■「グローバル化」って何だろう?
歴史総合では、これまで「近代化」「国際秩序の変容や大衆化」の展開を通して、日本を含む世界の変遷をたどってきた。
第一に、「近代化」の動きは、資本主義経済と国民国家の成立に代表され、19世紀末から20世紀初めにかけて帝国主義諸国が台頭していくこととなった。
そして第二に、1914〜1918年の第一次世界大戦をターニング・ポイントとして、「国際秩序の変容や大衆化」が進んでいった。そこではマス・メディアが大きな役割を果たし、大衆が政治や経済の動向を左右するようになる。
「近代化」によって成立した資本主義経済と国民国家が再編され、世界恐慌(1929年)をきっかけとして、上からの統制と国民の主体的な参加を引き出す国家体制へと、その内部に複雑な対立をはらみつつ組み替えられていった。
第二次世界大戦後、戦前・戦中に形成された新しい国家体制は、その目的を戦争ではなく経済成長に変えつつ、受け継がれていく。その分水嶺は日本においては、高度経済成長と55年体制の始期である1955年とみることができる。
ソ連とアメリカの両陣営は、共産主義と自由主義というイデオロギーの違いから鋭く対立(=東西対立)しながらも、経済成長と進歩を目指して化石資源を大量消費し、大量生産・大量消費をおこなう点、そして、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国の経済的搾取を前提とする点(=南北対立)では共通していた。
しかし、そうした体制は1970年代前後(とくに1968年の「68年の運動」を契機として)より、行き詰まりを見せるようになる。
直接的には第一次石油危機を契機とし、市場経済を放任する新自由主義が台頭し、「グローバル化」(グローバリゼーション)が本格的に始動する。東西冷戦は1990年前後に終結するが、その後の世界の展開は、情報技術革命のさらなる進展や新興国の台頭、持続可能な開発の問題化とともに、新たな局面に突入しているかのようにも見える。
一般に「グローバル化」という言葉は、1970年代以降の変化に限定せず、「地球規模に広がっていくこと」「世界が一つにまとまっていくこと」といった意味で、あいまいに使用されることが多い。
しかも、歴史総合におけるグローバル化が具体的にどのようなものを指すのか、学習指導要領を読みとく限り、明確に定義されているとはいいがたい。
それはおおむね1950年代から1960年代以降、東西冷戦が展開する中で、世界経済が拡大していくなかで始まったものととらえられ、特に「市場経済のグローバル化」に限定した記述が散見される。
その意味では、次のような「グローバル化」の定義が、歴史総合の意図する用法に近いように思われる。
まわりくどい話になったが、「グローバル化」という言葉も、これまでの「近代化」や「大衆化」と同様、明確に定義することは難しく、むしろ個々の事例に即して理解するほうが、実りある結果が得られるということであろう。
まずは以下の5つの項目に触れ、問いを立てることで、「グローバル化」が進展する前提となった出来事や、「グローバル化」が進展することでいかなる変化が生じるのか、考えていくことにしよう。
ただし、その際、それぞれの項目で扱う要素は、「グローバル化」によって突然生まれたわけではないことに注意しよう。「グローバル化」を「これまで存在した国家、地域などタテ割りの境界を超え、地球が1つの単位になる変動の趨勢(すうせい)や過程」とするならば、その過程はすでに「近代化」以前から始まっていたとみることもできる。
時代ごとに起きたさまざまな変動が積み重なっていった結果、1970年前後以降に生じる「市場経済のグローバル化」が、どのように生起していくことになるのか。
非常に射程の広い問いではあるが、以下、さまざまなトピックを挙げていくことにしたい。
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1. 冷戦と国際関係
まず、第二次世界大戦後に生まれた「冷戦」という状況について、簡単に整理しておこう。
冷戦とは、「第二次世界大戦後、1980年代末までの国際関係を特徴づけた、アメリカを中心とする資本主義(西側)陣営とソ連を中心とする社会主義(東側)陣営間の、全世界的な緊張・抗争状態を示す表現」で、(局地的な「熱い戦争」はあったものの、「両陣営全体の間で武力衝突は起こらなかったため、「冷たい戦争」と称される」ものである(参考:『角川世界史辞典』)。
その起点については諸説ある。その一つは、第二次世界大戦中の1944年10月9日、イギリスのチャーチル首相とソ連のスターリンとの極秘会談に遡る。チャーチルが手書きのメモにより、バルカン半島の勢力圏をめぐり、イギリスとの交渉がおこなわれたのだ。
これによりヨーロッパは、イギリスとソ連の間に分断されることとなった。
資料 パーセンテージ協定(1944年)
戦争終結末期に成立した国際連合には、これからは大国同士の協調によって、世界の安全保障がはかられるとの期待もかけられていた。
しかし戦後まもなくその期待には暗雲が立ち込める。東欧や東アジアで、ソ連とイギリス・アメリカの対立が強まり、そのうえアメリカ合衆国が圧倒的な軍事力・経済力を背景として、イギリスをしのぐ勢いをみせるようになっていったのだ。
人類最初の核兵器を開発したアメリカ合衆国を追うように、ソ連も核開発を進め、やがて米ソ両大国は核軍拡を進めていくこととなった。
米ソ両陣営が対立する中、植民地支配を受けていた地域は次々に独立に向かった。
しかし、長年宗主国に従属していた新興独立国にとって、先進工業国のように工業化を果たすことは容易ではない。
勢力圏を拡大しようとする米ソ両国や、旧宗主国の思惑が重なって、「開発途上国」の開発を援助する「開発援助」の枠組みが、しだいに形成されていくこととなった。
ただ、1945~1989年にかけての時期に世界各地でおきたさまざまな出来事のすべてを、「冷戦体制」の論理で説明しようとすることは適切なのだろうか?
人々の意識のなかで、「冷戦」はどのように想像され、共有され、意味付けされてきたのだろうか?
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2. 食糧と人口、資源・エネルギーと地球環境
資料 日本の食生活の変化
資料 ハンガーマップ2020
資料 一次エネルギー消費量の地域別変遷
森林面積の国別順変化と地域別準増減
二酸化炭素排出量の推移
3. 人と資本の移動
大陸を超える活発な人の動きは、蒸気機関の交通機関への応用によって加速した。
19世紀には蒸気船と蒸気機関車の普及にともない、数度にわたってインドのベンガル地方の風土病であったコレラが、全世界的に大流行をおこした。
20世紀後半には、ジェット機が民間航空路線でも運行されるようになり、旅客数が跳ね上がった。また、1960年代以降、コンテナ船が実用化され、物流も激増していった。
それとともに新興感染症・再興感染症が世界規模で流行するリスクも高まった。その代表例は、2002〜2003年のSARSの東アジアにおける大流行や、2020年以降の新型コロナウイルス感染症の大流行である。
資料 移民の流れ
純国際移動を表している。青は移民送り出し国・地域を、赤は移民受け入れ国・地域を示す。空欄はデータがない国・地域を示す。
Q. 現在、移民の送り出し国・地域には、どのような特徴があるのだろうか?
資料 直接投資の受け入れ国・地域
4. 高度情報通信
遠くにいる人とどのように連絡をとり、情報をやりとりするか?
世界史は、情報伝達技術の革新の歴史でもある。
人馬・伝書鳩などによる通信の時代
近代以前においては、視覚による通信(火や煙での信号)、聴覚による通信(指笛、太鼓、角笛など)、伝書鳩による通信などが重要なコミュニケーション手段だった。
国家が広域を支配するようになると、すみずみまで統治者の命令を伝えるために、アケメネス朝の「王の道」で知られるように駅伝制の整備によって情報ネットワークを構築する動きが見られるようになった。
モンゴル帝国でもジャムチと呼ばれる駅伝生が整備され、パイザ(牌符)をもつものに通行の便宜がはかられた。
中世ヨーロッパでは、ローマ教会、修道院、大学が、それぞれ飛脚制度をつくりあげていた。
ルネサンス期には、イタリアの諸都市で商用飛脚制度が発達した。保険や為替、手形割引のためである。
これらこうした各地の飛脚や郵便を統合し、16世紀初めに広く一般の利用に供する郵便事業を開いたのは、16世紀の神聖ローマ帝国・タクシス家の運営したそれである。馬車によって手紙、荷物、人を運搬するサービスだった。
イギリスでも、国営の郵便が16世紀初めからあったものの、王室専用だった。
一般国民にひらかれたのは1635年になってのこと。1680年には、ロンドンの商人ドクラが、1ペニーという安い料金で郵便物を引き受けるペニー郵便をはじめた。
しかし議員ら特権階級は無料で郵便物を送ることができたのに対し、一般人の距離によって料金が高額だったのが欠点だった。
産業革命期になり、これに根本的な改革を加えたのがローランド・ヒルである。1840年、郵便の最低料金は1ペニーに抑え、全国を距離にかかわらず均一の料金とした。料金を前納とするために導入されたのが「切手」である。
明治期の日本は、イギリスのこのロイヤルメールを模範とし、前島密を衷心に郵便制度を導入していく。
郵便物の量が増加し、国際郵便がさかんになると、ドイツのシュテファンらの尽力によって、1874年にスイスのベルンで万国郵便連合(UPU)が結成されることになる。
腕木通信・電信の登場
遠隔地を結ぶ情報伝達技術も18世紀末以来急速に発達していった。
革命期のフランスでは、1793年に腕木(うでぎ)通信という通信手段が導入され、国内に張り巡らされた。これにより1794年のコンデ包囲戦の勝利は、200km離れたパリまで30分で伝わっている。
電車鳩も依然として有効だ。1848年にはフランスのアヴァス社が伝書鳩によって二月革命のニュースをヨーロッパ諸国に伝え、近代的な通信社のさきがけとなった。
現在でも世界随一の通信社であるロイター通信の創業者ロイター(1816〜99)も、もともとはアヴァス社の翻訳者だった。ロイターはアメリカの大統領リンカン暗殺のニュースをいちはやくロンドンに伝え、名を挙げた。
19世紀後半には、モールス信号による電信が普及し、フランスのナポレオン3世が万国通信連合(現在の国際電信連合の前身)が立ち上がる。その後の2度の総力戦と冷戦の時代には、暗号電信の解読合戦がくりひろげられることになる。
このように19世紀以降、情報通信技術は急速に発達していったが、20世紀後半になると、デジタル革命とも呼ばれる情報技術革命がいっそう進展した。
資料 電信ケーブルの世界一周ネットワーク(1902または1903年)
資料 現在の海底ケーブル
資料 インターネットの普及率
資料 インターネット普及率の変遷(2000→2010→2019年)
情報通信技術は、モノの生産を中心とする経済を、サービス中心の経済に変えた。ソフトウェアやアプリケーションなど、形のみえない情報も、商品として生み出され流通するようになった。その影響は、文化のあり方にも及んでいる。
このように、ひとつの商品を製造するために、世界各地に研究開発・生産・流通・消費の拠点が分散されていくことで、世界各地の人々がいわば共通の土俵に立って競争する状況となり、「グローバルな貧困」が生み出されているとの指摘もある。
自由な経済のグローバル化に対しては、反グローバル化(反グローバリゼーション)の立場をとる反対運動や、それと結びついたポピュリズムも、世界各地で目立つようになっている。
資料 スマイルカーブ どの部門がもっとも収益が高い?
資料 エレファント・カーブ
1988年から2008年までの20年間で、先進国の高所得者層と、新興国・途上国の中間層の所得が大幅に上昇している一方で、先進国の中所得者層は、所得を減少させているというもの。
世界の不平等統計については、World Inequality Databaseも参照できる。
携帯電話などのモバイル情報端末の普及は、2000年代以降、先進国に限らず途上国においても爆発的に進んだ。銀行で口座を開設することのできない貧困層が、国外の出稼ぎ先との決済手段としてモバイル送金口座を活用する事例も増えている。
資料 携帯電話の普及率の変化(総務省『2017年度版 通信白書』)
資料 アフリカにおけるモバイル送金口座の普及率
1990年代にインターネットが家庭・個人にも普及し、2000年代になるとスマートフォンが普及し、メディアは多様化した。
個人が情報の送り手になることも可能となり、国境を越えた人々の連帯や、自由・人権に対する意識の高まりが、民主主義を世界に普及させることになるとの展望もなされるようになった。
その一方で、2000年代後半以降、利用者の急増したSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を通じて個人が発信した情報は、政府や大企業による管理・監視の対象にもなりうる。
2010年代以降に問題化するようになったヘイトスピーチやフェイクニュースをはじめ、情報のデジタル化は、人々の価値観や行動にも大きな影響を与えるようになっている。
5. 多様な人々の共存
フランスにおける移民問題
資料 フランスへの移民の人口(出身グループ別、1982, 1990, 2005年)
ドイツにおける移民問題
「スケープゴートになるのはまっぴらだ」
「この2~3カ月の間、DFB、中でもグリンデル会長にはフラストレーションを感じている。エルドアン大統領との写真が出たあと、レーヴ監督からホリデーを切り上げて、ベルリンに行って騒ぎを収めるため共同声明を出すよう言われた」
「グリンデル会長に自分の受け継いだ遺産、祖先、写真を撮影した理由を説明しようとしたが、彼は自分の政治的な見解を話し、私の考え方を矮小化することにご執心だった」
「フランク・ワルター・シュタインマイアー独大統領とも会ったが、グリンデル会長とは大違いで私の話に耳を傾けてくれた。シュタインマイアー大統領と共同声明を出すことで合意したが、グリンデル会長は主導権を取れなかったことに苛立っていた」
「W杯のあと責任を追及されたグリンデル会長は、もう一度私に(エルドアン大統領と写真を撮影した)行動を説明するよう求め、敗因を私に押し付けようとした。一度はベルリンですべては決着したと話していたにもかかわらずだ」
「私はこれ以上、グリンデル会長の無能と能力不足のスケープゴートにされるのはまっぴらだ。彼は写真騒動のあと、私を代表チームから追い出したかった」「彼と彼の支持者にとって、私は勝っている時はドイツ人、負ければ移民に過ぎないのだ」
アパルトヘイトの廃止
その他の視点