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シビック・プライドを高めるコ・アート

こんにちは。
最近は気温も上がり、少しずつ夏も近づいてきたように思いますね。
これからは梅雨に入り、じめじめとした季節が始まるのかと思うと、
うーむという感じであります。

さて、大学院での出会いを記すということで、
今回はアートキュレーターの鈴木潤子さんです。
(大学院の講義である、クリエイティブリーダーシップ特論第4回にお越し頂きました)

アートを通じ、シビック・プライドを湧かす

現在、鈴木さんは、
新潟県上越市直江津という地区で

「直江津うみまちアート」

というアートフェスティバルを企画しているとのこと。

予算7千万円の本格芸術イベント 直江津活性化へ今夏開催


なぜ、今、アートフェスティバルをやるのか?

という目的に対して、

シビック・プライドを高めるため

と仰られたのが、とても印象的でした。

鈴木さんが仰られるには、

" 地域の活性化というと、観光イベントなどで外部の人を動員し、経済的な恩恵をもたらすというイメージが強いですが、このプロジェクトでは直江津の自然や文化を、市民が誇れるようになることを目指しています

ということで、

日常的に接していると、美しい自然や文化も
「当たり前」と思ってしまいますが、

地域外の人からすれば、

「有難いもの」

だったりしますよね。

アートと地域の資産を掛け算して、
世の中に対する問いを立て、提案をすることで
それに触れた人の心に何かをもたらすという価値に加えて、
地域の方々の認知の枠組みをリフレーミングするという観点でも、
とても価値があるなと思いました。

鈴木さんがアートに対して、

"アートは一瞬しか存在できないかもしれないけど
誰かの一生を変えるかもしれない"

と、仰っていて、

アートに対して込められている熱い想いに触れ、
語彙力あれですが、感動しました。

自分も誰かの一生を変える取り組みをしたいです

長谷川愛さんの、アートの捉え方

脇道逸れますが、
たまたま同タイミングで長谷川愛さんのインタビュー記事を見ていて、
その中で、アートとはなんぞや?、について触れていたので引用します。

"「アートとは問いであり、デザインは問題解決方法である」ということがよく言われます。でも実際のところ問題提起をしていないアートだって、問題解決をしていないデザインだって山ほどあるなと思っていて(笑)。じゃあ何なのかというと、作品は「自分は何をしたいのか」という態度表明なのだと思うんです。自分にとって都合のいいように社会を変えたいという自身の欲望を、公共性とすり合わせるために提案する「問いかけ」になっているんですよね。こういう未来はどうでしょうか、と。"

長谷川愛さんの話だと、
自分の悩みや痛みから制作を始めることが多いということで、
より「内発的」「個」から発信する問いということなんですが、
問題提起や解決策としての提案よりも前の
「私はどうしたい」という意思表明自体も良しとしているように
自分は捉えました
(より本質的な部分としての「私」を説いているように思う)

コ・アート、である

で、話を戻すと、

アート・フェスティバルは、シビック・プライドを高める

ということで、鈴木さんは奔走されているわけですが、

鈴木さんは

"主催者とアーティストに火を焚きつけた責任"

として、直江津に移り住んで、
毎日朝から夜までアーティストと制作活動を共にしているそうです。

いかにして、主催者とアーティストのモチベーションを維持させるかが
重要だそうで、日々、彼らとのコミュニケーションを大事にしているそうです。特に、相手に「問うこと」「質問すること」を大切にしているそう。

これは私の推測ですが、鈴木さんは、

凄腕のファシリテーターなのかな

と思いました。

要するに、アートという制作活動においては、
「私」という主体としてのアーティストがいるわけですが、
そこに「他者」としての鈴木さんーがいて、
その活動の中でも、対話があるのだと思います。

作家さんの内発的な想い、「私はこうしたい」に対して、
質問を投げかけ、思考を促し、そこから進化が始まる
そして作品としての完成度を上げていく、そういうことなのかなと

これは主催者側とのやり取りにおいても、
丁寧な対話と問いかけを繰り返し、
より良いイベントになるような具現化のプロセスを、
まさしく現場思考で行っていらっしゃるのかなと推察しました。

これはもはやアートというのは、
個人に閉じられたものではなく、

「"私たち”がこうしたい」

というコ・アートであるのではと思いました。

Weとしての想いを乗せる

共創・共脳することで、

市民(主催者)側も主役になれる

そして、そのアウトプットとしての

アートであり、提案が

世の中の人に刺さり、人生を変えていく

プロセスを目の当たりにする。

それが、結果的には

シビック・プライドを沸かす

ことになるのではと思った

というお話です。

さいごに

合ってるか分かりませんが、

アートは対話の集積であり、

コミュニケーションの質と

そこに造形力が合わさって、

人の心を揺るがすものになるのでは。

そして、

それはもはや、

創り手一人のものではない

共作であり、

鈴木さんも仰っていますが、

アートは一瞬かもしれませんが、

それはもはや、

記憶のコモンズ

とも言えるのでは。

そう思った夜でした。

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