時代劇レヴュー㉜:飛ばぬ鳥なら落ちもせぬー梟雄と呼ばれた男、右筆と呼ばれた男ー(2017年)

タイトル:飛ばぬ鳥なら落ちもせぬ・梟雄と呼ばれた男、右筆と呼ばれた男

上演時期:2017年4月

上演会場:吉祥寺シアター

製作:企画演劇集団・ボクラ団義

主演(役名):鵜飼主水(松永久秀)、沖野晃司(楠木正虎)

脚本:久保田唱


本作は、2017年4月に吉祥寺シアターで上演された企画演劇集団・ボクラ団義の公演であり、松永久秀と楠木正虎を中心に戦国時代の畿内を群像を「書状」をテーマに描いた作品で、タイトルにある「梟雄」とは久秀を、「右筆」とは正虎を指す。

松永久秀と楠木正虎を主人公にした作品と言うのは珍しい、と言うか、映画・ドラマなどの諸媒体含めておそらく初ではないかと思い、私は直接劇場で観劇したのであるが、演劇としても面白く、また最新の研究の成果も反映している点でも非常に精度が高い作品である。

二時間四十分と言う、演劇としては比較的長い上映時間であるが、それが気にならないくらい引き込まれる物語であったように思う。

物語は、元亀元年に越前の朝倉義景を攻めていた織田信長の陣に、松永久秀からの飛脚がやってきて、浅井長政の裏切りを知らせる、所謂「金ヶ崎の退き口」の場面から始まる。

その直後、シーンは一変して天正五年、信長より離反した松永久秀の居城・信貴山城が織田軍に包囲される場面となり、さらにそこから物語は弘治年間に飛び、久秀の飛脚の役割を担っていた二曲輪猪助(実在する人物がモデルで、作中では風魔の忍者出身)がそこから順を追って久秀の生き様を目撃する形で物語は進む。

弘治年間、まだ三好長慶に仕える一介の武士に過ぎなかった久秀の許に、若き日の楠木正虎が右筆として仕官し、そこから彼は、三好長慶を足利将軍に代わる天下人にすると言う久秀の夢の手助けをすることになる。

成り行きで久秀に飛脚として仕官することになった猪助は、やがて「梟雄」と呼ばれた久秀の行動をつぶさにみることで、彼の本当の姿と生涯をかけて彼がなそうとした目的を知ることになると言う筋立てで、最後に場面は再び天正五年に戻って久秀の死で物語は幕を閉じる。

作中では、三好研究の第一人者と言うべき天野忠幸の最新の研究も踏まえた解釈が随所で登場し(永禄改元の意義や、楠木氏の復権の意図など)、脚本・演出を担当した久保田唱が相当に三好研究の著作を読み込んでいることがうかがえる内容であった。

もっとも、久保田は通説を含め、様々な説を取捨選択して物語を構成しており、例えば、三好長慶が戦乱の中で徐々に心を病んでしまうと言うのと、彼自身は天下人になる欲はなかったとする設定は、天野説ではなく従来説をベースにしている。

私自身は近年の研究成果を見るに、楠木氏の復権や永禄改元はどちらかと言えば長慶が主体的に行ったことであったと思うが、これに関してはエンターテインメントである以上、必ずしも最新の研究に忠実である必要はないので、久秀と長慶のすれ違いを描くことで、両者の人物像に深みや陰影が出すために必要な取捨選択と評価したい。

何よりも、本作では登場する歴史上の人物が実に生き生きと個性を持って描かれていることがポイントであろう。

俳優陣も良質の脚本に負けず劣らずの良い演技で、松永久秀役の鵜飼主水は、従来の「梟雄」のイメージとは異なり、主家のことを思い、苦悩する久秀を好演していた(久秀を梟ではなく、飛ばない鶏に例えるのもうまい表現だと思う)。

三好長慶役の佐藤修幸も、序盤の鷹揚とした感じから、心を病み老耄していくあたりは、鬼気迫る演技で、特に長慶臨終の場面は、お互いのことを思っているのにいつしか理想が食い違っていく、そんな久秀と長慶の悲しさがよく出たシーンであったように思う。

ちなみに、本作では明言はないが、久秀の方が長慶よりも年下のように描かれており(実際には久秀の方がだいぶ年上)、久秀夫人は長慶の娘と言う設定であったが(これも史実ではないが、元ネタとなる資料があるらしい)、これも上記の物語を面白くするための取捨選択であろうか。

もう一人の主役である楠木正虎役の沖野晃司(余談であるが、彼はおそらく世界で最初に正虎を演じた俳優ではないだろうか)も、信念を貫く魅力的なキャラクタがはまっていた(なお、作中では正虎の初名が「長諳」となっているが、これも史実を踏まえている)。

正虎が信長に仕えるのは天正元年のことなので、久秀の最期の場面においてまだ正虎が家中にいるのは史実とは異なる描写なのであるが、このあたりは二人の主従関係を完結させようとする、久保田の二人への「愛情」と見るべきであろうか。

主従と言えば、本作で描かれる久秀・正虎・猪助の主従の信頼関係もまた、非常に魅力的に描かれており、猪助役の竹石悟朗も「忍者出身の強い飛脚」と言う特異なキャラクタをうまく演じていた。

細かい部分では史実との相違もあり(例えば、長慶が最初の夫人を離縁するのは、作中よりももう少し早いし、金ケ崎退陣の際には信長はもう「上総介」を称していないなど)、また作中では(舞台演劇と言う作品の性格上、必要な「演出」と思われるが)タイムスリップの描写も見られるため、荒唐無稽な部分もあるが、それらは別段作品の価値を損なうものではない。

何よりも、松永久秀を主人公にし、「右筆」や「書状」と言ったものに着眼して物語を構成したのは作り手の慧眼であろうし、この点ではエンタテインメントの枠にとどまらず、本作の持つ歴史作品としての意義は大きいと思う。

三好政権や戦国期の畿内と言うのは、まだまだドラマや映画の題材に事欠かない「宝庫」であると思うので、本作に続くような作品が今後登場することに期待したいものである。


#時代劇 #舞台 #演劇 #ボクラ団義 #久保田唱 #飛ばぬ鳥なら落ちもせぬ #梟雄と呼ばれた男 、右筆と呼ばれた男 #松永久秀 #松永弾正 #楠木正虎 #三好長慶 #鵜飼主水 #沖野晃司 #戦国時代 #歴史 #日本史


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?