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こどもをうむ とは

「え、妊娠したって働けるじゃん。ほら、○○さんだってやってるよ」

パートナーがなんの気なしに言った。うげ、いのちを宿すということをいったい全体なんだと思っているんだろう。サブテクストはこうだ。「妊娠が働かない言い訳になるなんて思わないでね」ほんとうに?「子どもほしい」というのを「明日の朝ごはんはパンがいい」みたいに言うよなあ、とこれまで生きてきてなんどかおもったことがある(じぶんごとだけじゃなく)。妊娠を、我慢していつも通り仕事すべきであるしできる、一時的な体調不良くらいに思っているのだろうか。

いくらなんでも能天気すぎるので「そもそもさ、なんで子どもがほしいのか考えたことある?」と聞いても、返ってくるのは「え、それはほら本能だから」という返事のみで・・・いや、それはそうなんだろうけど・・・子どもを産むのはあなたの仕事じゃないからそんなふうに言えるのかもな、と思ってしまう。こちらは体も心もフルに使って人生の大切な一定期間をちゃんと割いて満身創痍で産むというのに。それを「妊娠中だってふつうに仕事できるよね」「大袈裟に言いなさんな」とはなあ、と思うのである。

それに「○○さんだってやっているから」とすぐに言われてしまうのも解せないのだ。あほなんちゃうか、といらいらめぐちゃんがあばれはじめる。ああ、小さい頃から、母親もずっと言っていた魔法(わるいほうの)の言葉。母がことあるごとにわるい魔法をかけまくるので、それならばと、わたしがなにかあった時「○○ちゃんもやってるからやりたい」「○○ちゃんちはこうだってよ、うちもそうしようよ」と切り出すと「うちはうち、よそはよそ。ダメなものはダメ」と一蹴される。大人って矛盾だらけ!といらいらめぐちゃんはなんどもあばれまわる。

話が逸れたけど、よくよく考えると、子を産むほうとそうでないほうの立場のちがいはすさまじいものがある。産むほうが十月十日思うようにならない体を抱え、できないことがどんどん増えていく中で格闘し、日々慎重に体調管理をしながら仕事もやりたいこともうまくできないなか(もちろんこのうえなくしあわせだったり満ち足りた気持ちになる瞬間だってあるんだろうけれど)、激しい痛みに耐えて産み落とさなければならないいっぽうで、そうでないほうは、ただ待っていれば魔法のようにある日ポンっと目の前に現れちゃうんだもの。

もちろん妊娠を、ただつらいだけのものとして見ようなんて思っていない。なんともないわ、っていう人も中にはいるのかもしれないし、大丈夫大丈夫!人間なんとかなる!とゆったりかまえている精神は重要でもある(わたしはほうっておけばネガティブに考えるくせがあるし)。でも、そうばかりも言っていられないと思うのも、また事実な気がする。いのちをひとり、このからだに宿すんだから。それをそう、かるがるしいことのようにお思いになるのは、とんだまちがいなんじゃないかしら、と思ったのです。

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