東北地方の石造物⑧:興徳寺五輪塔(蒲生氏郷の墓)

名称:興徳寺五輪塔

伝承など:蒲生氏郷の墓

所在地:福島県会津若松市 興徳寺


会津若松市旧城下町の中心部、アーケード通りの一角にある興徳寺は、鎌倉時代の創建と伝わるが、戊辰戦争の兵火で寺内の建物の尽くを消失し、現在の建物は近年になって再建されたものである。

境内には、戦国時代末期の会津若松城主であった蒲生氏郷の墓とされる五輪塔がある。

蒲生氏は近江日野の豪族で、藤原秀郷の後裔を称する近江の名家であり、氏郷は織田信長の娘を娶り、信長死後は豊臣秀吉に仕えて最終的には会津一円九十万石の太守となったが病を得て早逝した。

この興徳寺の五輪塔は、氏郷没後にその子の蒲生秀行によって造立されたもので、京都の大徳寺にある氏郷の墓(非公開)とは別に、氏郷の遺髪を納めた石塔と言う。

墓所は墳墓の上にの五輪塔を置く会津地方特有の形式をとっており、五輪塔の形式もこの地域でよく見られる形であるが、戦国時代末期の作と推定され、伝承の通り氏郷没後まもなく造立されたものであろう。


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