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ただしい一日の暮れかた


 
 あの日、伊勢原の里山の、ひと通りもまばらな道ばたにほっかむりをしてちょこんと座りこんで、電車やバスに乗っているときの子どもみたいに足をぶらぶらさせながら野菜とみかんを売っていた、ちいさなおばあちゃん。


 雨足も本格的になり、そのへんの農作業用のおおきなかごを道路の向こうがわへと吹き飛ばすくらい風がつよく吹きはじめているのに、おばあちゃんだけが時がとまったかのようにまったく動じず、歳をとった野良猫のようにジッ、と地べたに座ったままでいる。ぼろぼろのちゃんちゃんこを着る、というよりちゃんちゃんこに着られながら、ほっかむりのあいだからのぞく鹿のような澄んだ目は、なにもとらえていなかった。

 田舎をおとずれてそんなおばあちゃん、おじいちゃんの日常にふと出くわすと、じぶんなんかより遥かにとてつもなくおおきなものがすーっとじぶんのうしろへ一気に引いていくような、今が今でなくなって急にふるい記憶がよみがえってくるような、ふしぎな感覚になる。

 かれらが生きている時間は、その昔にじぶんも生きていた時間のような気がする。今の時代に生まれたわたしは、その時間を生まれながらに手放してしまっているけれど、あんなふうに過ごしていた時間をからだのどこかでちゃんと記憶していて、かれらをみるとそういうものが一気に戻ってこようとする。

 先日、あるドキュメンタリー映画にでてきたお年寄りたちをみたときも、おなじことをおもった。そこは日本海に浮かぶ離島の最北端で、海と里のたっぷりとした恵み以外にはとりたててはなにもないような、最果てということばがぴったりの、ほんものの田舎だった。

 あるおばあちゃんが、おなじ集落の知りあいのおばあちゃんの家の倉庫に、柿をもらいにやってきた。干し柿にするために。柿をいっぱいもっているほうのおばあちゃんは「いいよいいよ、持ってって」といい、もらいにきたおばあちゃんは「ほんとにいいかい?わるいねえ」といいながらすでに、ひっさげてきた袋にごろごろと柿を詰めている。 

 それが済むと、もらいにきたおばあちゃんはよっこいせ、と重たくなった袋をかるがる片手で背負い、とくに柿をくれたおばあちゃんの顔をみることもなく、ありがとね、といい残してゆっくりと来た道を戻っていく。

 その背中を画面越しに眺めながら、これからゆっくり歩いて家に帰って、ひと息ついたら柿をよく洗って、ひとつづつ慣れた手つきで下処理をして、ていねいに軒先につるしていく、そのうちいつのまにか日が暮れている、そんなおばあちゃんの一日を逆走馬灯みたいにしてふいにみたような、そんな気になった。なんていい一日なんだろう、とおもった。なんて豊かな時間を、おばあちゃんは生きているのだろう。
 
 日本海のおばあちゃんは、干し柿を作ったら一日が暮れる。伊勢原のおばあちゃんは、野菜を売るために道ばたに座り込んでいたら一日が暮れる。そういうふうに、おばあちゃんたちの毎日はできている。

 柿をあげたほうのおばあちゃんもそのあと、収穫したくるみを隣の集落まで届けるんだといってゆっくり歩いて行ったけれど、やっぱりその背中をぼーっと眺めていると、行って帰ってきたらそこで一日が暮れているんだろうな、とおもう。

 おなじ集落のおじいちゃんも、畑にやってきたはいいものの、バッテリーがおかしくなったようで農耕車が動かない。おじいちゃんはもう慣れっこというふうに、とくに動じることもなくゆっくりと直しはじめるのだけれど、なかなか直らず、それでもマイペースにああしてみたりこうしてみたり、無表情のまんまでいろいろな方法を試していく。きっと、このままおじいちゃんの一日は暮れるだろう。

 ほかにも野菜を収穫して暮れる一日や、縫いものをして暮れる一日、赤飯を炊いて暮れる一日、漁師の家族がとってきた魚をさばいて暮れる一日、街の施設で暮らす娘に会いに行って暮れる一日、牛に牧草をやって牛舎を掃除して暮れる一日、たくさんの「それだけをひたすらする一日」がかれらにはある。

 一日かけて、そのことだけをやる。ひたすらやる。そういう日々をかれらは淡々といきている。なんてぜいたくな時間だろう。時間の、ただしい使いかただとも、おもう。それにくらべわたしたちはどうしてあしたや、あさってや、半年先や五年先のことを、こんなにあくせく考えているのだろう。今はいったい、どこにあるのだろう。

 そのときのことは、そのときが来たらやる。今しかできないことだけを無心に積みかさねていくことだけが、かけがえのない人生をつくる。時間を早送りしたり、駆け足で未来までいこうとしたり、そういうことをするのではなく。

 そんなかれらの一日が今日も、どこかで花ひらいていることに思いを馳せながら、目がさめて、庭の植木鉢に水をやって、漢方薬と梅湯をじっくり飲んで、仕事の連絡をちょっとだけ返して、仕事がおもしろいくらいにぜんぜんすすまなくて戸惑ったあげくに庭の掃除をはじめてしまって、昼ごはんに刺身とえのきを醤油とみりんとしょうがとごまで煮詰めた自家製なめたけをお米にのせて丼にしたものをたべて、また庭のつづきをしていたらもう日が暮れかけていて、夜はあたまもからだも休ませたいからごはんをつくってたべたらひたすらぼおっと映画を観るか本を読む、生産性とも稼ぎ高とも無縁のじぶんの一日をそっと肯定する。





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