中部地方の石造物㊱:西伝寺宝篋印塔(伝・足利義教供養塔)

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名称:西伝寺宝篋印塔

伝承など:足利義教供養塔

所在地:静岡県浜松市南区西伝寺町 西伝寺


西伝寺はJR浜松駅東方2kmほどの所にあり、浜松駅前からバスの便がある(バス停前が西伝寺)。

この寺院には足利義教の供養塔と伝承される宝篋印塔があり、石塔は境内を出て西の住宅地にある法然塚と言う区域にある。

この宝篋印塔は、義教が嘉吉の変で暗殺された後に、その乳母が供養塔を建てたと伝わる。

供養塔は元々は西伝寺の末寺の西光寺にあったが、近代になって西光寺が廃絶したために供養塔は西伝寺に移された。

供養塔の宝篋印塔は戦国時代の形式であり、少なくとも乳母が建てたと言う伝承とは合致しない。

ただ「浜松」の地名は義教の東国遊覧中に詠んだ和歌に由来すると言う伝承もあり(それ自体は誤伝)、義教にゆかりある地であるために生じた伝承であろうか。

なお、法然塚にはその名の由来である法然の供養塔と言う戦国時代の宝篋印塔もあるが、現在入口には二重の門があって内部には立ち入れない。

門には隙間があるため、義教の供養塔は姿を見ることは出来るが、撮影は難しい(門の外からだと二枚目のような写真が限界である)。

住職が在宅であれば鍵を開けてくれるようであるが、私が訪問した時は運悪く住職が取り込み中で内部に入ることがかなわなかった。

三枚目、四枚目の写真は、運良く鍵を開けてもらって撮影した知人から提供を受けたものである(向かって左側は乳母の墓という)。


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