時代劇レヴュー㊵:北条時宗(2001年)

タイトル:北条時宗

放送時期:2001年1月~12月(全四十九回)

放送局など:NHK

主演(役名):和泉元彌(北条時宗)

原作:高橋克彦

脚本:井上由美子


ドラマに限った話ではないが、放送前の期待が大きければ大きいほど、作品の出来が悪かった時の失望と言うのもまた尋常ではない。

私の中でそう言う体験が一番強烈だったのが、たぶんこの作品である。

本作はNHKの所謂「大河ドラマ」の第四十作で、タイトルの通り鎌倉幕府の第八代執権・北条時宗の生涯を描いたもので、所謂「蒙古襲来」の名で知られる元寇が物語のメイントピックになっている。

そのため、序盤からモンゴル帝国・元朝側の描写が随所に挿入されており、物語の重要人物としてクビライも登場し、鎌倉史の研究者である奥富敬之とともに、モンゴル史研究者の杉山正明が時代考証として関わっている(「フビライ」ではなく「クビライ」、「ハーン」ではなく「カアン」と表記されるのも杉山の助言によるものであろう)。

個人的には待望の鎌倉時代中期を題材とした作品だったので、このドラマの放送が決まった時には小躍りして喜んだ記憶があるが、前述のように実際に見てみると、あまりの出来の悪さにひどくがっかりしたものである。

毎回個人的好みで恐縮であるが、まず最も気に入らなかったのは無意味な史実と異なる創作である。

しかも一つや二つではなく、全編を通じて異様な数の多さであり、鎌倉時代中期の政治史と言うのが一般的には知名度が低いからわからないだろうと視聴者を舐めているのか(と言うと流石に言い過ぎかも知れないが、例えばこのレヴェルの創作を信長・秀吉の物語でやったら歴史ファンから非難轟々な気がする)、とにかくやりたい放題である。

顕著だったのは、史実では病死となっている人物の大半が、非業の死を遂げた設定になっていることである。

あまり意味はないかも知れないが、北条一門の中で思いつく限り列挙してみると、

北条時頼→毒殺
北条長時→暗殺
赤橋義宗→自害
北条宗政→戦死

となっている(もう一つ些細なことを指摘すると、本作では時宗の生母が毛利氏と言う明らかな間違いを採用しているが、これは物語を面白くするために知っていながら敢えてやったのだろう)。

どれも好きではないが、上記の中で個人的に一番釈然としないのは赤橋義宗の死に関する描写である。

作中では義宗が、安達泰盛と姻戚関係にある(泰盛の正室は義宗の叔母)ことから、泰盛と平頼綱の権力抗争の板挟みとなり、思い余って自害すると言う設定で、さらに義宗の叔父の北条義政が、義宗の自害によって世の無常を感じ出家・隠遁してしまうと言うおまけまでついている。

史実では義宗の病死と義政の隠遁は時系列が逆であり、義政の隠遁が先である。

要するに、本作では義宗の死をよりドラマチックに描きたいために義宗を自害にしたばかりか、史実を無理に曲げて描いているのである。

どうもこれがいただけないと言うか、作り手がそう持って行きたい展開に史実を無理に合わせるやり方は好きになれない。

また、ドラマとして見た場合でも、後半は時宗よりも異母兄の時輔の方が目立ってしまい、あたかも彼が主人公のように感じてしまう作りは、正直見ていて違和感があった(時輔を演じる渡部篤郎の存在感が、時宗役の和泉元彌を凌駕していいたのは、ある意味仕方ないのかも知れないが 笑)。

唯一このドラマで目を引くのは、『保暦間記』と『元史』の記述を元ネタに、時輔が二月騒動で死なずに生き延びて大陸に渡ると言う展開である。

かつて海音寺潮五郎が小説『蒙古来たる』の中で指摘しているが、中国側の史料『元史』には、北条執権と思われる「焦元帥」なる日本の高官の婿である「賈祐」と言う人物が元に投降するくだりがあり、後に海音寺自身も別の著書で書いているように、「輔」と「祐」が同じ「すけ」と訓ずることから、この「賈祐」は(本物の時輔が生きていたかどうかは別として)「時輔」を称する人物だったとも思われる。

話がいささかそれたが、こうしたちょっとばかり面白い設定があるにしても、全体的には私が過去に見た大河ドラマでは、2009年の「天地人」、2011年の「江」と並んで最低の部類に属する作品だったと思う(「江」はレヴューにならないレヴェルの作品なので、ここで取り上げる予定はないが、「天地人」の方は、問題点の指摘も含めていづれ取り上げるつもりである)。


#時代劇 #歴史ドラマ #大河ドラマ #NHK #北条時宗 #和泉元彌 #鎌倉時代 #北条時輔 #元寇 #蒙古襲来 #モンゴル帝国 #高橋克彦 #井上由美子 #海音寺潮五郎 #歴史 #日本史


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?