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12.1.1 オスマン帝国支配の動揺 世界史の教科書を最初から最後まで

オスマン帝国は16世紀(今から500年ほど前)に、地中海東部からヨーロッパ、北アフリカに領土を拡大し、広大な領土を支配する大国となっていたよね。

しかし、1683年に史上2度目のウィーンの包囲(第二次ウィーン包囲)作戦が失敗すると、そこからは一転して領土が減る一方。



1699年のカルロヴィッツ条約によって、かつて獲得したハンガリーや、トランシルヴァニアという地域をオーストリア大公国に渡すことになってしまった。

それに18世紀後半(今から250年ほど前)になると、今度はロシア帝国がオスマン帝国の領土をゲットしようと忍び寄ってくる。


ロシア帝国の女帝エカチェリーナ2世(在位1762〜96年)との戦闘に大敗し、黒海の北岸を奪われたオスマン帝国は、クリミア半島にいたイスラーム教徒をキリスト教徒のロシアにうばわれたことで大ショック。


「イスラーム教徒を守る立場」を自認していたオスマン帝国のプライドはズタズタだ。



こうして、これまではオスマン帝国<ヨーロッパという力関係であったのが、ヨーロッパ>オスマン帝国という力関係へと反転。


バルカン半島のギリシアでは、フランス革命の影響を受けてオスマン帝国から独立しようとする運動も起き、それをヨーロッパ諸国がサポート。


さらにアジアやアフリカの領土でも、「われわれはアラブ人だ!」とオスマン帝国から独立しようとする動きが勃発。

オスマン帝国の支配がグラグラしたところを“つけ込むチャンス”とみたヨーロッパ諸国に、余計に干渉されるという“負のスパイラル”におちいることとなる。


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