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さんぽのうた/なにかの縁起で

2022.1.10

今日は成人の日。わたしは行かなかった。ハレの日、ハレの場というものに一体どんな顔をして出ればいいのか、どうそこにいたらいいのか、昔からわからないから苦手だ。照れではない、一体なんのために今それが行われているのかわからないから居心地がわるいのだ。その場の統一された空気感や皆がおなじ立ち振る舞いをしている様子も好きじゃない。結婚式も本当は出たくないし、自分がやるなんてとてもじゃないけど考えられない。成人式も出たくない、卒業証書もいらない、結婚式もやらない、そういう娘でとくに母は残念に思ったと思う。

一日曇り空で、体も重い。どうにもこうにもならないから、散歩へいく。ハレの日の正装をした何人かとすれ違う。二十歳、おめでとうと、目線で声をかけてみる。見ず知らずの人たちのまぶしい未来に目を細める。わたしはというと、時間の魔法がかかってもうすぐ三十三歳になる。ここでこんなふうに恥ばかりさらしながらなんとか生きている。

散歩はすきだ。小さな体に閉じ込められているわたしが体を飛び出し自由自在に駆け回り始める。あるわたしはブラジルまで行っているかもしれない。どこかにいる祖母にも会いにいく。わたしにもわたしがどこまで行っているのかわからない。ひとたび歩き出せば、わたしの中で世界中のできごとが起こり始める。どこかで花も咲くし、草が伸び、葉が揺れる。何かは朽ちて、何かは途絶え、何かは生まれ、何かは土へ還っている。わたしはすべてを体験する。透明になる。こんなわたしが生きている。生きているのを知る。ひとりではとっくの昔にくたばっているだろうに、なにかの縁起が、こうして今日今もわたしを生かしてくれている。信じられないような出来事が今ここで起こっている。わたしを生かしてくれているものにお礼をいいたい。言い切れる訳がないことを苦しいほど分かりながら心の中で言う。

するとそれは宇宙の果てまで行ってすぐさまわたしのところへ戻ってくる。この光の動きが私に一生の短さを教える。わたしは私であってもう私ではなくなる。この縁起には終わりがない。時間だってここにはない。わたしはでもこの体で、ここで生きる。歳を重ねるごとにどんどん明け透けになってしまうこの体で。死ぬその時まで。いつかこの体を離れる日がくるなんていったい誰が真に受けることができるだろう?

リルケのこの詩がすきだ。

Let everything happen to you
Beauty and terror
Just keep going
No feeling is final




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