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すれ違いの辛ラーメン

真っ赤なパッケージに、いさぎよく黒で描かれた「辛」の文字。
私はこの辛ラーメンが、とても好きだ。
カップ麺のソレも好きだけどやはり袋麺でいただきたい。
小ぶりの雪平鍋でお湯を沸かして赤い袋をバリッと開けると、もうふわんと香辛料の辛い香りが鼻をくすぐる。かやくとスープの袋は先に取り出しておいて麺をつかむと、まん丸にかたまったそれが出てくる。その麺のかたまりをグラグラに湧いたお湯の中に入れ、ポチャッとはねて「あちっ」と思いながら、すかさずかやくとスープを鍋に入れるのだが、かやくは首尾よく袋の中身全部投入できても、スープの方は気を付けなくては鍋から立ち上る蒸気で粉末がしめってベタッと小袋がくっついてしまう。なので鍋から少し外したところでスープの袋をぱかっと開いてバサッと入れることが肝要だ。
そうやって具材の全てを鍋で4分半、ぐつぐつ煮込んでいく。麺を箸でほぐしていくことも楽しい。最後に、別に用意した小葱をのせて生卵をぱかっと落として完成だ。

熱くて辛い湯気の中で、ふうふうと麺に息を吹きかけていると、あの日々もこんな美味しいインスタントラーメンにありつけていたはずなのにそれをせず何を食べていたのだろう、と思い起こす。

「曙橋」新宿から都営新宿線で2駅だったか。
勤務地から通いやすい街ということで、当時会社が事前にいくつかのアパートを借りて新入社員に提案してくれた街が、三鷹か曙橋だったのだけど。
何も考えず都心に近いところでと曙橋のアパートに住むことになったのは、平成の時代になって、10年目頃のことだった。

初めて曙橋のアパートに行った日。
総務課の人が持たせてくれた、駅からの道順が描かれた地図をたよりに歩き始める。曙橋駅の地上に出て大きな道へ出たところで見えてきた広い敷地は何だろう。後から知ったことだが、それは自衛隊の市ヶ谷駐屯地。守衛官に自分も守られているように気になりながら進む。
向かう途中に食べ物屋は、中華料理店とお蕎麦屋さんがあったなと思っていたら、目印の小さな神社が現れてしまって、そこをちょっと左に入ると、目指すアパートがあった。全部で8つの部屋がある二階建ての2階にある部屋のひとつ。備え付けの小さな冷蔵庫が自慢の1Kの部屋ではじまった暮らしは今でも忘れがたい1年間となった。

時に、コロナ禍となって昨今。
しがないナレーターとしての日々の中、ふと時間が空いて街を歩きたくなる気持ちになる「散歩日和」がある。
とある企業VPのナレーションがはけた午後2時。スタジオ近くから乗り継いだ電車が曙橋に停車したその時、散歩日和の神様にフワリと導かれた。
これまでも通過することはあった曙橋だけれど、そんな風にふわりと降りたのは、ああして過ごした平成のあのいっときぶりだった。

地上に出る階段はいくつかあったけれど、体は不思議に覚えているのか。
気が向く出口から地上にあがると、すごく見たことのあるようなそうでもないような、なんとも言えない懐かしい光景だ。

よし。ここは体に任せて歩いてみよう。
てくてくてく、右へ、左へ、防衛省の看板。
もう少し行って…!見たことのあるお蕎麦屋さん。キレイな建物もチラホラ。あれ?どこだったかいね、行き過ぎたんかな。と思いながら。
もう少しだけ進んだそこに、目印の小さな神社が現れて、そこを左にちょっと入ると…目指すアパートが・・・・まだそこにあった。
薄汚れたかべ、ぼろぼろの階段。その空間に立つと、泣いたり喜んだり怒ったりわくわくしたり、一生懸命生きていた23歳の自分がスッと通り過ぎて、そして消えていった。


帰り道は、来た道とは違う知らない道から駅を目指した。
するとどうだろう。ハングル文字の看板があちこちに立ち並ぶ商店街が現れた。「あけぼのばし通り」というらしい。
焼き肉店や総菜の店、作り立てのキンパを出す店なんかもある。それから、カップラーメンや調味料や飲み物など、韓国の食料品がぎっしりと並ぶ商店もあったりして、ここに来れば一人暮らしのちょっとした買い物には申し分ないだろうな、と思う。
知らなかった。
しかしあったのだ、あの頃も。
それを知らずにいたことが悔やまれる。

商店のひとつに入り、生マッコリやスナックを手にとり、辛ラーメンをみつけてそれもかごに入れた。
今日はふうふうと、あの頃に戻ったつもりで食べてみよう。
あの頃の私が、いいなあと笑っている。

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