新科目「歴史総合」をよむ 1-1.近代化への問い
1. 近代化と私たち
1-1. 近代化への問い
「歴史総合」は「日本史と世界史を合わせたものである」という説明がなされることがある(たとえば、 https://www.daiichisemi.net/column/2022年、高校の授業に新科目導入%E3%80%82「歴史総合」と/ )。
しかし、そのような「足し算論」は、「歴史総合」理解としては的を外している。
むしろ、「日本史を、より大きな世界史の枠組みにおいて再編集したものである」といったほうがよいだろう。より正確にいえば、「世界史」的な視野の中に「日本史」を組み込むだけでなく、「日本史」上の出来事とされている過去の事象を、世界の他地域との関係や比較を通して捉え直していく試みだ。そのようにして、現代世界がどのように形成されていったのかをみていくわけである。
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現代世界のつくられかた
「歴史総合」はその際、現代世界が、以下の3つの要素が絡み合って形成されていったものとみなしている。
「近代化」と「国際秩序の変容と大衆化」「グローバル化」
それぞれの要素はおおむね、
18世紀後半〜20世紀初頭:「近代化」
20世紀初頭〜20世紀半ば:「国際秩序の変容と大衆化」
20世紀後半〜:「グローバル化」
のそれぞれにおいて特徴的にあらわれるとされるが、いずれの要素も現在にいたるまで進行中のプロセスにあるから、「近代化の時代」「国際秩序の変容と大衆化の時代」「グローバル化の時代」のような時期区分とみなさないほうがよいだろう。
追記:成田龍一氏が歴史総合を学ぶシリーズ(岩波新書)の②『歴史像を伝える』において、わかりやすい図を提示されていた。ここに引用しておこう。
成田氏によれば、18〜19世紀に「近代化」が完了したのではなく、そのプロセスは21世紀にいたるまで続いている、すなわち「未完の近代化」のプロセスが作動し続けているというわけである。
本note「新科目「歴史総合」を読む」も、基本的に成田氏と同様のとらえ方によって叙述を進めている。(追記ここまで 2022/07/24)
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なぜ「問い」を設定するのか?
この3つのキーワードに対応する各章の冒頭には、「近代化への問い」と「国際秩序の変容と大衆化への問い」「グローバル化への問い」という3つのセクションがもうけられている。
ここで学習者は、「近代化」「国際秩序の変容と大衆化」「グローバル化」という3つの要素が、過去の世界のできごとをどのように規定し、現代世界に影響しているのかを「問い」を設定していくことになる。
この作業は、夜空の星々を、星座によってつなぎあわせていく行為と、よく似ている。
「問い」を設定することで、通常であれば見過ごしてしまうような、各地の歴史的な出来事を、ある一定の見方・考え方によってつなぎあわせていくのだ。
たとえば「近代化」のもたらした新しい要素は、現代の世界にもその影響を及ぼしている。そのことがわかれば、現代の世界において「あたりまえ」ととらえられていることにも、「近代化」のもたらした要素が反映されていることに気づくことも可能だ。
現代世界のありかたを批判的に問うことは、すなわち、その形成をもたらした、あるいは現在進行形でもたらし続けている、「近代化」「国際秩序の変容と大衆化」「グローバル化」のメカニズム自体を問うことにもつながるということである。
歴史総合が「問い」に注目する理由は、ここにある。
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「近代化」とは何か?
…というわけで今回はまず、このうちの「近代化」という用語に注目してみよう。たとえば、辞書(大辞林で)で「近代化」を引いてみると、次のように説明される。
うーん…難しい(笑)
「近代化」というと、「『近代』になること」を示す言葉なのだから、「近代」についての説明が含められていそうなものだ。辞書の定義のなかで「近代」にあたるのは、「合理的・科学的・民主的」の部分だろうか。でも、「近代」っていうのは時代をあらわす言葉じゃないのか。
納得がいかないので、「近代」という言葉を調べてみよう。
うーん、②の意味を読んでみると、どうも「近代」を指し示す時期は、西洋と日本では違うようだ。しかも、異説もあるという。
定義のなかには「特に市民社会と資本主義を特徴とする時代」という語句があらわれる。ここの部分は、なんとなく「近代化」の意味に近い気もする。
どうだろうか。
「近代」「近代化」という言葉の意味は、なかなかに曖昧模糊としているが、「歴史総合」では、現代世界が形成されていく起点として、18世紀末以降の「近代化」をはっきりと位置付けている。
この「近代化」は19世紀にもっとも典型的に進行するが、そのプロセスは現在も進行中である。の展開の後、20世紀前半には「国際秩序の変容」と「大衆化」のプロセスが重なり、20世紀後半には「グローバル化」が折り重なる。
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「近代化」を問う
このように「近代化」という用語を直接説明するのは、かなり手強い。
なぜか。それは、「近代化」という用語が、複数の要素によって構成される言葉であるからだ。
ひと頃、「脳内メーカー」というサービスが流行ったことがある。
名前を打ち込むと、その人の脳内を構成しているというキーワードが図示されるというものだ。
同じように「近代化」という用語も、それを構成する要素をあげればどうだろうか。
どのような要素について、何がどのように変化していくことが「近代化」なのか、個別に見ていくほうが、遠回りのようで近道だろう。
以下、学習指導要領にあげられた6つのテーマについて、「近代化」とは、何がどのように変化することなのかを考えるための資料を挙げていく。「歴史総合」を学ぶ生徒は、「近代化」の進展した時代を学んでいく前に、「問い」を自ら設定していくことになる。
「近代化」という時代とはいったいどのような時代なのか、その本質を見据えた「開いた問い」をつくった上で、資料を通してその問いを解決したり、問いそのものを変化させ、深めていくわけだ。
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1-1-1. 労働と家族
労働と家族に関する現代的なキーワード
近代化によって、労働が行われている場所、労働と家族の関係はどのように変わっていったのだろうか。
まずは日本を題材にとり、誰が、どのように働いているか、気づいたことを「問い」の形にしてみよう。
資料 19世紀日本の農作業の様子を描いたもの(『成形図説』)
資料 「渡頭の夕暮」(和田英作筆、1897年、東京藝「前年に滞在した矢口村にある多摩川下流の渡し場風景を題材にしたと考えられる作品。緻密な人物構成と、夕日を受けた川面を中心とする清澄な風景とを大画面にまとめ上げた本作は、和田の出世作となった。」(http://mcma.art.coocan.jp/2016/art.html)
資料 大阪紡績会社(1882年設立)における労働の様子
資料 大正期の製紙工場で働く女性たち(岡谷蚕糸博物館蔵)
「自分で繭を煮て糸を繰る諏訪式 4 条繰糸機です。製糸業は、生糸の販売 価格の8割を原料繭が占めるため、いかに、品質のよい生糸を能率よく繰 るかが重要なことであり、熟練した技術を持つ工女さんが岡谷の製糸の発展を支えました。」(https://silkfact.jp/wp/wp-content/uploads/photo.pdf)
資料 山本茂美『あ・野麦峠』
「13の年岡谷山共製糸へ7年契約で入った。姉4人がいっしょで、どの姉も100円工女だったので、ワシも負けないように働いた。同い年は5人で600円もって来たこともあった。その金で父は毎年田んぼを買った。1反歩100円から150円位だったと思う。」(1891年生まれ、岐阜県飛騨地方出身)
日本における仕事の変化のルーツは、世界でもっとも早く、工業化がはじまったのはイギリスにさかのぼる。
従来仕事は家で営むものだった。しかし18世紀頃から、機械の導入された工場働きに行くスタイルへと変化していった。それとともに、子どもや女性も工場に働きに出た。
資料 イギリスの炭鉱での労働(アシュリー卿による報告、1842年)
しかし19世紀中ごろ以降になると、子どもの労働には規制が加えられていくと、男性と女性の役割も変わっていった。女性は家の中で工場で働く夫の帰りを待ち、子どもを大切に産み育てるべきだという近代という時代の家庭像が形作られていったのだ。
資料 19世紀イギリスの中流家庭を描いた絵
https://www.dkfindout.com/us/history/victorian-britain/victorian-family/
では、人々の識字率は、近代化とともにどのように変化していったのだろうか?
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1-1-2. 産業と人口
産業と人口に関する現代的なキーワード
産業
AR/VR/MR、AI(人工知能)、IoT(モノのインターネーット)、QRコード決済、LPWA、RPA、VUI、5G、エッジコンピューティング、クラウド、サーキュラー・エコノミー(循環経済)、スマートフォン、ドローン、ヘドニスティックサステナビリティ
人口
赤字路線、超高齢社会、少子化社会、人口減少社会、人口オーナス社会、過疎化、空き家、限界集落、耕作放棄地、買い物難民、医療難民、分散型社会(2050年、日本は持続可能か? カギを握るのは「地方分散」、提言:広井良典 「地方分散型」の日本へ――AIが示す日本の未来、国土交通省|東京一極集中の状況等について)
最初の産業革命と人口
世界最初の産業革命の起きたイギリスでは、18世紀以前から農村の人々による都市への移住が進んでいた。農村の農地をつなげて広い耕地として経営し、商品として穀物を栽培する動きが、18世紀以降強まっていたからだ。「囲い込み」によって農地を奪われた農民たちは、仕事を求めて都市へと押し寄せ、工場の労働者となっていく。
日本の産業と人口
日本の工場労働者の人口は1886(明治19)〜1909年(明治42)にかけて10倍以上に増加した。
資料 日本の工場労働者数の内訳(東京大学2011年、日本史)
世界規模でみると、工業化の進展にはどのような地域差が見られたのだろうか。
資料 アンガス・マディソン『世界経済史概観』より
資料 GDPに基づく変形地図の変遷(1500、1900、2018)
(1)1500年頃の世界のGDP(Worldmapper)
(2)1900年頃の世界のGDP(Worldmapper)
(3)2018年の世界GDP(GDP Wealth 2018 - Worldmapper)
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1-1-3. 交通と貿易
交通と貿易に関する現代的なキーワード
近代化は、交通手段の革新をともなった。その引き金となったのは、蒸気船と蒸気機関車の実用化だ。
1825年にはイギリスでスティーヴンソンが蒸気機関車を導入し、ヨーロッパ諸国と、その勢力下にあった世界各地へと広まった。たとえば1869年にはアメリカで大陸横断鉄道が完成している。
1807年にはアメリカでフルトンが蒸気船を実用化し、漁船・捕鯨船、輸送船さらには軍艦として利用されるようになった。
また、クリミア戦争(1853〜1856)に際して、戦場となったセヴァストーポリとロンドンを結ぶために海底電信ケーブルが引かれたことを皮切りに、19世紀半ば以降、海底電信ケーブルが世界を一周することとなった。
資料 海底電信ケーブル(1901年)
(出典:A.B.C. Telegraphic Code 5th Edition, via Atlantic-cable、via https://atlantic-cable.com/Maps/index.htm、パブリックドメイン)
日本には1871年に、ロシアのウラジヴォストークから長崎に延伸するかたちで、電信ケーブルのグローバル・ネットワークにつながることとなった。
資料 長崎県長崎市にある国際電信発祥の地の碑
交通技術の革新は、日本の近代化にも影響を与えている。
明治時代初頭、岩倉具視を団長とする使節団が、欧米諸国を訪問し、世界で進行していた交通手段を目の当たりにしている。
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1-1-4. 移民
移民に関する現代的なキーワード
■人々の移動の歴史
人々の移動は、おおまかに自発的な移動と非自発的な移動に分けられることがある。非自発的な移動には、気候変動や戦乱を理由とするものや、強制的な連行や取引の対象となるものが含まれる。強制的な連行や取引の対象としての移動の代表例は、大西洋黒人奴隷貿易だ。
しかし、19世紀以降、黒人奴隷貿易が世界的に廃止に向かうと、プランテーションや鉱山で働かせるための労働者(苦力と呼ばれた)が、中国やインドから移送されるようになっていった。
資料 大陸横断鉄道で働く中国人契約労働移民
その背景にあるのは、先ほど紹介した交通と情報の革命だ。
交通機関や情報分野の技術革新によって、世界各地を結ぶ所要時間が驚異的に短縮され、移民、外国旅行や探検が容易となったのだ。
たとえばアフリカ奥地の探検は18世紀末以降に活発化し、19世紀後半にはアフリカのほぼ全域がヨーロッパ列強に分割されることになる。
また、19世紀初めにはトマス・クックが、鉄道を利用した日帰りのビーチ・リゾート旅行商品を企画し、エジプトをはじめとする海外旅行商品も販売されるようになった。
その一方で、交通機関の革新には、前述の苦力のように非自発的な移動を促す側面もあった。
1840年代、アイルランドで、主食であるジャガイモが伝染病にかかり、深刻な不作に見舞われた。それにもかかわらずアイルランドからは、小麦が商品としてイングランドに輸出されたために、未曾有の飢饉となった。その結果200万人以上がアメリカ合衆国を中心とする外国に移住した。アメリカ合衆国にアイルランド系の人々が多数分布するのは、これがきっかけである。
■日本から海外への移民
明治時代以降、日本では海外との蒸気船の定期航路が整備され、日本から海外への移民も増加していった。
代表的な行先であったハワイに注目してみよう。
資料 ハワイにおける日本人人口
(出典:Population of Japanese men and women in Hawaii in the years、https://en.wikipedia.org/wiki/Picture_bride#/media/File:JapanesePopulationHawaii1890&1920.jpg、パブリックドメイン)
■人々の移動と感染症
人の移動が活発化は、伝染病の流行を誘発する。
開港場の税関では伝染病の権益が行われていたものの、19世紀から20世紀はじめにかけてには数度にわたってコレラやペストのパンデミックが発生した。
19世紀前半にインドの風土病であったコレラが世界的大流行となり、1850年代にはすでに日本で最初に大流行している。
この背景には、インドとヨーロッパやアジアの間が、蒸気船や鉄道によって短時間で結ばれるようになっていたことが関係している。
また、19世紀後半以降、アジア内部においてもアジア間貿易が発達していった。
1886年には日本でコレラが大流行して10万人もの犠牲者が出た。この錦絵は「虎列刺」を空想上の動物に見立て、その猛威を描いたものである。当時の人々はこの感染症をどのように受け止めていたのだろうか?
同じころのドイツでは、細菌学が発達し、コレラが細菌によるものだということが明らかになった。日本からの留学生はドイツで最新の細菌学を学び、それを日本に持ち帰った。のちに日本は台湾という熱帯の植民地を獲得するが、日本における感染症医学は、台湾の統治において生かされることとなった。
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1-1-5. 権利意識と政治参加や国民の義務
権利意識と政治参加や国民の義務に関する現代的なキーワード
近代の世界においては、人々の自由や人権の意識の高まりや政治参加の拡大が進んだ。
そもそもヨーロッパにおける人々と国家との関係は、17世紀以降、大きく変化していった。君主が、国を超えて権力を及ぼす宗教指導者や有力な家門を排除し、国を統べる権利を手にしていったのである(この権利を主権という。「国家の意思や政治のあり方を最終的に決定する権利」(大辞林))。
しかし、君主の主権の独占や、君主から与えられた特権を有する上級身分の人々に対しては、領域内で特権を与えられていない人々の不満が高まっていった。
君主に対する不満は、まずイギリスの植民地であった北アメリカの13植民地で爆発した。
1765年に、イギリス本国が植民地の公文書や出版物に対して、有料の印紙を通して課税すると、植民地では会議が開かれ、次のように宣言された。
この反対運動はアメリカ独立革命に発展し、1783年に独立が国際的に承認された。
まもなく、大西洋の反対側にあるフランスでは、革命が勃発した。
フランス革命を通して、自由や人権が、一部の上層身分のみに与えられるものでなく、人間であればみな、身分に関係なく、生まれながらに持つ権利であることが宣言された。
また、国家の主権も、君主ではなく国民にあることが宣言された。
このようなイギリスやアメリカやフランスにおける政治体制は、すべて「民主主義」と表現される。
果たしてその中身は、すべて同じものなのだろうか?
千葉眞(『デモクラシー』岩波書店、2000年、25-27頁)によれば、近代西欧型民主主義は、(1)人々を成員としてまとめあげる国家=国民的民主主義、(2)複雑な統治上の仕組みをともなう立憲主義的民主主義、(3)経済発展にコミットする自由民主主義(資本主義的民主主義)の3点において古代ギリシア型民主主義との相違点を持っている。
この3点は、相互に拮抗する要素をもっており、柄谷行人(『世界史の構造』岩波書店、2010年)のいう(1)ネイション、(2)ステート、(3)資本の3要素にパラフレーズすることができる。
「欧米諸国で民主主義が発展した」というとき、その内部には、(1)から(3)の複雑性がはらまれている点について、次のように組み立ててみることができるかもしれない。
近代の欧米諸国において、
(1)だれが「民主主義」の担い手となったのか?
・少数民族の存在
・越境的に活動する民族の存在
・女性の存在
(参考)フランス革命期の議論(女性の権利宣言など)
(2)多くの国では、なぜ「直接民主主義」がとられなかったのだろうか?
・代議制民主主義と立憲主義
(参考)J.-J.ルソー「イギリス人が自由なのは議員を選挙するあいだだけのことで、議員が選ばれるやいなやイギリス人民は奴隷となり、無に帰してしまう」(『社会契約論』第3編第15章)
(3)多くの国で、参政権に財産資格が制度化されていたのはなぜだろうか?
・普通選挙制の制度化
(参考)チャーティスト運動
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欧米の自由や人権思想と日本
欧米諸国で発達した自由や人権に関わる思想、政治参加や国民の義務についての考え方は、日本でどのように受け入れられ、変化していったのだろうか?
このような国家による義務を強調する説に対し、明治初期に論陣を張ったのが、フランスのルソーの社会契約論を受けた中江兆民である。
明治初期には、藩閥専制政治に反対する人々が、国会開設と憲法制定を要求し、「自由民権運動」とよばれる政治運動を起こした。このなかで、民間の人々は、さまざまな憲法草案(私擬憲法)を発表している。
その後、自由民権運動は政府による弾圧を受けて鎮圧。政府が主導する形で1889年2月11日、日本では第日本帝国憲法が発布された。作成過程は、国立公文書館にアーカイブされている当時の政府の資料(憲法草案枢密院会議筆記)によってたどることができる。
憲法発布式においては、明治天皇が黒田清隆首相に憲法を手渡している。つまり、天皇は天皇によって与えられたものという位置付けだったことがわかる。
資料 オッペケペー節 (川上音二郎(1864〜1911)の壮士芝居で流行)
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現代、世界のあらゆる国に「市民権」や「国民」に関する制度が普及している。
しかし、その内実は、国によっても大きく異なる。
資料 サウジアラビアにおける女性参政権
資料 イスラエルにおける市民権
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1-1-6. 学校教育
学校教育に関する現代的なキーワード
ヨーロッパにおいて、「子ども期」にスポットライトが当てられるようになるのは、概ね17世紀以降のことだ。
資料 チェコの教育者コメニウス(1592〜1670)による『世界図絵』の挿絵
近代国家は、国民を組織化していく上で、教育を重視していった。
特に工業化におくれをとった国々では、国民に技術を学ばせたり、国民としての意識を高めたりするために、国家による教育が重視された。
日本政府も、明治期以降、西洋をならって工業化していくにあたり、伝統的な教育手法を変えていく必要にせまられた。
資料 渡辺崋山『一掃百態図』部分、田原市博物館蔵
資料 明治時代の小学校(鮮斎永濯画(小林鉄次郎)『小学入門教授図解』1877年、国立教育政策研究所蔵)
資料 義務教育の就学率(文部省『学制百年史』)
(出典:文科省https://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/giji/__icsFiles/afieldfile/2017/02/16/1382330_002.pdf)
同時に国家は、学校での健康診断や伝染病予防などを通して、国民一人ひとりの健康状態をも把握しようとしていった。就学率には、性別によっても大きな差があった。日本では1899年には高等女学校令が制定され、女子中等教育は普及していった。
資料 戦前の日本における教育体系
戦前(1935年頃)と戦後の学制(CC 表示-継承 3.0 File:SchoolSystemJapan.jpg by tom1967 )
就学率は植民地においても、同じような推移をたどっていったのだろうか。
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まとめ 「近代化」の特徴
以上、「近代化」とは何がどうなることなのか、6つの分野について検討してみた。
これらを総合して考えると、「近代化」は、次の4つの特徴をもつプロセスであるとまとめることができるだろう。
① 工業化(産業化)が進展すること
「近代」という時代に特徴的なのは、まず工業化あるいは産業化だ。
「近代」になるまでの時代、すなわち「前近代」においては、農業や家内制手工業が産業の中心だった。
それが一変するきっかけとなったのは、18世紀なかば以降、イギリスで開発された蒸気機関だ。当時の工場は都市に置かれたから、農村から都市に人口が移動し、都市人口はあっという間にふくれあがる。
工場で生産されたモノは、商品として国内はおろか国外にも販売され、「世界どこでも自由に商品を販売できる体制」(自由貿易体制)が形成されていった。
では、このイギリスにはじまる産業革命と自由貿易体制は、世界史にどのような影響を与えたのだろうか?
考えていくことにしよう。
②「近代社会」が成立すること
2つ目の変化は、近代社会の成立だ。
工業化した地域では、都市に「中産階級」が生まれ、彼らは伝統的な階級と、政治・経済の権利をめぐって対立するようになっていった。
新しい社会の「主人公」となるのは、都市でビジネスに従事する「中産階級」(=市民)なのだという価値観は、18世紀後半から世界中に広まっていく。
自由な市民によって構成される市民社会で重んじられたのは、合理性や効率性だ。
生活水準が向上し、平均寿命も延びていった。
自由な生産と消費こそが市民社会の持ち味だったのだけれど、次第に大量生産・大量消費を可能にする経済に移行すると、自由な気風は失われ、しだいに画一的な社会へと変化していくことになる。
ここでいう「自由」にはどんな意味があるんだろうか?
市民社会を構成するメンバーとなったのは、どんな人たちだったんだろうか?
③「近代国家」が形成されること
3つ目の特徴は、近代国家の形成だ。
前近代の国家には、現在の世界の国々に保障されているような「主権」はなく、国内にさまざまな勢力が拮抗していることが当たり前だった。
しかし近代になると、一つの国には一つの政府が確固たる主権を持っているものとされ、国家を構成するメンバーは「国民」として均質化されていくこととなった。
その過程で重要となっていったのが教育だ。
④ 世界市場が成立すること
4つ目はグローバル化の進展だ。
蒸気機関の開発により、蒸気船や蒸気機関が整備され、さらに19世紀後半には電信技術が開発された。
従来だったらとんでもなく長い時間をかけてやり取りや移動をしていた世界各地の人々が、交通機関や通信網によって短期間につながるようになっていったのだ。
こうして世界は同時性を強めていくことになる。
以上、(1)工業化(産業化)、(2)近代社会の成立、(3)近代国家の形成、(4)世界市場の成立が、近代化の代表的特徴だ。
ただし世界のあらゆる地域の人々がいっせいに近代という時代に突入していったわけではない。その在り方や時期、近代化にいたる経過は、地域によってもさまざまだ。
世界のさまざまな地域が、それぞれどのように近代化を経験していったのかという点にも注目して、まずは近代化のはじまる19世紀以前の世界をふりかえりながら、検討していくことにしよう。
このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊