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東京ネロ戦記⑧タイコ

 タイコはそのマンションに入った時から違和感を拭えなかった。

雨が降っていること以外、先週の仕事と何ら変わらない。同じ日本人のリーダーとプエルトリコ人の髭男。今回の対象は女だ、むしろ先週のインド人より楽に違いなかった。

だが、日本人のリーダーが在宅を確認し、オートロックを開けて、エレベーターに乗り込んだ瞬間、タイコは明らかな異変を感じ、今自分がどこにいるのか一寸分からなくなった。

タイコはその感覚を何故か懐かしいと思い、その理由を考えた。

エレベーターは上を目指す。

                                    *
 少年刑務所に入りたての頃は、タイコは独房に入れられていた。凶悪少年と一般受刑少年を分ける為だった。

タイコは、作業のときだけ、他の受刑者と接触を持つだけで、そのせいで彼らから好奇な目を向けられた。

「あいつやろ、自分の親父メッタ刺ししたん。イカレてんな。」

と、言う下卑た声が聞こえた。


暴行を受けた。
世間と違って、タイコを恐れない連中だった。

作業中トイレに行き、小便をしているとき、突然現れた左目に傷のある少年を筆頭に複数の少年に暴行を受けた。後から分かったことだが、その朴哲という少年はタイコと同じ父親殺しの殺人犯だった。
後に親友となるその少年にタイコは小便を撒き散らしながら、立てなくなるまで殴られ、便器に顔を擦り付けられたり、唾を吐きかけられた。

タイコはその間、父親を思い出していた。

そして一方的な理不尽な暴力を受けることに懐かしさと愛しさを覚えた。
もっと俺を壊してくれと、目で哀願した。
                                     *

エレベーターの中で、その時の懐かしさと同じ感情が沸き起こり、タイコは困惑した。

 対象の部屋につき、インターホンを押すも反応がない。日本人のリーダーは軽く頷きプランBへと移る。

スペアキーで鍵を開け、二人で土足のまま踏み入れる。
さほど広くない間取りだ。
廊下から伸びる居間から灯りが漏れている。
逡巡せずドアを開け放つも、対象は見当たらない。

日本人のリーダーは、
「行くぞまだ近くにいる。」と、タイコを促した。

だが、タイコは動かなかった。

リーダーは怪訝そうな顔を向ける。


タイコはこのマンションに入った時に感じた違和感の正体を突き止めたのだ。


タイコは鼻を鳴らして部屋の匂いを嗅いだ。



自分の生まれた場所と同じ匂いだ。間違える筈もない。


「この部屋、海の匂いがする。」


タイコはそう呟くと部屋にあるものを観察し始めた。

日本人のリーダーは、タイコを促す。
「急げ。追うぞ。」

と背中を見せたとき、タイコは目の前にあったPCの画面に釘付けとなった。
それはあたかも開かれた扉のようで、自然とマウスに手が伸びた。



次の瞬間、
タイコは見渡す限りの海と轟音の波の音の中にいた。




横殴りの風も、焼けるような日差しも本物だ。

タイコは人生で初めて恐怖した。

非現実的なこの出来事に、海の青さに、風の強さに、波の暴力性に、初めて怖いという感情を抱いた。

タイコは全身から血の気が引いていく感覚を覚えた。タイコは吐き気を覚え、その場に身をすくめた。

だが、タイコは今自分が置かれている状況をすぐに飲み込んだ。
それは、少年刑務所で覚えた処世術だった。
とにかく、目の前のことをクリアしていく。つまり、現実を受け入れる。そして、その現実を壊す。

タイコはその大きなマンホールみたいなコンクリートの上を見渡して大きく息を吐いた。

そして端っこに、女性の姿を認めた。
よく目を凝らさずとも分かる。

対象だ。

タイコは立ち上がると、吐き気を抑えながら、前へ歩き始めた。

女は明らかに狼狽した様子でこちらをうかがっている。

その間、数メートルというところで、タイコは止まる。
じっと二人は見つめあう。

タイコは女に聞いた。

「おい、ここはどこだ。どうして俺はここにいる」

女は間髪入れず返す。

「沖ノ鳥島よ。あなた誰?」

しばらくお互い無言が続き、タイコは頭を掻きながら、あたりを見回す。


「俺はお前を殺しに来た。」


その言葉だけが、この場で唯一現実的な響きを持っていた。
律子はタイコの言葉が本当であることを理解した。

「ちょっと待った!!」

タイコの頭の中に、男の声が響いた。

「待つんだ。その女性を殺してはいけない!」

タイコはさすがにあたりを見回した。だが、人影はない。

「僕にも驚きなんだ。さっきからスマホを通してしゃべっていると思っていたけど、これどうやら、僕の声、天の声みたくなっているっぽい。」

「え、そうなの!?このスマホ、うちらバカみたいじゃん」

女がいきなり捲し立てた。
男の声は女にも聞こえているらしい。

「天動説の頃、人類はなんで太陽が毎日昇って、沈んでいくのか原理は分からないけど、とりあえず太陽は毎日昇るぞ、ラッキーくらいで受け入れてたんだろうな。多分今もそう。良く分からないけど、僕は君たち二人と話せるらしい。つまり原理は分からないが、恩恵は受け取った方がいい。ってことだね。」

緊張感のかけらもない男の声がタイコの頭に広がる。
「とにかく、君は目の前の女性に危害を加えてはダメだ。この女性がこの世界の鍵を握っていると思っていいい。だから、この女性を殺してしまったら、君も元の世界に帰れなくなるかもしれない。」


タイコは流れに身を任せることが一番嫌いだった。
だから、この男の声が頭の中に響いた瞬間、この男も含めどう殺してやろうか、としか考えていなかった。

殺したら帰れなくなるというルールがあるなら、そのルールを作ったやつを殺せばいい。


女はナイフで刺し殺すより、海にほおり投げて溺死させてみようか。と想像すると心が躍った。


だが、タイコが女に向けて足を進めた瞬間、予期せぬことが起きた。

日本人のリーダーとプエルトリコの髭男がいきなり視界に現れた。

タイコと律子のいる場所から数メートル離れた場所にいきなり出現した。

なるほど、俺もこうやってきたんだな。と納得した。

だが、次の奴らのリアクションが気に入らなかった。

瞬間移動してきた日本人のリーダーは、
おお、ホントかよ。
と、呟いたきり薄笑いを浮かべ、辺りを見回している。
髭男に至っては、まるで誰かにそう強いられているように、無表情を貫いている。

そんな訳ないのだ。
初手そのリアクションは、嘘にしか見えない。

タイコは二人が誰かに何かを言われて来たことをこの時点で確信した。
リーダーは演技が下手過ぎるし、髭男に至っては緊張が漏れすぎだ。

日本人のリーダーはタイコの方へゆっくりと向かってくる。髭男もそれに続く。

「なあ、タイコ。お前よく気付いたな。」

こっちへ向かってくるリーダーの顔は、早く結果が欲しい猟犬のそれと同じだった。

お互いあと3歩というところで、リーダーは袖から鉈を出し、タイコに向かって振り下ろした。

タイコが他の人より強い理由のひとつに、痛みへの耐性というものがあった。タイコに打撃は効かない。殺る時は得物を使って刻む、リーダーはタイコと組むようになった頃からそう決めていた。別にこの日が来ることを予想していたわけではない。ただ殺るならそうする、と思っていただけだった。

タイコの左腕に鉈は食い込んだ。
リーダーはすぐに抜こうとするが、タイコが腕に力を入れ、刃を腕に固定する。

タイコは残った右手でリーダーの顔面にフックを入れ、もうひとつがら空きのボディに2発入れる。

リーダーは膝を着いて崩れ落ちる。

髭男のサバイバルナイフが死角から伸びてくる。タイコはそれを鉈が刺さったままの左腕で捌く。
ナイフの応酬がしばらく続き、タイコは徐々に切り刻まれる。

「お前、誰に言われて来た。」
タイコは時間を稼ぐため、質問を投げた。
当然応じる訳もなく、ナイフが腹を掠めた。

タイコはようやくそのタイミングで腕に刺さった鉈を抜いた。
そして、その鉈で振り向きざまに、髭男の首を飛ばした。

そのままリーダーに馬乗りになり言った。
「誰の差し金だ、何故俺を狙う。5秒以内に言わないと殺す」

リーダーは観念して言う。
「メロだ。お前は命令通り、女を殺すだろう。メロは急遽その女の命が必要になった。だから、女をお前から救うよう言われて来た。」
タイコはニヤリと笑い、
リーダーの頭に鉈を刺し、殺した。

「おい、どうすんだ、コレ。」
と、空を見上げて問いを投げかけた。


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