雑記:本多家の墓
越前そばで知られる武生は、現在は福井県越前市の一部であるが、JR武生駅周辺はかつての越前国府で府中の名称で呼ばれていた。
江戸時代に府中を治めていたのは、越前藩の家老であった本多家である。
本多家の初代当主の本多富正は、結城秀康が秀吉の猶子として大坂城に赴いた時から従っている側近で、以降終始秀康を補佐し、秀康が越前に封ぜられると府中を与えられて四万五千石の大名格となり、秀康の死後は子の松平忠直を補佐し、藩政に重きをなした(後年富正は江戸幕府から独立大名になるよう持ちかけられたが、彼は秀康への忠節からこれを固辞したと言う)。
龍泉寺は本多家の菩提寺で、JR武生駅から西方に十五分ほど行った寺町の一角にある。
境内には本多家歴代の墓所があり、当主たちの五輪塔が建ち並び、富正の墓(三枚目)もその中にある。
堂々たる大型五輪塔であるが、富正の死後まもなく建てられたものかどうかはわからず、他の五輪塔との形式の差があまりないことから、後代になって合わせて造立されたものかも知れない。
ただ、福井県内に残る数少ない大名(富正は厳密には大名ではないが)墓所として貴重である。
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