雑記:松江城とその周辺

島根県松江市の松江城は、関ヶ原の戦いの戦功によって出雲に封ぜられた堀尾吉晴の築城によるもので、日本で五つある国宝の天守閣を有する。

四層五階の天守は、現存天守の中でも有数の広さを持ち、安定感のある美しい建築である。


天守閣の南方には、明治期に造られた洋館・興雲閣がある。

また城の入口に堀尾吉晴の像が、城の南方にある島根県庁前には松平直政の像が建っている。

松江は堀尾氏が改易された後、京極氏が入部するが、その後で結城秀康の子で、家康の孫に当たる松平直政(越前松平氏)が城主となり、以降幕末に至るまで越前松平氏が松江藩主として出雲国を治めた。

銅像は、直政が大坂夏の陣で初陣を飾った時の姿をモチーフにしている。

松江城の北方は塩見縄手と呼ばれる武家屋敷街であり、中級藩主の屋敷が現存し、保存・公開されている。

その中には、明治時代にこの地に居住し、『怪談』などを著した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の旧宅もある。

武家屋敷の近くには、江戸時代中期に造られた茶室・明々庵がある。

この茶室は、第七代松江藩主で大名茶人として著名な松平治郷(不昧)好みの茶室であり、近代以降東京などを転々とした末に、戦後になって現在の場所に移築復元された。

明々庵では抹茶の接待もあり、不昧流の手前をいただくことも可能である。

不昧の影響によって松江では現在でも茶道が盛んであり、また茶道には欠かせない菓子を作るための菓子職人の技術が代々受け継がれて、菓匠が多い街でもある。

高台に建つ明々庵からは松江城の天守を望むことが出来る。


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