セキマキ

東京での暮らしが、ふるさとで過ごした年数を超えました。 喋り手としてもがいてきた日々を…

セキマキ

東京での暮らしが、ふるさとで過ごした年数を超えました。 喋り手としてもがいてきた日々を、憧れの私小説風につづります。 現在はナレーターです。同業者も同年代もそうでない方も、そんな感じあるよねとご笑読頂けたらと。 時々脱線してひとり言をつづります。

最近の記事

久しぶりに書き散らす

noteをはじめて3周年だそうです。お祝いバッジをありがとうございます、ということで久しぶりに書いてみる。 そうか、コロナ禍に突入し始めた3年前の頃、何か自分の歴史的なものを綴っておこうなどと高尚なことを考えて書いてみたのだ。あっという間の3年間。それなりに色々あったけど。 思えばすっかりnoteは世の中に浸透して、Twitterあたりでも軒並みnoteのリンクを貼っていたりして、長い文章を提示するにはもってこいだと思う。かつてはブログだったけど・・・。 そうなのだ。今

    • すれ違いの辛ラーメン

      真っ赤なパッケージに、いさぎよく黒で描かれた「辛」の文字。 私はこの辛ラーメンが、とても好きだ。 カップ麺のソレも好きだけどやはり袋麺でいただきたい。 小ぶりの雪平鍋でお湯を沸かして赤い袋をバリッと開けると、もうふわんと香辛料の辛い香りが鼻をくすぐる。かやくとスープの袋は先に取り出しておいて麺をつかむと、まん丸にかたまったそれが出てくる。その麺のかたまりをグラグラに湧いたお湯の中に入れ、ポチャッとはねて「あちっ」と思いながら、すかさずかやくとスープを鍋に入れるのだが、かやくは

      • 「あなたの話したいことは?」という話

        ラジオDJの勉強をしているとき、よく言われたのがこの言葉。 「あなたの話したいことは?」その度に、うぐっと答えに詰まった。 話すことを生業としたい、マイクに自分の声を乗せたいと願っているのに、話したいことは?と聞かれて詰まるとは何ごとだ。と、我ながら思う。 しかし、こんな風に反発心を持っていた。「話したいことがあるのではなくて、目の前のゲストなど話し手の話を引き出すのがDJの役割であって、何の専門家でもない自分が自分語りをするのは聞き手にとっては面白くもなんともなく、失礼な

        • いい声について

          コロナ禍になり、自分史のようなものを綴っていこうかとはじめたnoteで、はじめの第一歩的な、物語と呼べるかもあやしいような文章を一旦完結させたので、ここからはナレーションや音、言葉など日々思うことを綴っていこうかと思う。 今日はその最初で、「声」について。 「いい声」ってなんだろう。女性なら、色気・透明感・説得力……男性だったら、渋さ・勢い・力強さ……色んな表し方や求められ方があると思うが、何せ「ずっと聞いていたいと思う」声が、いい声だと思う。ラジオDJでもシンガーでも、

        久しぶりに書き散らす

          曙橋でチリトマトヌードル

          4月に入社した会社での日々も、早10か月が経過。その間にアナウンスアカデミーに通い、アカデミーでみつけた第二新卒OKのアナウンサー募集の会社に応募書類を送ったりしている中で、季節は夏から秋、あっという間に寒い冬になっていた。 いずれ退社するつもりで潜り込んだ会社である。早いところ上司に辞めますと伝えなければいけないのだが、なかなかきっかけを見つけられないでいた。アナウンスアカデミーは先生に勧められたベーシックなクラスだったので、周りは大学3年生や4年生ばかりだった。すなわち

          曙橋でチリトマトヌードル

          品川と火鍋②

          いつものグレーのパンツスーツに着替え、アナウンサー試験用の水色の半袖スーツの上下を紙袋に入れて、ひとまず会社に向かった。会社に着く前にふと思い立ち、水色のスーツが入った紙袋を新宿駅西口のコインロッカーに入れることにした。300円は勿体なかったけれど、普段提げていない紙袋持って出社するのはいかにも不自然過ぎると思ったからだ。思えば上京初日にコインロッカーに預けた荷物の位置が分からなくなり慌てたものだが、この頃になると新宿の西口、東口、南口、なんなら東南口への行き方も大方把握出来

          品川と火鍋②

          品川と火鍋①

          東京での暮らしも夏のはじまりを迎えた頃、嬉しい報せが届いた。地元の大学時代の1つ上のサークルの先輩が、転勤で東京勤務になったとのこと。先輩は先輩でも1つ上だと仲良し先輩そのもので。不思議なことに2つ年上の代の人たちより気やすさが全く違う。そんな先輩からPHSに電話をもらって久しぶりに新宿でお酒を飲んだ。目についた居酒屋に入って焼き鳥とキュウリの叩きをつつきながら生ビールを飲んでいると、大学生活のゆるさを取り戻したような、東京の大人の一員になったような両方の気持ちで満たされた。

          品川と火鍋①

          てっぺん前のカロリーメイト

          東京で喋り手になる足がかりがほしいと、何のツテも考えもなく上京してきたことに偽りはないけれど、ほんの少しの方法が頭にあった。 まだ新卒アナウンサー受験中の大学4年生の時、東京に呼ばれたことがあった。と言っても、履歴書を送った学生を全員面接に呼んで下さるのだから時代なんだか驚くのだが、その港区の放送局にはアナウンサーを夢みる学生たちが、4階だか5階だかの会議室のドアの前をゴールに、ずらっと階段から玄関口まで一列を成していた。薄いピンクが圧倒的に多かった。女性たちは思い思いの勝

          てっぺん前のカロリーメイト

          西新宿のからあげ弁当

          4月に上京して入社した会社は、全員が営業マンの会社だった。何を売っている会社かは分かっていたが、営業マンになる心づもりなどなく入社した毎日の仕事は大変だった。朝は11時頃の出社と遅めだけど、月曜から土曜までの勤務でみんな夜10時頃まで会社にいた。その頃、朝ごはんをどうしていたのか記憶がぼんやりしているのだけど、昼過ぎあたりにとてもお腹がすいたので朝は食べていなかったのかもしれない。 1997年当時は、まだ社員1人1人のデスクにパソコンが1台という時代ではなく、一太郎といった

          西新宿のからあげ弁当

          中井のパンセ

          23才の年に、東京に出てきた。 就職という形でないと上京を認めないと言った父の気持ちを尊重して、就職課の人にも、「ポスターが送られて来ただけだからどんな会社かまるでわからんよ」と言われた会社に、入社を決めた。 入社した会社は、当時の私からしたら「とても親切」で。地方から上京してくる田舎者の学生に、最初に住むアパートを借りておいて下さった。西武新宿線の中井駅から徒歩7分程度。西新宿にあった会社から10分程度で行き来できるので何と便利な都会の街かと喜んだ。 入社式の2日か3

          中井のパンセ