雑記:野尻湖周辺

ナウマンゾウの発掘で知られる長野県信濃町の野尻湖は、避暑地やマリンスポーツ、あるいは合宿地などとして賑わう奥信濃の観光地であるが、野尻湖に浮かぶ琵琶島内の宇賀神社には宇佐美定行(定満)の墓とされる石塔がある。

宇賀神社には遊覧船で行くことが出来るが、社殿の手前の参道に玉垣で囲まれた宝篋印塔の一部があり、これが定行の墓と言う。

宇佐美定行は上杉謙信の軍師として軍記物などに登場する人物で、物語によっては「良勝」と称されることもあるが、いづれにせよ江戸時代の軍学のテキストの中で創作された架空の人物で、そのモデルは謙信に従った越後の豪族・宇佐美定満であるから、この石塔も史実に従えば定満の墓と言うべきかも知れない。

ただし、この石塔の由来は定満と長尾政景が事故死した越後の野尻池を野尻湖と混同し、さらに定満の居城が琵琶島城で島の名前もたまたま同じことから生じた伝承であり、実際には定満とは無関係の石塔であろう。

宝篋印塔の塔身は江戸時代後期以降の後補で、笠と基礎は中世のものであろうが、どちらにせよ定満の時代とは合わない。

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野尻湖近くの真光寺の檀家墓地の入口付近には、こちらはやはり定満とともに事故死した長尾政景の墓とされる自然石がある。

これも野尻池と野尻湖を混同した伝承に過ぎないが、この石塔にはもう一つおまけの逸話がある。

長尾政景は謙信の従兄弟で姉婿でもあったが、後に謙信に謀反の疑いをかけられ、謙信の命を受けた定満によって事故死と見せかけて暗殺されたと言う俗伝が古くからあり、それを受けた伝承であろうが、政景の墓を乗馬にて横切ると必ず落馬する(政景の怨霊のため?)とされたために、元来は野尻湖畔にあった石塔は後に真光寺に移されたのだと言う。

傍らにある五輪塔群は、近くの野尻湖中学校の跡地から発掘されたものであるが、こちらの方が石塔の年代としてはむしろ政景の没年に近い(もちろん無関係であるが)。

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