雑記:岡崎あれこれ

城下町岡崎の史跡などあれこれ。

まず岡崎城の復興天守閣。

場内には、徳川家康や本多忠勝の像などがあり、中には有名な家康の「しかみ像」を模した石像も(下の写真四枚目)。

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岡崎城の大手門の近くに浄瑠璃姫の墓と伝承される中世の宝篋印塔が建っている。

浄瑠璃姫は芸能・浄瑠璃の語源になったとされる伝説上の人物で、源義経との悲恋物語で知られるが、元々この地には浄瑠璃姫の庵があった場所とされ、岡崎城が建った後も浄瑠璃曲輪と呼ばれていた。

宝篋印塔は相輪は後補であるが室町時代頃の作と思われ、おそらくは浄瑠璃姫とは直接の関係はないと思われ、伝承は後世の仮託であろう。

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岡崎城にほど近い大林寺には、家康の祖父・松平清康と父・松平広忠の墓がある。

ただ、墓塔の五輪塔は当時のものではなく、江戸時代に建てられたものである。

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鴨田町の大樹寺は松平家の菩提寺で、徳川宗家ゆかりの寺院であるだけに、同寺は山門や多宝塔などを備えた壮大な伽藍で構成されるが、境内には初代松平親氏から広忠までの松平氏八代の墓所もある。

墓所は五輪塔と無縫塔で構成されるが、いづれの石塔も江戸時代のもので、大樹寺が幕府の保護を受けて以降に整備・再建されたものであろう。

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市内の中心部からはやや離れるが、同じ岡崎市内の本宗寺には、家康の重臣であった石川数正の墓がある。

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