東北地方の石造物㉑:慧日寺宝篋印塔(今与供養塔・乗丹坊供養塔)

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名称:慧日寺宝篋印塔

伝承など:今与供養塔、乗丹坊供養塔

所在地:福島県耶麻郡磐梯町 慧日寺


会津地方の古刹・慧日寺(現在の表記は「恵日寺」)は、平安時代初期に徳一が創建した寺院で、会津地方布教のための拠点として平安時代には隆盛を極めたが(平安時代初期の仏像を多数有する勝常寺など、会津には徳一が開いた寺院も多い)、明治期になって廃仏毀釈の影響受けて廃寺になった。

近年、国の指定史跡となったことで発掘調査や整備事業が進み、金堂も復元された(この写真は復元前に訪れた際に撮影したもので、金堂の写真はない)。

慧日寺の奥まった場所にある墓地には、徳一の跡を引き継いだ慧日寺二世・今与の供養塔と伝承される宝篋印塔(二枚目)がある。

塔身は後補で、戦国時代の作であるが、笠の下部が大きく反っている珍しい形式である。

今与塔に向かって左隣にある五輪塔(三枚目)は、今与塔よりもやや古い時期の造立で、室町時代中期の作と推定されるが、こちらも火輪の反りが大きい。

今与塔の西側には、開山の徳一廟があり(四枚目)、内部には徳一の墓と言う平安時代の層塔が納められているが、こちらは非公開である(格子越しに見ることが出来るが、かなり大型のものであるため、格子越しだと全形がわかりにくい)。

廟の周囲には、近世の五輪塔が無数ある(五枚目)。


徳一廟から金堂方面に戻り、仁王門の東側を下った所にある不動堂の傍らにも宝篋印塔があり、こちらは乗丹坊の供養塔と伝承されている。

乗丹坊は平安時代末期の慧日寺の僧で、平家の要請によって僧兵を率い、越後の城氏とともに木曽義仲と戦ったが、信濃の横田河原の戦いで戦死し、以後慧日寺は一時衰退したと言う。

今与塔とは形式が異なるが、こちらも戦国時代の造立である。


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