雑記:信長・義昭対面の地
JR東海道本線の西岐阜駅から北方へ数分歩いた所にある立政寺は、南北朝時代に智通光居が開いた浄土宗の寺院であり、本堂(寺内の堂宇は明治期の濃尾地震で被災し、現在の建物はそれ以降に再建されたもの)の前には、開山の智通光居の墓とされる宝篋印塔がある。
智通光居は応永十年に没しており、宝篋印塔は無銘であるが、室町時代の形式であることから、寺伝通り智通光居の墓(あるいは没後それほど経過しないうちに造立された供養塔)と見て良いだろう(相輪のみ別石)。
なお、本堂裏の墓地には、山内一豊が造立したと言う宝篋印塔(二枚目)があり、基礎には「山内一豊」と「豊通」と言う文字が刻まれているが、これはおそらく追刻であろう。
また、立政寺にあった正法軒は、足利義昭が美濃滞在中の御座所として使われており、織田信長と義昭が初めて対面した場所でもある。
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