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<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

第9次灯台旅 出雲編

2021年4月18.19.20.21.22.23日
 
 出雲旅一日目

4:30分起床。朝の支度、朝食・お茶漬け、目玉焼き、牛乳。排便なし。むろん、便意もない。5:35分出発。外はすでに明るくなっていた。5:54分、急行池袋行の電車に乗る。予定より一本早い電車だ。カメラを二台入れた重いカートを引いていくので、少し、というか、だいぶ早めに出発した。

池袋駅の東上線にも山手線にもエスカレーターがあるので、助かった。むろん、エスカレーターがホームのどの辺にあるかは下調べした。山手線外回りのホームで少し待って、上野行きに乗る。

7:00分、浜松町到着。モノレール乗り場へ行く。7:30分、<JAL>の第一ターミナルに到着。だいぶ早い。施設内のセブンイレブンでアイスコーヒー¥100を買う。受付カウンター前の、広いロビーの椅子に座って時間調整。

8:00分、保安検査通過。かなり大きめだったリックとカートが、無事に通過した。案ずるよりも生むがやすし、か。歩くエレベーターなどに乗って搭乗口三番へ行く。かなり歩かされる。一番端だ。

8:30分、搭乗口前の待合室で休憩、日誌を書く。9:00分、排便・少し出る。温水便座のきれいなトイレだった。念のために、機内で飲む飲料水¥113を売店で買う。10:10分、羽田空港出発。

11:45分、出雲空港到着。天候不良のため、すぐには空港に下りられず、旋回していたようで、少し遅れる。たしかに、着陸間際には、雲で視界がほとんどなかった。窓から見たのだ。

12:00分、ニッポンレンタカーの営業所着。料金は楽天カードで支払い済み、五日間で¥27720。車はシルバーのスイフト、軽よりは多少大きい。新車で、まだ74キロしか走ってないとのこと。これはラッキーだった。

そういえば、空港から営業所まで送迎してくれた若い社員が、おしゃべりな奴で、車の中で、いろいろ話していた。出雲空港は、宍道湖の上昇気流などの影響で、風が強い。昨日も突風や落雷があった。到着時、飛行機がぐるぐると空港の上を回っているので、降りられるのか心配していた、というのだ。ええ~と思った。乗っている方は、そんなことなど全然知らなかったのだ。

ホテルのチェックインが15:00なので、時間調整方々、<出雲そば・羽根屋大津店>へ行くことにしていた。ホテルからさほど離れていない。ナビに従って国道を走り、たしか大きな橋を渡ったあとすぐの道沿いに、その蕎麦屋はあった。店の前の駐車場が狭い。が、ちょうど一台出たので止められた。

出雲そばの有名店なので、さすがに、入口で二組待っている。名前を書いて待つ。女性の従業員が一人で、客の対応に大童だ。とはいえ、店内はコロナ対策なのか、席の間隔が広く取られていて、四組しか客がいない。じきにカウンター席に案内される。ひと席あけて、隣で、爺が、ひるまっから、ビールや日本酒を飲んでいる。どういうつもりなのか、車で来たのなら飲酒運転だろう、近所の常連なのか?

三色割子ソバを頼む。ソバは、かなりうまかった。とくに汁の味がいい。¥1000。気に入ったので、そば好きな旧友のお土産にと、乾麺と半なま、それに汁を買う。自分のと合わせて六食分¥2200。だが、汁は失敗だった。店の女性が、店で出しているよりは味が落ちるといっていたが、その言葉通りで、パック詰めだから、しょうがないだろう。

14:00分、ホテルへ引き返す途中、国道沿いに大きな商業施設・ゆめタウンがあった。その中のスーパーに入って、食料の買い出し。飲料水・これは、ホテルの水が飲めたので無駄だった。牛乳、バナナ・これは冷蔵庫を冷やしすぎて凍らせてしまい、皮が真っ黒になり、一本は捨てた。あとは、クロワッサンの袋入りとアンドーナツ、おにぎりなどを買った。¥2260。

それと、ドジなことに、ポシェットの<携帯オロナ>を紛失してしまったので、併設されているドラッグストアで<オロナイン>の大びんを買う。¥620。自宅用もそろそろきれるので、大きいのにしたのだ。ちなみに、オロナインは持病の<切痔>対策で、排便後に局部に塗っている。

14:00分すぎ、ゆめタウン駐車場で待機、激しいにわか雨だったが、すぐにやむ。15:10分、<出雲空港ホテル>にチェックイン。五泊で¥26500、楽天カードで支払い済み。まずまず整った部屋だったが、室内のカーペットの汚れが、我慢の限界を越えている。それに、ストールなどにもタバコの焼け焦げがあった。あと、小型冷蔵庫の内部が少し破損している。もっとも、これは冷蔵機能には問題なさそうだ。

ま、全体的に見れば、一泊¥5300は、安いともいえる。それに、良いところもあった。大きな窓からは、出雲のなだらかな山が見えた。この風景はとてもいい。受付カウンターの対応などは、その都度、受付の人間がちがうので、よく覚えていない。おそらくは、みな、ビジネスライクで問題はなかったのだろう。なにか不快な思いをしたならば、憶えているはずだ。

それと、コロナ対策の検温は、入退館時に必ずあった。これは、いいことだ。あと憶えていることと言えば、部屋のドアの開け方に癖があり、始めは開けられなかったことだ。あれっと思って、ノブに引っ掛けてある注意書きを、メガネを取り出して読んだ。鍵を差し込んで、そのまま押しながら左に回す。やってみたらすぐにできた。

なお、ユニットバスはきれいで、テレビも大きい。ほかの調度品はやや古いが、これは致し方ないことだろう。さてと、夕方の撮影に備えて、すこし寝ようと思った。だが考えてみれば、時間的に無理だったし、気分が高揚していて、すぐには眠れないだろう。昼寝はあきらめた。

16:00ホテルを出発。ナビに<出雲日御崎=ひのみさき灯台>を指示する。レンタカーのナビは自分の車のナビよりは簡易的なものだったが、細かい操作などはわからない。わからないというか、調べるのが面倒だったので、案内の声がやや大きかったが、そのままにしておいた。

灯台までは27キロほどで、出雲市内を通過して、小一時間ほどで到着。ただし、最後の五、六キロが岬の上へと続く、急な坂道で、道も狭い。やや緊張する。17:00分、灯台撮影開始。念のために、ウォーマーを上下着込む。何しろ風が強くて寒いのだ。比較的広い駐車場の灯台側に、飲食店などが何件か並んでいて、その前を通っていくと、灯台前の、ちょっとした展望スペースに出る。たしか、ベンチなども置いてあった。

18:30分、灯台点灯、七色のライトアップ。色合い的に、やや品がないが、ここまで来た以上、すべての色を、几帳面に撮った。あとで気づいたことだが、灯台の正面構図は、この時は、時間外で敷地に入れないので撮れないと思っていたが、実際には、敷地をぐるっと囲んでいる塀の外にスペースがあり、正面からも撮れる。さらに、後日になって、その塀の後ろが斜面になっていて、上に通路があり、そこからも正面構図で撮れることが判明。これにはちょっと、参った。この時は、したがって、側面から、下見したよさげな場所、二か所で撮る。

20:00まで粘る。帰路。急な坂道で、夜の運転に気を使う。21:00前に、ゆめタウンに入り、ボラギノールの注入剤を買う¥2000。これは予想外の出費で、自宅には注入剤がまだある筈だ。とはいえ、痔が悪化してしまった。肛門まわりが腫れていて、違和感がある。これ以上、悪化させるわけにはいかない。金の問題じゃない。

21:00すぎにホテルに着く。すぐに風呂にはいり、そのあと局部に注入剤を入れる。ノンアルビールを一本のみ、ポテチをつまむ。夕食は、おにぎり、餡ドーナツなどを食べたのだろう。そのあと、日誌をつける。いちおう、今日撮った画像のモニターなどもした。23:00すぎには寝たと思う。ただし、眠りは浅く、一、二時間おきにトイレ。

ま、それにしても、移動日のわりには、夜間撮影が疲れなかった。やはり、長距離の高速運転よりは、飛行機の方が楽なのだろう。本日の走行距離75キロ。

出雲旅二日目

2021-4-19(月)快晴。5:30過ぎに目が覚める。昨晩は一、二時間おきにトイレ、眠りが浅い。7:00起床。洗面、朝食・パン、牛乳、おにぎり二個。なお夜中に、菓子パンなどをストレス食い。排便・小が二回。肛門は注入剤のおかげで違和感はなくなる。

8:30出発。ナビの履歴を見て、出雲日御碕灯台にタッチ。ファミマでコーヒー¥100。途中、大社漁港により、防波堤灯台などをゆっくり撮る。

11:00 日御碕灯台着。撮影開始。12:30ひと回りして、いったん終了。そのあと、灯台に登る。¥300。日本一高い灯台なので、覚悟決める。だが、きょうは、カメラバックを背負っていないせいか、楽だった。ただ、最後の二メートル、垂直に架けられた梯子階段が、狭くて急だった。そこはちょうど、灯台の一番細くなっているてっぺんの部分なのだ。

狭い入口をくぐり、外に出る。ものすごい強風。ステンの柵は胸の高さまであり、安心ではある。とはいえ、やや怖い。いちおう360度回りながら、海の写真などを撮る。絶景であることに間違いはない。そういえば、この灯台は、靴を脱いで上がる灯台だった。鉄の螺旋階段を登って行くうちに、足の裏が冷たくなった。真冬は、たまったもんじゃない。

強風にめげて、早々に引き上げ。螺旋階段を下り出すと、途中で、何組かの観光客と鉢合わせ、互いに身をかわしてやり過ごす。下に着き、靴を履いていると、受付のおばさんから、手の消毒を促された。島根県は今の時期でも、コロナ感染者が、全国で一番低いのだが、コロナ対策は、灯台に限らず、コンビニ、飲食店などでも、埼玉などより徹底しているような気がした。

そういえば、ちょっと前、島根県知事が<聖火>は来ないでくれと発言し、それに対して、地元の大物政治家が注意しておく、とか言って、権威的な発言が問題になったことがあった。

ついでに書いておくと、出雲地方は、両端の程よい距離に、なだらかな山があり、なんとなく穏やかな感じの風土だ。自動車も、軽が多く、車間をつめたり、あおり、あおられたりしているのを、一度も見なかった。言葉遣いは、あまり訛りがなく、標準語に近い。女性は色が白く、やや控えめな感じ。街並みは、出雲市内はもちろんのこと、周辺部の道も整備されていて、開けた感じがした。

13:00頃だろうな、車で移動。北側?の漁港へ行く。防波堤灯台はない。というか、道が細くて、見つけるのがめんどくさくなった。引き返して、今度は、東側の日御神社へ行く。鮮やかな朱色のやや大きめの社だった。とはいえ、拝観する気にはなれず、付近の駐車場に車を止めて、目の前の経島=ふみじまを撮る。ウミネコの生息地で、なるほど、島の斜面にたくさんいる。ただし逆光なので、きれいには撮れなかった。すぐに車に戻り、一息ついていると、二人組のおばさんから、道をたずねられた。こっちもよくは知らないが、岬の坂を登って行けば、灯台は見えるはずだ。

そうか、と思い、おばさんたちが下りて来たのを見計らって、今度は、こっちからたずねた。灯台は見えましたか?見えました、との返事。ならば、少し行ってみるか。歩き始めると、眼前の坂は、意外に急で距離もあり、日差しが強くて暑い。すぐに後悔した。しかも灯台は、半分くらいしか見えず、経島を見下ろす展望台からの眺めも、たいしたことなかった。逆光だしね。

15:00前に灯台の駐車場に戻る。15分くらい車の中で休憩。15:30撮影開始。なんだか、ひどく疲れている感じ。体が重い。下見した場所を、またひと回りしながら、写真撮影。今日は、夜間撮影はしない。連日は無理だ。それに、今晩は夕食がわりに羽根屋本店で出雲ソバを食べるつもりなのだ。

17:00 撮影終了、トイレ脇の自販機で、グレープジュース¥140を買って飲む。炭酸がきいていてうまい。引き上げ。18:00前に、出雲市内の羽根屋本店に到着。ほとんど客がいない。出雲ソバの有名店で、休日は車が止められないほど混雑するらしいのだが、今日はラッキーだ。割子 ソバと釜揚げソバを頼む。昨日食べたような、うま味、感動はないものの、まずくはなかった。汁は甘めでダシがきいていて、これは昨日の大津店と同じ。ソバが固めなので、釜揚げだと柔らかくなり、食べやすい。割子、釜揚げ、両方とも、自分で<そば徳利>から汁をかけて食べる。二人前食べて満腹。断りを入れて、店内を撮影させてもらう。¥1640。

ホテルへ帰る前に、通り道の9号線沿いにある、ゆめタウンで食料の買い出し。パンやおにぎりを買う。¥630。19:00ホテル到着。すぐに風呂、顔に塗った、日焼け止めが不快なので、すぐに洗い流したいのだ。風呂上がりにノンアルビール、ポテチ。20:30 疲れた。何とか日誌だけは書いて、寝る。走行距離63キロ。
 
備考
第9次灯台旅、出雲編は、旅後には書かれなかった。というのは、この時期、旅日誌を書く気力がなくなっていたからで、理由はどこかで書いたが、多大な労力をかけた割には、人様に読んでもらうほどの文章になっていないことを、痛切に自覚したからである。要するに、アホな文章を臆面もなく公開していたことに、嫌気がさしたのだ。

とはいうものの、時間が少し経ち、冷静になると、自分用の忘備録として、<メモ書き>を<旅の記録>として、まとめておこうという気になった。だが、書き始めると、日記風の文章を、旅日誌的な、ある程度ちゃんとした文章にしたいという欲がでてきた。

そこで、少し努力してみたが、すでに、時間がたちすぎていて、灯台撮影の詳細については全く思い出せない。旅の主なる目的が、灯台撮影なのだから、その旅日誌も、当然、その辺を中心にして、書かれるべきなのに、何も書けない。いや、その努力ができなかったわけで、結局は、<メモ書き>を転写したような文章になってしまった。

したがって、この<出雲編>は、脱稿した時点では、公開するつもりはなかった。だがしかし、徹頭徹尾、<いいかげん>であることをお許し願いたいが、いまになって、この<出雲編>だけが公開されないのは、2020年度から始めた、編年体形式の<旅日誌>の一貫性が崩れるような気がしてきたのだ。もっとも、アホな文章群に、一貫性もヘチマもないのだが、ともかく、文章的にどうのこうの、というよりは、帳尻を合わたいという気分が上回ったのだ。

それと、時間がたちすぎていて、現在では<旅日誌>執筆への心境も変わっていて、2023年度以降の<旅日誌>は書かない、あるいは、書けないと諦念している。それだけになおいっそう、せめて、2020年度から2022年度までの<旅日誌>では、その編年体としての、一貫性を保持、完遂したいという気持ちになったのだ、と思う。

これはちょうど、収集している記念切手が、ある年代だけ欠けているので、気になっている、あるいは、ぜひとも手に入れて、コレクションを完成させたい、という気持ちに似てないこともない。それはともかく、正直なところ、この第9次灯台旅<出雲編>の文章が、なんとなく手を抜いた<日記風>な文章になっていることを、だれとはなしに、言い訳したかったのである。ご勘弁を願いたい。
 

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