴れマークがついている。天気がころころ変わりすぎる。帰宅日だけど、ちょこっと灯台を撮りに行こうかな、迷ってしまった。だが、今日の予定をざっと思い浮かべると、なんだかあわただしい。一時過ぎのフライトだ。十二時過ぎには、空港に着いてなくてはならない。撮影する気がなくなった。

もっとも、撮影する気になれなかったのは、時間的な問題だけでもない。まずもって、足首が、特に左の足首辺りから脛にかけて、真っ赤に腫れあがってしまったのだ。パンパンになった足の違和感が尋常でない。体の不調は気分にも影響していて、写真撮影どころではない。ま、幸い、痛痒さは我慢できる程度だった。

ベッドに寝転がりながら、帰宅日の予定を最終的に決めた。ホテルを八時頃出て、観光しながら、十二時前には空港近くのレンタカー屋に着くようにすればいい。観光は、近くの<サンゴ草自生地>、それに、来るときもちょっと寄った<希望の丘>。目と鼻の先にある<網走監獄>は、ま、以前に一度行ったこともあるからパスだな。

六時前に起きて洗面、身支度。六時半ちょっと前に、朝食弁当を取りに部屋を出た。廊下も隣の部屋もし~んとしている。そうだ、昨晩は、九時頃から、隣の部屋がすごくうるさかった。学生だろう。大きな声でしゃべっていて、寝られやしない。しかも、よりによって、隣の部屋に仲間が集まっている。

誰かが面白い話をしているのだろうか、数分おきに、どっと笑い声がする。そのうちの一人の甲高い声が、ほんとに癇に障る。三十分ほど我慢していたが、怒鳴り込むわけにもいかず、耳栓をした。耳栓をした後は、騒ぎ声もさほど気にならなくなり、そのうち眠ってしまった。夜中の十二時過ぎに目が覚めた時には、さすがに静かになっていた。朝になって、隣部屋のドアの前には、へし曲がったビール缶がいくつか転がっていた。酒を飲んでいたわけで、ま、しょうがねえ!

エレベーターに乗った。昨晩の爺と鉢合わせしなければいいなと思った。そう、例の<カレー事件>の爺だ。<カレー>の配給?時には二番目に並んでいたのだから、朝食弁当だって、朝一番で取りに来る可能性が高い。

時間を戻そう。昨晩のことだ。サービスの限定四十食<カレー>を取りに、七時少し前に食堂に下りた。すでにカウンターの前には、仏頂面した中高年のオヤジが並んでいる。その後ろには、椅子に座った黒っぽい爺がいる。並んでいるのか?判断しかねたが、一応爺の後ろに並んだ。

五、六分そのままの状態で過ぎた。食堂には、かなり人が増えてきた。爺はなかなか立ち上がらない。並んでいるんですか、と声をかけた。ソーシャルディスタンスを取らなきゃね、と言いながら爺がやっと立ち上がった。すでに狭い食堂には人がいっぱいだ。<ソーシャル>もヘチマもあったもんじゃない。ワクチン打ってるんでしょ、と俺。すかさず爺が、ワクチン打っても罹るんだ、と語気を強めた。イラっとして、話さなくていい、と言い捨てた。そっちがしゃべりかけてきたんだろ、と爺は食い下がってきたが、今度は無視した。

ちぇ、サービス<カレー>をもらうために行列してたら、このざまだ。横柄な爺にも腹が立ったが、自分が情けなかった。たいしてうまくもない<カレー>をもらうために、行列が嫌いな自分が、さもしい貧乏人に同化して列を作っている。その場でプイと横を向いて、爺にも、回りの人間にも、そして自分にも、もう相手にしません、という態度を誇示した。

じきに<カレー>の配給が始まった。爺が振り返りながら、お先にどうぞ、と言ってきた。どういうことなんだ?いえ、と言って首をふり、相手にしなかった。人間とは関わりたくないんだ!不機嫌なまま、部屋に戻った。<カレー>なんか、食べる気になれなかった。が、まあ、すんだことだ。まずいなと思いつつ、コンビニ弁当ともども、しっかり完食した。

四日目の朝に戻ろう。さいわい、エレベーターでも食堂でも、爺には会わなかった。部屋に戻って、朝食弁当を食べ、七時半にはホテルをチェックアウトした。立体駐車場に行き、車を出してもらった。出してもらったといっても、外ではない。シャッターのあいた建物のなかだ。目の前には、デカい金属のゆりかごに乗った車が現れた。ちらっと、タイヤの下あたりを見た。<ゆりかご>の縁とタイヤの間が五センチほどしかない。まっすぐ移動しないと脱輪する。少し神経を使って、外に移動した。

その際、係の若者に、駐車場に少し止めさせてくれ、と断りを入れた。そんな必要もないだろうが、昨晩以来の、数々の<齟齬>はすでに忘れていた。多少気分がよかったのかもしれない。若者は愛想よく応答してくれた。車を適当なところに止めて、荷物の<パッキング>をした。キャリーバックとリックサックに、すべての持ち物をぴっしり詰めこんだ。これでいつでも飛行機に乗れる。さあ、観光して、帰ろう。

<8:00 出発>。八時半には<サンゴ草自生地>に着いた。正式には<能取湖サンゴ草群落地>という。サンゴのように赤くなった植物(アッケシソウ)が、湖畔一面に広がっている。残念なことに、時期が少し遅い。色がややさめている。ただ、向うの方に、大きな鶴のような鳥が二羽いる。タンチョウだとすぐに気づいた。ギャア~という鳴声が、思いのほかデカい。

改めて、辺りを見回すと、ウッドデッキが湖の方へと伸びていて、自生地の真ん中あたりまで行ける。観光客が多いのに、意外にも近い所にタンチョウが居る。すぐそばで写真を撮っている人間もいる。あんなに近づいちゃ逃げちゃうぞ、と思っていたら、案の定、鳥たちは大きな鳴声を残して、どこかに飛んで行ってしまった。ほらね!

一応ここまで来たのだからと思って、ウッドデッキを歩きながら記念写真を撮った。日差しが強くて、少し汗ばんだ。引き上げようかなと思ったときに、また大きな鳴声が聞こえた。二羽のタンチョウが元居た場所に戻ってきたのだ。赤いサンゴ草の中に二羽のタンチョウ。これは絵になるでしょう。少し距離はあったが、ぐるっと回り込んで、撮りに行った。

近づきすぎて、鳥が逃げてもまずいので、というのは、手前の岸からデカいカメラを向けている爺さんもいたからだが、遠慮して遠目から撮った。したがって、記念写真とは言え、肝心のタンチョウがよく撮れなかった。そのうちには、また、観光客が、タンチョウのすぐ近くまで来て、スマホを向けている。さらには、自生地の入り口付近の旅館から、ぞろぞろ人が出てきて、タンチョウの方へ向かっている。あの旅館は、サンゴ草とタンチョウが<うり>なのだろう。引き上げよう。

四日目 #14 網走観光2~帰路

<9:30 出発 メルヘンの丘へ向かう>。ナビの指示に従い、運転していた。じきに、丘、というか、なだらかな斜面の上に出た。どこを走っているのか、とにかく、女満別空港へ向かっていることに間違いはない。両側にはキャベツ畑、道はうねうねと続き、ゆるやかに波打っている。時々、かまぼこ型の家がみえる。屋根がオレンジ色だ。

人の姿はない。車も一台もない。じつに広々している。それにいい天気だ。心が緩んだ。楽しい。解放された気分だ。この旅の中では一番幸せな時間だった。北海道の大地を、車でぷらぷらドライブするのもいいな、と思った。いや、ありていにいえば、これからは、灯台の撮影は二の次で、北海道ドライブを最優先にしてもいいなと思った。

足首のアレルギー性湿疹の影響もあるかもしれない。今回は、二日目あたりから、疲労感を覚えた。それに、写真撮影が楽しくないのだ。月並みだが、気力、体力が、あきらかに衰えている。それに比べて、交通量の少ない、道のいい北海道のドライブはじつに心地よかった。

市街地に近づいてきたのだろう、車と行き違うようになった。トイレタイムだ。広い道端に車を止めた。周りには誰もいない。無防備な態勢をとった。目の前には、北海道が広がっていた。新たな楽しみが見つかったような気がした。今度は、自分の車で来よう。その時には、車中泊などもして、天候や時間、灯台にも縛れない旅をしよう。

とはいえ、二年足らずで灯台巡りにも飽きてしまったわけで、多少忸怩たるものがあった。大袈裟に言えば、これまでも変節や転向を、幾度となく繰り返してきたのだ。しかし、これは、今やりたいことをやらないで、忍苦しながら頑張ることの方が、より偽善的だと思っているからだ。

一般的には、努力し困難を克服して、ひとつ事を成し遂げることが求められるだろう。だが、<転向>しないで頑張るより、内なる声に従った方が幸せだ。偉くはないが、その方が、尊いような気がする。むろん、自分を含めて、生き物を傷つけない範囲でだが。もっとも、これも、ひとつ事を全うできない人間の屁理屈、言い訳なのだろう。

見覚えのある街中に入ってきた。十時には<メルヘンの丘>に着いた。広い路肩に駐車して、ゆっくり撮った。時間はまだ十分ある。ところがだ、次々と観光客が、写真を撮りに来た。目の前を横切り、話し声が大きい。ま、これは致し方ない。シカとして、広い路肩を右から左まで、撮り歩きした。緑の丘の上に木が並んでいる、お決まりの風景だが、背景の白い山並みまではっきり見える。それに、雲がいい。晴天。いい記念写真を撮って帰りたいと思った。

Nレンタカーの営業所に着いたのは、<11:00>頃だった。隣がガソリンスタンドになっている。車を返す前に、満タンにした。174キロ走って、ガソリン代は¥1900。妥当なところだ。営業所の女性従業員の応対も、ビジネスライクで問題はない。ワゴン車で、空港まで送ってもらい、あっという間に、女満別空港の出発ロビーだ。まだ十一時半前だった。フライトまでには二時間もある。早すぎるでしょ!

搭乗口の前あたりに陣取って、日誌をつけた。そのあとは、ひまつぶしに、ぷらぷらトイレに行ったり売店を覗いたりした。かなり広いロビーのベンチは、ほぼ八割がたうまっていた。コロナの緊急事態宣言が全国的に解除されて、人の往来が増え、北海道にも観光客が戻ってきたのだろう。自分もその一人だ。そのうち、十二時を過ぎると、ひとつ前の便の搭乗案内のアナウンスが始まり、ロビーの人間たちは、みな搭乗口に吸い込まれていった。広いロビーに、自分だけが残された。

靴を脱いで、足を投げ出して、ベンチで待機していた。フライトまでには、まだ一時間あった。旅が終わったという感傷も、日常に舞い戻る嫌悪感もなかった。言ってみれば、極めて平静だった。ただ、帰宅後の旅日誌の執筆と、千枚以上の写真の選択、補正の作業が、やや億劫に感じられた。以前の旅では、それらが楽しみだったのに、何かが確実に変わってしまった。

失恋や愛猫の死を忘れるために始めた<灯台巡り>の旅は、心の傷が癒えたのだろうか、その根拠が空に帰したことで、輝きを失った。いわば、やる気がなくなってしまったわけだ。それに、体力、気力の衰えを実感したこともある。自分が爺であること、年寄りであることを思い知らされた。旅の仕方も、写真の撮り方も、変更を迫られている。ぼおっと、そんなことを考えていたに違いない。あっという間に時間が過ぎて、羽田行きの搭乗案内が始まった。

お決まりのように、優先搭乗だ。車いすや妊婦、それに子供連れが一番最初に案内される。それが終わって、後方の窓際席から、順番に案内される。自分はグループ<1>だから、いの一番だ。優先搭乗の、子供連れが、ゲートをくぐった。立ち上がって、待ち構えていた。ところが、なかなか案内されない。子供連れは、なぜか、機内に案内されることなく、ゲートの内側の通路で待たされている。それとなく見ていると、係りの男性が、そばに寄ってきて、なにか耳打ちしている。アナウンスがあり、機内清掃の遅延とかで出発時刻が遅れるようだ。

飛行機の多少の遅れなど、こちらにとっては全然問題ではない。たとえ<欠航>になったとしてもだ。なにしろ、帰宅したところで、待っている人もいないし、待ち構えている仕事もない。とはいえ、むろんそういう事態にはならなくて、十分ほどの遅れで、機内に案内された。着席すると、飛行機はすぐに動き出し、あっという間に、女満別空港を飛び立った。

帰りも窓際の席だったが、外の景色にも興味を失っていたので、なんとなく退屈だった。いきおい、天井からぶら下がっているモニターに目がいった。飛行機のアイコンが、徐々に南下し、北海道を離れ、東京へと向かう様子が、刻一刻アニメーションで映し出されている。しかし、それにもすぐ飽きてしまい、ぼうっとしていた。

飛行機がある程度まで上昇して、水平飛行になると、通路を女性のアテンダントが、頻繁に行き来するようになった。お飲み物はと聞かれたので、アップルジュースを頼んだ。紙コップで飲むアップルジュースは、心なし味気なかった。あとは、ふと気まぐれを起こして、機内販売で、オニオンスープとじゃがバタースープの詰め合わせを買った。これは、来るときに機内サービスで飲んで、わりとイケると思ったからだ。顆粒状のもので、本数もかなりある。¥1000なら、安いでしょ。

そのあとは、これといったことはなかったと思う。というか、外界の事物や人間にはほとんど興味を示さずに、飛行機から降り、モノレールに乗り、電車で自宅まで戻った。ただ、足首のアレルギー性湿疹が最悪で、ふくらはぎのあたりまで、真っ赤に腫れあがっている。特に左がひどい。そのことばかりが気になっていた。気分が低調だったのは、そのせいかもしれない。

四日目の、夕方、六時半には自室に戻った。すぐに、皮膚科でもらった湿疹の塗り薬を、赤く腫れあがっている、足首、脛、ふくらはぎに入念に塗った。とんだドジを踏んだものだ。この薬さえ持っていけば、こんなにひどくはならなかったんだ。もっとも、よく効く塗り薬ではあるが、すぐさま効果がでるわけでもない。その晩は、ぱんぱんに腫れあがったままだった。だが、疲れていたのだろう、比較的よく眠れた。

翌朝になって、下肢の腫れは少しひいた。とはいえ、いまだ不快な違和感がある。腫れと赤みが完全に引いたのは、そのあと、数日してからだった。ま、かなりの重傷だったわけだ。

千枚にも及ぶ写真の選択と補正、旅日誌の執筆が、今後の作業だ。とはいえ、両方とも、気が進まない。気力が萎えている。だが、やりっぱなしにするわけにもいかない。自分はたしかに、北海道の網走まで行って、灯台を撮ったのだ、という事実を、どのような形にせよ記録、記述して、脳裏に刻み付けておきたいのだ。生きた証が欲しいのだろうか。しかし、そんな証が、何の役に立つ。爺になっても、いまだに幻想から逃れられない。<虚空に花挿す行為>が尊いと思っているのだ。

2021-10-5.6.7.8日、三泊四日 網走旅の収支。

ANA飛行機往復+宿泊三泊 ¥60800
レンタカー¥12900 ガソリン¥1900

行き帰りの電車賃¥2500
お土産¥1800 飲食等¥3000
合計¥83000 

高かったのか安かったのか、それとも妥当な金額なのか、判断がつきかねる。ま、北海道へ行ったんだ。これくらいかかるのは当たり前なのだろう。

#15 網走旅・エピローグ

<いやいやながら医者にされ>という<モリエール>の喜劇があったな。No Matter、そんなことはどうでもいい。<網走旅>から帰ってきてから、いちおう、いやいやながら、撮影写真の選択をしてフォルダを作った。あとは補正するだけだ。次に<旅日誌>を書き始めた。ほぼ一か月、<忍>の一字で頑張って、十一月の中旬も過ぎ、もう少しで終了というところまで、こぎつけた。まあまあのペースだった。

しかし、先が見えたということで、気が緩んだ。それに、次の灯台旅までには間がある。気分的には、来年の五月の連休明けに、車で北海道に行くつもりになっている。これは、灯台旅というよりは、北海道ぶらぶら旅だ。したがって、旅日誌も急いで仕上げる必要はない。なんという<甘さ>!事あるごとに<楽>をしようという習癖が出ている。とたんに、一行も書けなくなった。言葉が出てこない。気持ちの持ちようということだが、これほどまでに、精神的なことに左右される自分が、不思議ですらあった。

灯台旅ー写真の選択・補正、旅日誌の執筆ー灯台旅、という循環を、二年間で十一回繰り返した。今後もこの循環は続けるつもりだが、循環と循環の間が長くなるだろうし、灯台写真の撮影流儀も変化するだろう。理由は、前章で記述したので繰り返さない。要するに、これからは、もう少しゆったりした旅をしようということだ。体力と気力の低下を、年寄りの知恵で補うつもりだ。

で、気が緩んだとたんに、向かった先が<PCオーディオ>だった。唐突な話で、なんのことか、おわかりにならないだろうから、少し説明しておこう。

<PCオーディオ>。これは、パソコンにオーディオ機器、つまりアンプやスピーカーを接続して、高音質、高音量で音楽を楽しむことだ。もちろん、パソコンでも音楽は聞ける。だが、音質と音量に、どうしても限りがある。一番簡単なのは、アクティブスピーカーと言って、端子をパソコンのヘッドホンジャックに差し込めば、音質もよくなり、音量も増す。これらの製品は、数千円からあって、とても手軽だ。ただし、デスクトップ周りに置く、小さなスピーカーだから、音楽を本格的に、高音質、高音量で楽しむというわけにはいかない。

となると、どうするか?次に出てきたのが、<DAC>という器具だ。これは、PCのデジタル信号をアナログ信号に変える装置で、パソコンとアンプの間に、この器具をかませて、アンプにつながっているスピーカーから音を出すわけだ。

ただ、これらの製品は、数千円から数十万までの幅があって、その違いがしかと理解できない。むろん、高額な物が音もいいのだろうが、どの程度の違いなのか、比べて実際に聞いたことがないので、なんとも言えない。それに、そんなものに、数十万はおろか、数万円出すつもりもない。金はかけないで、音楽を楽しもうとしている、ケチな爺なのだ。

それに、だいいち、自分はアンプもスピーカーも持っていないわけで、この方法は、すでに<アナログ>の再生装置を持っている人間向けだ。そこで、さらに調べると、<DAC>機能が付いたアンプというものがある。しかも、<USB>端子が付いているものもあり、PCと直接つなぐことができる。素人が、ちょっと考えても、PCとアンプとが、<USB>で<直>につながっている方が、音質がいいような気がする。

ここから、この<USB-DAC付きアンプ>のネット検索が始まった。まったくの門外漢なので、専門用語がわからず、調べるのにかなり苦労した。それでも、しだいに事情が、うっすらとではあるが、理解できるようになった。わかったことは、自分が求めている<USB端子付きの-DAC内蔵アンプ>というのは、従来のオーディオ製品にはないもので、各社が、ここ十年くらいの間、開発にしのぎを削っている製品らしい。

その背景にあるのが、音楽の<ストリーミング>だ。これは、つまり、一種の<サブスト>で、月額千円ほどで、ネット配信されている数千万曲の音楽をPCで聞けるというサービスだ。こうなると、<CD>を買う必要性が薄れる。しかも、<CD>を出し入れする手間も省け、保管する場所もいらない。それに、<ストリーミング>される音楽の音質が、<CD>の音質と同等、あるいはそれ以上の音質なのだから、<LPレコード>が<CD>にとって代わられたように、今度は<CD>が<ストリーミング>に、とって代わられる時代になったようだ。

はなしを戻すと、この<USB端子付きの-DAC内蔵アンプ>の製品調査と購入に、ほぼ一か月の間、何かに取り憑かれたかのごとく、夢中になっていたのだ。とくに、購入に関しては、<メルカリ>と<ヤフオク>に多大な時間を割いた。結局は、相場より、少し高い物を買ってしまったようだが、損をしたという感覚はない。これまで、ネットで<中古>の物を買ったことがなかったので、これはこれで、ひとつの勉強?になった。あと、どうでもいいことだが、<ヤフオク>の落札方式は、ストレスはたまるが、よく考えられた方式だと感心した。ま、<旅日誌>の完結間近に、とんだ逃げを打ってしまったわけだ。

ところで、スピーカーも入れれば数十万にもなる音響機器を買い入れるほど、君は音楽が好きだったっけ?もっともな話で、その疑問に答えよう。

音楽は、基本的に好きである。小学生の頃から、ビートルズなどを、お年玉をためて買ったソニーのトランジスタラジオで聞いていた。高校生になり、ステレオを買ってもらい、R&BやJAZZを、勉強もしないで、深夜まで、ヘッドフォンで聞いていた。だが、大学に入り<演劇>を志してからは、ぴたっと音楽を聴くのをやめてしまった。というか、聴く時間が無くなった。そのまま、あっという間に四十年以上たってしまい、爺になってしまった。

最近は、ほぼ終日、PCの前に座って作業をすることが多くなり、その気晴らしにと、<ユーチューブ>などで欧米のポップスを流すようになった。これが意外に良くて、かなり癒された。才能のある若い歌手がたくさんいて、みな、いい歌を歌っている。

そんな矢先に、ジャズ好きの旧友と再会した。彼の影響でまたジャズを聴き始めた。彼とのジャズ談義の中で、やはり、PCで聞いているだけでは面白くない、という話になって<PCオーディオ>にたどり着いたわけだ。

たしかに、PCの作業に疲れて、一息入れる時などに、外からも聞こえるほどの大音量で曲を流すと、かなりの気分転換になる。むろん、世間から苦情が来ない範囲でだが。それと、<ストリーミング>という方式での音楽鑑賞は、好きなアーチストの音楽を、BGM代わりに、延々と流し続けることができる、という点でも、とても便利だ。なにしろ、この<ストリーミング>には、世界中の、ほぼすべてのアーチストの、ほぼすべての音源が網羅されているのだ。

いまのところ<ユーチューブ・ミュージック>月額¥1180が高いとは思えない。なにしろ、すでに、数千曲以上を<ライブラリー>に保存していて、瞬時に聞くことができる。朝から晩まで、好きなアーチストのジャズやブルースを、かなりの音質で楽しんでいる。もっとも、その弊害?として、PCでの作業がはかどらない、ということもある。音楽に聞き入ってしまう時間が多くなったからだ。

いや~、それはそれで、いいだろう。なにしろ、灯台撮影の流儀をかえたわけだし、時間に追われることもなくなった。それに、寄り道が、本道になっても構いはしないのだ。結局のところ、ぶらぶら、気ままに、興味の向くままに歩いていく方が、楽しいし、性にあっているのかもしれない。

とりあえずは、<網走旅>の撮影画像の補正と旅日誌を終了させて、<マロウンは死ぬ>の朗読を再開しよう。来年の春には、車中泊しながら、北海道の灯台巡りだ。さてと、好きな音楽を聴きながら、ゆるゆる行ってみるか。あと十年くらいは、この幸せな時間が続いてもらいたいものだ。ちょっと、欲張りすぎかな。

2021-12-10 <灯台紀行・旅日誌>網走編#1~#15 脱稿

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