雑記:御着・姫路

JR山陽本線の御着駅で下車し、東方に数分歩くと、小寺氏の居城であった御着城跡にたどり着く。

現在城址は公園化されて石碑が残るのみであり、敷地内には城郭風の建物である姫路市役所東支所が建つ。

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また公園の西側には、江戸時代後期に福岡藩主黒田家によって整備・造立された黒田重隆(福岡藩祖・黒田如水の祖父)と、如水の墓・明石氏の墓がある。

墓塔はどちらも五輪塔であり、黒田家が建てたためか、火輪の形式などは九州地方によく見られるもので、近畿地方では珍しい石塔である。

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御着駅にほど近い播磨国分寺は、奈良時代に全国に建てられた国分寺の後身寺院に当たり、場所も概ね奈良時代のものと合致する。

境内には室町時代前期の造立と見られる宝篋印塔がある。

南北朝時代から室町時代の過渡期の石塔と思われ、南北朝時代の優美な威風を残している。

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姫路市の中心部は御着のさらに西方であり、市内随一の観光名所で国宝・世界遺産にも指定されてる姫路城の白亜の天守閣が街のシンボルであるが、言うまでもなくこれは御着城主の小寺氏の家老であった黒田如水時代のものではなく、江戸時代初期に池田輝政によって築かれたものである。

なお、写真は数年前に撮影したもので、まだ姫路城の屋根瓦も白色であるが(2012年の修復で屋根瓦は葺き替えられた)、現在は経年によって漆喰にカビが発生して灰色になっている。

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