近畿地方の石造物㊴:須磨寺層塔、敦盛塚五輪塔(伝・平敦盛の供養塔)


名称:須磨寺(旧来迎寺)層塔

伝承など:なし

所在地:神戸市須磨区須磨寺町 福祥寺(須磨寺)


兵庫県神戸市須磨区にある福祥寺は「須磨寺」の通称で知られ、平安時代初期に開かれたとされる古刹である。

須磨寺の本堂に向かって右側の護摩堂の傍らには、鎌倉時代末期の嘉暦二年銘を持つ十三重の層塔がある。

これは元来は奈良県の来迎寺に所在していたもので、後に一ノ谷の藤田邸に移され、さらに戦後になって須磨寺に寄進されたと言う。

相輪に水煙があると言う珍しい形式の塔である。


同寺は源平合戦ゆかりの寺院としても知られ、境内には平敦盛と熊谷直実の像(下の写真一枚目)や、一ノ谷の戦いで戦死した敦盛の首塚と伝承される五輪塔(下の写真二枚目、ただし五輪塔は近世の造立)もあり、また宝物館には敦盛愛用の青葉の笛と伝承される横笛も展示されている。

また同じ須磨区の須磨浦公園一帯は一ノ谷の古戦場であり、公園駐車場の脇には敦盛塚と通称される五輪塔がある(山陽電鉄須磨浦公園下車すぐ)。

この五輪塔は、一ノ谷の戦いの後に熊谷直実が平敦盛を供養するために造立したものと伝承され、須磨寺にある五輪塔が敦盛の首を供養したもので、こちらは胴塚であると言う。

また一説には、鎌倉時代中期に執権北条貞時が平家一門の戦死者の霊を一括して供養した「あつめ塚」と呼ばれる施設が、いつの頃からか「敦盛塚」と誤って伝わり、敦盛の供養塔と言う伝承が生じたと言う。

ただし五輪塔は戦国時代末期(あるいは江戸時代初期まで下るか)の造立であり、仮に平家一門、あるいは敦盛の供養塔だとしても、伝承の時期よりもずっと後年に建てられたものである。

五輪塔は四メートル近い大型塔で、これは中世の五輪塔としては京都府八幡市の石清水八幡宮の五輪塔(「京都府内の石造物㉟」参照)に次ぐ大きさである(もっとも、江戸時代初期の造立の可能性もあるが)。

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