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<灯台紀行 旅日誌>2020年度版

<灯台紀行 旅日誌>2020年度版 愛知編 #8
赤羽根防波堤灯台~伊良湖岬
 
渥美半島の太平洋岸、赤羽根海岸に着いたのは、<11:00>頃だったと思う。正確には、<道の駅あかばね ロコステーション>の駐車場に入ったわけだ。まず、そのアカぬけた施設のトイレで用を足した。自販機で缶コーヒーを買って飲んだような気もする。見回すと、あった。防波堤の先端に、もろ、逆光の中、お目当ての赤羽根防波堤灯台が見えた。だが、かなり遠いぞ。車を海岸沿いの駐車場へと移動した。ほんの二百メートルほどだが、灯台までの距離を稼いだことになる。ジジイの習性だ。
 
周辺は、芝生広場になっていて、整備されていた。トイレの建物も、公衆便所とは呼べない感じで、凝ったデザインだ。いまネットで調べて知ったのだが、この辺りは、<太平洋のロングビーチ>と言って、サーフィンの名所だそうな。外に出た。あまり気乗りしなかった。というもの、逆光なのだ。どう考えたって、きれいには撮れないでしょう。それに、遠すぎないか!
 
ぶつぶつ言ってもだめだ。ここまで来て、撮らないで帰るわけにはいかないだろう。防波堤灯台へ向かって歩き始めた。何やら工事をやっている。さらに近づくと、防波堤は立ち入り禁止、工事用のバリケートで仕切られていた。だが、簡易的な可動式のバリケートを並べているだけだから、簡単に突破できる。それに、灯台の近くには釣り人が何人かいる。立ち入り禁止など、まったく関係ない。ほとんど、何の罪悪感も感じないで、バリケートをまたいだ。
 
灯台に近づくにつれ、逆光よりも、その根本あたりにいる釣り人が気になってきた。なぜって、画面に、もろ入り込んでしまうのだ。赤羽根防波堤灯台は、よくよく見ると、赤羽根港の右岸側の先端にある。つまり、カタカナの<コ>の字の、下の横線の左側の先端に位置しているのだ。むろん、<コ>の字の開いている方に海があり太陽がある。いま自分はその<コ>の字の下の横線上にいて、左に向かって歩いている。先端に灯台があり、その手前に釣り人いる。邪魔なのだが、どうしようもないではないか。
 
だが、さらによくよく見ると、その<コ>の字の下の横線の、左側先端から、真下に少しだけ防波堤がある。つまりどういうことか、釣り人を少しかわして、灯台を横から撮ることができるということだ。ま、その位置取りに一縷の望みを託して、とりあえずは、強風の中、危ないからなるべく防波堤の真ん中に寄り、撮り歩きしながら先端に近づいた。灯台の根本に着くと、その周りを、ぐるっと360度回った。柵があるわけでもなく、すぐ後ろは海だ。突風が来て、よろよろっと、そのまま海の中へドブン、という可能性がなくもない。強風だったが、幸いにも、突風は来なかった。
 
先端の赤い灯台は、防波堤灯台とは言え、自分の背丈の三倍以上はあった。その根元に居るのだから、魚眼レンズでも使用しない限り、その全体は撮れない。要するに、写真が撮れる位置取りではない。したがって、灯台の周りをまわる必要もなかった。回ったところで、面白くもおかしくもなかった。だが、ここまで来た記念だ。灯台の、赤いぶっとい胴体をアップで撮った。
 
一応は、被写体に可能な限り近づき、その周りを360度回って撮影ポイントを探す、という写真撮影に関しての、自分なりの流儀を貫いたわけだ。だが、この時は、まったく意味のないことだった。<流儀>などよりも、身の安全や体力の温存を優先すべきだ。同じような過ちを、これまで、幾度となく繰り返してきたような気がした。
 
防波堤に座って釣りをしている爺を見た。こちらの思惑など、千に一つも理解していないだろう。ま、いい。逆光だし、この位置取りでは、灯台の見栄えもさほど良くない。いまだ可能性が残っている短い防波堤の方へ行った。ま、たしかに、多少はいい。だが、逆光も釣り人の爺も、さほどかわすことはできず、灯台のフォルムもイマイチだ。無駄足だった。苦労して、ここまで歩いてきた自分が、もう自分でも理解できなかった。
 
戻った。はるか彼方に、車を止めた駐車場が見えた。あそこまでまた歩くのかと思って、うんざりした。とはいえ、辺りの景色は素晴らしかった。とくに、弧を描いた砂浜がきれいで、波打ち際がエメラルド、海の色はマリンブルーだった。人影がほとんどないのに、もの悲しい感じはせず、南の島のような雰囲気だ。自分にはそぐわないが、いやではなかった。

<11:45 出発>とメモにある。と、これ以前の出来事をひとつふたつ付け加えておこう。駐車場に戻って、着替えをして、こじゃれたトイレで用を足した。着替えに関して言えば、寒いのに、歩き出すと背中にだけ汗をかく。この現象は、カメラバックなどを背負っていればなおさらで、背中だけが、なぜこれほどまでに蒸れるのだろうかと、今更ながら思った。こじゃれたトイレに関しては、野次馬根性というか、冷やかし半分、中がどんな感じか見てみたかったのだ。ワンコが片足を高く上げて、電信柱にオシッコをひっかける、マーキングに似ていないこともない。
 
<12時30分 伊良湖 着>。八時ころ出発したのだから、四時間半たっていた。途中、赤羽根灯台で小一時間引っかかっていたのだから、実質、三時間半かかった。ま、予定通りだな。と、気まぐれだ、少し時間を戻そう。赤羽根海岸を後にして、伊良湖岬へ向かっていくと、じきに、見上げるような岬のてっぺんに白い大きなホテルが見える。なるほど、あれが<伊良湖ビューホテル>か。旅に出る前、一度予約に成功したホテルだ。値段的には、<Goto割り>適用で、確か一泊素泊まりで¥10000ほどだった。下を通り過ぎながら、泊まってみたかったなと思った。ちなみに、キャンセルしたのは、日程上の問題で、致し方なかったのだ。
 
さてと、伊良湖岬に着いた。灯台へ行くには、<恋路ヶ浜駐車場>に車を止めて、海岸沿いの遊歩道を10分ほど歩いていくしかない。駐車場は無料、広くて、トイレもあり、ちゃんと管理されている。土産物店などが五、六軒、敷地の外に並んでいて、食事もできる。外に出て、まず、太陽の位置を確認した。正面の海の上、冬だから、角度的にはさほど高くない。きれいな写真が撮れる位置にある。
 
おそらくは、カメラ二台を肩にかけ、三脚を手に持って、歩き始めたのだと思う。砂浜沿いの遊歩道は、途中、ちょっとだけ砂で覆われていて歩きづらかったが、おおむね石畳の道で、問題はない。うしろを振り返ると、きれいな砂浜が弧を描いていて、断崖の上、岬のてっぺんに伊良湖ビューホテルが見える。右側は、崖で、山が迫っている。五分ほど歩くと、左側の砂浜が切れて岩場になる。だが、岩場が続くわけでもなく、波打ち際は、じきにテトラポットでガードされるようになる。
 
波打ち際と遊歩道との高低差、ないしは、距離は十メートルくらいある。テトラが波際の最前線で、二重、三重の防御だ。さらに本隊は、大きな石たちで、遊歩道の縁まで段々に積み上げられている。が、いま思えば、この大きな石たちは、波際対策のみならず、景観を配慮しての配置だったようにも思える。というのも、かなり広い遊歩道の左側、すなわち海側には、腰高の大きな石を並べて作った塀があり、狭いながらも、その上を歩こうと思えば歩けるほどだ。
 
要するに、かなり金のかかった、凝った造りともいえる。その石塀のすぐ外側に、無機質なテトラポットが積み上げられていたら、これはもう興ざめだろう。波際最前線のテトラは、致し方ないとしても、目の届く範囲は、やはり、石塀や石畳と同じ材質の石を配置して、全体的な統一感を演出する必要がある。つまり、この遊歩道は、単なる遊歩道ではなく、ある一つのコンセプトに基づいて制作された芸術作品だったのかもしれない。
 
だが、この遊歩道は、よいことばかりでもなかった。灯台に近づくにつれ、なにかが刻字されている石が目立ち始めた。近寄ってよく見ると、俳句らしきものが刻字されている。それも、一つや二つではない。軒並みだ。大きな石の表面を削って平らにし、そこに、俳句を彫り込んでいるのだ。俳句に興味がなく、鑑賞できない者にとっては、ほとんど無視するほかあるまい。だが、ためしに、一つの石に近寄って、刻字されている俳句を眼で追った。やはり、何のことかよくわからない。むろん説明もない。お手上げだった。
 
いま調べてわかったことなのだが、遊歩道の石に刻字されていたのは、江戸時代後期の、渥美半島の漁夫歌人<糟谷磯丸>の<まじない歌>だったらしい。そして、この石畳の道は、別名<いのりの磯道>=<磯丸歌碑の道>というそうな。てっきり、伊良湖岬に関係する俳句や和歌だと思っていたが、ああ、勘違いでした。
 
とはいえ、句碑、歌碑が多すぎないか?ありていに言えば、いくら地元の有名な歌人とはいえ、石塀の表面に、軒並み俳句や和歌を刻字して並べるのは、あまりに心無い。もう少し、配列の美しさ、読みやすさへの配慮があってもよかったのではないか。たとえば、数を減らして、石塀の石とは別個の石に刻字し、歌碑、句碑とすることもできたろう。そもそも、和歌や俳句は、石にではなく、心の中に刻字されてしかるべきものだ。無筆の歌人<糟谷磯丸>も、観光客がふと立ち止まって、自分の歌を心の中で反芻することを、望んでいるのではなかろうか。
 
広い石畳の道、巨石を並べた腰高の長い石塀、膨大な波消し石、それに波の音、海、空。伊良湖岬灯台への道は、清々しい。それだけに、句碑、歌碑の設置、展示方法の齟齬が残念だった。

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