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百年、一日にも満たない時間


2023.3.10

朝、思いたってプランターにパプリカとミニトマトの種を植える。どこで買ったかは忘れたが、固定種の貴重な種。箱根仙石原の堀よしで十割そばを食べ、ポーラ美術館で開催中の企画展「部屋のみる夢」へ。コペンハーゲンの画家ヴィルヘルム・ハマスホイの抑えたトーンで描かれた二作品、「陽光の中で読書する女性、ストランゲーぜ30番地」と「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」がよかった。絵を眺めているじぶんの目が、この瞬間を絵に描きたいとつよく思ったまさにそのときのハマスホイの目とぴったり重なったような気がした。二十一世紀にいるじぶんがたった今ハマスホイその人になり、目の前の彼にとって親しい人物のうしろ姿、その人がいる室内のようす−閉じたドアの感じ、窓から入り込んだ光のうつくしさ、無言の白い壁や床−など、代わりのきかない彼の日常をそっとみつめている。そんなふうに時を超えて感じさせるのはすごいと思った。それは描かれている人物が画家にとって見ず知らずの他人ではなく、母や妹や妻という生活を共にしていた身近な人たちであったというのが大きいと思う。個人的な眼差しのもつ力をひしひし感じた。ヴォルフガング・ティルマンスの写真も好きだった。

高田安規子・政子さんの"Inside-out/Outside-in"


美術館の散策路を歩き、強羅公園の熱帯植物園へ。十メートル以上はありそうなエヴァンゲリオンみたいな巨大な植物を眺めて(しかも触ると鉄のように固い、植物とは思えない)、ああ完敗だ、もうなんでもいい、どうにでもなれ、と思った。湿気と光が豊かに満ちた空間に奄美や沖縄や台湾を思い、胸がきゅうっとなった。湯本の商店街をぶらぶら。天然湯の花をおみやげに買う。人もだいぶ多くなった。外国の人たちもかなりいる。蕎麦屋を探しているというアメリカ人らしき人に声をかけられた。小田原おでんの店にでも行こうかと思っていたが、ふと前から気になっていた湯葉丼の店の前を通りかかったので早めの晩ごはん。湯葉刺し、豆腐、湯葉丼のセット。豆腐が美味しかった。レキシを聴きながら帰る。お気に入りは「狩りから稲作へ」。


2023.3.11

森を歩く。短いコース。朝ごはんのあと庭で「断腸亭日乗」を読む。今よりちょうど百年前の部分を読んでいる。百年。一日にも満たないような時間。「断腸亭日乗」では地震がくることを「地震う(ふるう)」とか、ちょっとお茶することを「一茶する」と言っていて簡潔でいいなと思った。ふと漢文を勉強したくなった。あとよく腹が痛いとか病になったとかも言っていて、それでもしょっちゅう具合がわるいのに七十九まで生きたのだから励みになる。隣の家の女の人が母親に浴びせる罵声が一日じゅうきこえてくる。入居時からずっとこの調子だが、暖かくなって窓を開け放しながらそうしているから、一言一句ぜんぶクリアにきこえているし、今日はいままででいちばん激しい。



2023.3.12

夕方、Yとバドミントンをした。うす曇りの空にそれなりにつよい風が吹いていて、かるくてちいさな羽はあっちへいったりこっちへ行ったり。しばらくやって暑くなってきたので帰ろうとすると、うちの向かいに住んでいるTさんがひとりふらふら森のほうへ歩いていくうしろ姿が見えた。歩き方がちょっとふわふわしていて、気になった。早めの夕飯を五時に食べる。炊きたてごはん、切り干し大根とじゃがいもの味噌汁、レタスサラダ、かんぱち刺身、白滝と椎茸の煮物。食後、Yは読書。私は原稿を書く。だいたいいつも夜はこうして過ごしている。Yがポテトチップスが食べたいというので、ちょっとだけ大学生みたいな気分になってスーパーまで歩く。ポテチとえびせんを買う。夜のスナック、共犯者がいるうれしさ。昔ならアイスもかごに入れたけれど、今はもう冷たいものを食べたいと思わなくなったのがすこしさみしい。春の夜、空気は湿って暖かい。明日は雨になりそうだ。帰り道、これも地球の思い出のひとつなんだなと思ったら胸がすぅ、となった。



2023.3.13

朝から猛烈な雨と風。仕事と原稿書きをしてからはじめてのカイロプラクティックへ。されるがまま体の点検といくつかの短い調整(治療?)を施される。やはり自律神経が弱いらしく、その影響で内臓がつねに緊張しているためじぶんの弱い箇所(消化器系)に痛みがでているのでは、とのこと。たしかに私の体は絶えず緊張状態にあると思う。物心ついたころからいつも主に吃音、二番目に自己肯定感の低さによる人前での極度の緊張でずっと体をこわばらせてきたから。長年の時間ががちがちにつまっている体を思いきりひらいて中身をぜんぶさらけ出してしまいたい、そして風にすべてをさらってほしい、もう二度と手の届かない場所まで、そしてもう私は大丈夫だからそのままそっちはそっちでやっていて、ありがとうと言いたい。カイロ後、近くの魚屋をのぞく。ライブ会場かと思うような大音量で音楽がかかっている。「I have nothing」と全身で叫ぶ女の人の声。そうだ、私にはなにもない。なにももっていないよな。今しか。

ニュースで大江健三郎さんが亡くなったと聞いた。大江さんが以前のインタビューで「小説家の仕事は想像力です。じぶんとはちがう人のことを想像すること」と言っていた。だれかのために想像という力を使う、それが書くという仕事なのだと、それを力の限りつづけてきたからノーベル文学賞をとった人なのだと思った。

私は、気にやむことが多すぎる。傷つきやすすぎる。その性質は、生まれ持った根っこの部分は、この先もずっと変わらないかもしれない。けれど、だからこそ明るいほうをみようとする努力を私はずっと怠ってきた。じぶんを必死にわるいほうにマインドコントロールすることはもうやめて、じぶんを馬鹿にすることはもうやめて、傷つきやすいからこそできることを、この感受性だからこそできることを、それはもしかしたら、だれも見向きもしないようなことにすこし光を灯すとか、おなじように傷ばかり負ってしまう人にひとりじゃないと伝えるとか、ほかにもたくさんあるかもしれないけれど、そういうことができる人になりたい。そういう方向にこれからはじぶんの力を注ぎたい。


2023.3.15

森の散歩道にふきのとう。すっかりひらいて、まぶしそうに天を仰いでいる。


2023.3.16

どうやらまた痔になってしまったらしい。大船の病院へ。秋頃に咽頭炎の治療で抗生剤をいつぶりかに飲んだのだが、そのときに右脇腹にみたことのない湿疹(ただれ?)が広がり、飲むのをやめた。それ以降いつも快便だった私が妙な具合になってきたので、思い当たる原因がそれくらいだと話す。飲むのをやめたことより飲んだことですね、と先生。腸のバランスが変わってしまったんです。でも大丈夫ですよ、また戻ります。前向きな言葉で締めてくれる先生はありがたい。たとえそうじゃなくても、言葉は言霊だから、どんどんいいことを信じたいし言いたいものだ。ライプンというベトナム料理店で生春巻きと鶏肉と鯛出汁のフォーを鶏肉抜きで注文。お店の人、いい人だった。

そのまま鎌倉にあるはじめての鍼灸院へ。はじめにおなかでお灸。もぐさをまるめて火をつけ、暑くなったら取る。すぐ暑くなる。きもちいい。鍼は音もしないのでほとんど目をつむっていたままではどこにさしていたのかわからなかった。とちゅう頭に手をあてられていたのがすごくきもちよくて、なんだか癒えているかんじがしましたと先生にいうと、鍼灸とはべつで、オステオパシーの一種でクラニオセイクラル(頭蓋仙骨療法)というものなんですとのこと。手当て、まさにそう言う感じ。そっと添えているというかくるんでいるだけなのに、その手からすごく力を感じた。


2023.3.17

ecomoで昼ごはん。メニューが変わっていた。大豆ミートのミートソーススープパスタを頼んだ、おいしかったけど、グルテンフリー麺に変更するのを忘れてしまったので麺だけパートナーに食べてもらい、かわりにパートナーの玄米を半分もらった。甘いものは控えているんだけど、デザートに米粉といちごのクレープもつけちゃった。従来のものより98%農薬を軽減しためずらしいいちごなんだって。ふだんクレープなんて食べられないからうれしかった。併設のショップでパタゴニアの春用パーカーを購入。ちょっと予算より高かったけど、春の新色という大人っぽいピンクがきれいだったのと、最近思い切った買い物をしていなかったから、自分を鼓舞する意味でも。帰り道、車内から、信号待ちの街角でそのへんに座り込んで缶コーヒーをプシュっとあけるおばあちゃんが見えた。おばあちゃんはなにしていてもかわいい。あんなふうに歳をとりたい。
夜ごはんを食べながらYoutubeを見ようとして、パートナーが音声入力で「成田悠輔」と言うと、出てきたのは「90 tires」だった。





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