同時に学べる!世界史と地理 Vol.9 前200年~紀元前後
国のサイズが巨大化する時代②
遊牧民エリアの国(茶色)の影響を受け、農耕民エリアの国(緑)も巨大化に向かう。
「国が巨大化する」ってどういうことですか?
歴史:いままですでにいろんな国をアタリマエのように登場させてきたけど、そもそも「国」って言葉、イメージしづらいよね。
はい。
歴史:そもそも、ある範囲にある物や土地をコントロールし、言うことを聞かせることができる人は昔からいた。
「支配者」といったらいいかな。
初期のころは土地から得られる物の生産量は限られていたから、メンバー内部の格差はそこまで大きくない。
集団を維持するために必要なメンバー数も限られるから、「顔見知り」の集団になりがちだ。
血縁関係のある人があつまった集団の場合、めちゃ強いリーダーというのは現れにくく、どちらかというと「話し合い」とか「平等」が重んじられる傾向にあるね。食料も平等に分配される場合が多い。
しかし、農業と牧畜が始まって食料の生産量が飛躍的にアップすると、その経済力を背景に多くの人を従え、生産物を強制的に徴収して再配分する強力な「支配者」が現れるようになる。
集団を構成するメンバー数も増えるので、必ずしも「顔見知り」の人ばかりではなくなり、人々の間の格差が「身分」とか「家柄」で表されるようになっていくよ。
支配「する」側に立った人々は、せっかく手にした支配が長持ちするように、いろんなシステムをつくっていったんだ。
つまりそれが「国」ってことですか?
歴史:ざっくりいえばそういうこと。
「国」というのは、ある一定の「設定」に基づいて外部とは区別された空間の中で、支配「する」側に立った人々が、軍事力や「納得」させるなんらかの力を用いて、生産に関わる大多数の人々から、食料や労働力などを奪うことができる組織のことだ。
地理:現在では国とは、特定の「領域」を持っていて、その領域内ではほかの勢力に「口出し」されることのないパワー(注:主権)を持ち、メンバーである「国民」をコントロールすることができる存在とされている。
「支配者」がなくなってしまっても、「国」の組織が残るよう、さまざまな制度が編み出されていったわけだ。
いろんな立場の人のことを考えつつ、どうすれば支配者が甘い蜜を吸い続けることができるのか?
逆にいえば、どうすればそういう支配者が現れないようにすることができるのか? どんな支配が理想的なのか?
「国」について、今まで多くの人がいろんなことを考え、実験が重ねられてきたのだともいえる。
国が大きくなったからといって、初めからうまくいくとは限らないってことですね。
歴史:そうそう。でかけりゃいいってもんじゃない。
たとえば国はどうやってメンバーをまとめようとしたんですか?
歴史:国っていうのは「人工的」な組織だよね。自然とは違う。
自然とは切り離された「都市」を中心に置いていることが多い。
つまり、そんな人工的な都市の中では、「自然界のパワー」ではなくて「人間界」の中で圧倒的なパワーを持つ存在(=王様)が、とっても「えらい」んだってことをメンバーに伝えることができれば、メンバーも納得だ。
そのために例えば「国王は「都市の神様」によって選ばれた存在だ」とか「国王は「自然界の神様」の生まれ変わりだ」っていう「設定」(ストーリー)を演出する。
その権威によって、国王は各地からさまざまな物や人を徴収することに成功したんだ。もちろん、徴収してばかりだと「格好がつかない」から、ある程度は各地で言うことを聞いていた人々にキャッシュバックされる。
でも、そんなことをしていたら、支配エリアやそこにいる人が増えたら、だんだん大変になってきませんか?
歴史:その通り。
どこかで限界がくる。
この時期にはあちこちに大きな国ができるけど、この時代の支配者は国を豊かにするにはできるだけ広い土地をゲットすることだと考えていた。
そうでなければ「ごほうび」を部下たちにあげることもできないし、みずからの権威を示すこともできないしね。
だから、うまみのある土地は周辺の国どうしの取り合いになった。
どんなところを取り合ったんですか?
歴史:たとえばユーラシア大陸の内陸にある乾燥地帯だね。
乾燥のどこが良いんでしょうか…
歴史:たしかに砂漠で生活するのは大変だ。
でも、乾燥エリアに隣り合わせになっているところでは、馬が飼育できる草原が広がっている(注:ステップ)。
当時の世界では、馬は「最強の兵器」。なんとしてでも確保したいものだった。
それに、その周りの農業ができるエリアには、大きな国がいくつも生まれていた。
大きな国は、国を豊かにするために珍しい品物を求めたり、自分の特産物を遠くで売りたかったわけだけど、そのためには砂漠をまたがなければいけなかったんだ。
そこで砂漠には各国の商人が集まってオアシスという水場に町ができ、その富や交通をコントロールする支配者も現れるようになった。稼ぎの多いところではオアシスの国に発展した町もあるよ。
オアシスの国々には東から中国のシルクが西へ流れ、西のローマからはガラスや宝石が東へ流れた。この貿易ルートのことをシルクロードというんだ。
貿易は陸のルートだけですか?
歴史:この時代には海のルートも開拓されるよ。
ユーラシア大陸の南の方では季節によって風向きが変わるんだけれど、これを航海に応用すれば、船を漕ぐ必要がないことが発見されたんだ。
この季節風を利用した交易の通り道になったのが、南アジアや東南アジアだ。
このへんには中国やインドからビジネスマンがひっきりなしに訪れるようになって、その輸出入品をコントロールした支配者が、主要な港町に現れた。港町をいくつも支配して国に発展するケースも出てくるよ(注:港市国家という)。
国っていうのは、ビジネスによっても誕生するものなんですね。
歴史:そう、農業のためだけに建国されるわけじゃないんだ。
特にオアシスの国には遊牧民の国も支配エリアを広げようとして、農耕エリアの国と頻繁に争いが繰り広げられることとなるよ。
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●前200年~紀元前後のアメリカ
歴史:北アメリカでは、トウモロコシの農業を基盤とした王様が、神殿の「ふしぎな力」を利用しながら勢力を強めている。今のメキシコのあたりが中心都市だ。
どうしてメキシコのあたりで農業がさかんだったんですか?
地理:メキシコには活動のさかんな火山が多数分布している。
今でも地球内部の活動が活発なエリアにあたるからだ(注:新期造山帯の、環太平洋造山帯に属する)。
火山から噴き出した灰は、降り積もると栄養たっぷりな土になる。
また、周辺が乾燥エリアや熱帯エリアなのに対して、メキシコ中央部の標高の高い地域(注:メキシコ高原)では高山気候のために過ごしやすいこともプラスポイントだ。
ちなみに、南アメリカでは海岸近くに強力な力を持った王様がいたようだ。農業や漁業によって成り立っていたことがわかっている。
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●前200年~紀元前後のオセアニア
歴史:オセアニアでは人々の移住の波はいったん落ち着いている。
オーストラリアは相変わらず外の世界との接触がない。
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●前200年~紀元前後の中央ユーラシア
歴史:草原地帯では依然として遊牧民のパワーが強いままだ。
中国の北方では「匈奴」という複数の遊牧民たちの大連合の活動がさかんで、中国の定住民の国と、砂漠地帯のオアシスの国々の支配をめぐって争っていた。
「匈奴」の支配をきらった遊牧民グループの中には、インドの北方に移動した者たちもいるよ。
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●前200年~紀元前後のアジア
◇日本
この時代の日本は弥生時代ですよね。
歴史:そうだね。 稲作が広まると、お米は保存がきくから貧富の差ができる。各地に支配者が現れ戦争も起きているよ。
地理:この時期にはさらに日本列島では高い山が削られて、運び去った土砂が降り積もった大規模な平野(注:沖積平野)があちこちに形成されている。
稲作しやすい環境が整っていったんですね。
歴史:で、最先端の技術はユーラシア大陸からやってきた。
最近では長江の農耕民が、朝鮮半島のほうに移住し、さらに海を渡って日本に稲作を伝えたという説も出されている。
ともかく、この時期の最先端のエリア九州だ。青銅器や鉄器の作り方を知っているに朝鮮の人々を通して、中国の情報を知った支配者たちは、「中国の皇帝」を味方に付けることで自分の支配に箔(はく)をつけようとしたんだ。
中国という「ブランド」に頼ろうとしたんですね。
歴史:「青銅器もらっちゃった!」って自慢して、一枚上手(うわて)に立とうとしたわけだ。そんなわけで当時の日本はたくさんの支配者がひしめく状態だったから、統一したひとつの国があったわけではないよ。
◇中国
中国では秦という国が短期間で滅んでしまっていましたね。
歴史:厳しい支配に対する反乱が起きてしまったんだよね。
その反省を生かした次の国は、「皇帝」が改善策を考えた。
なにがなんでもすべての領土を直接支配するのは厳しすぎる。直接支配するところと、一族や家来に土地を与えて治めさせるところを併用したほうが現実的だろう、と。
つまり大昔の周と、滅んだばかりの秦の支配システムのハイブリッドだ。
うまくいったんですか?
歴史:いや…結局反乱は起きたよ。でもこれを鎮圧した皇帝は、すべての領土を直接支配する方針に転換した。
ただ、無理やり支配しても長続きしないことはわかっていた。
そこで忠実な家来を採用するにはどうすればいいか考えていたところ、上下関係を重んじる儒教という考えが好都合だ、国公認の思想にしようということになったんだ。
当時の皇帝にとって一番のライバルは地方の実力者たちだった。山や川を何個も持っている者さえいる。皇帝は、役人になってみたい者を採用する仕組みをつくったのだけど、地方の実力者の意見が強くて、皇帝には誰を採用するかという決定権はほとんどなかった。
皇帝も大変なんですね。もっとパワーがあるのかと思ってました。
歴史:彼らのご機嫌をとることも大切だからね。この時代の皇帝の力はこんなもんだ。
ただ、領土はこの時代にかなり広がるよ。西の方にある砂漠地帯のオアシスの国々も支配下に組み込んだ。世界各地からビジネスマンが集まる重要ポイントだ。いかに皇帝が素晴らしいかということをアピールするために、歴史:書もつくられているよ。ただ、領土が広がればそれなりにお金も必要になる。
経済改革がおこなわれたんだけど、皇帝の周りに「自分のこと」ばかり考える人たちが群がるようになっていき、しだいに国のパワーは衰えていくことになる。
◇朝鮮
歴史:この時代、中国の支配は朝鮮半島にも及んだ。支配のための役所が四か所に置かれている。
◇前200年~紀元前後のアジア 東南アジア
この時代は海の貿易が盛んになるんですよね。
歴史:そうだよ。その通り道になったのは東南アジアだ。
中国の皇帝も富を求めてベトナム北部まで進出し、役所を置いている。
どうして中国はベトナムの南部まではこれなかったんですか?
地理:中部にある峠は交通の難所だからだ。気候的にもここでベトナムの気候は南北に分かれる。
というわけでベトナムの北部は、今後も中国の文化の影響を強く受けることになるよ。
◇前200年~紀元前後のアジア 南アジア
歴史:この時代のインドは分裂しているね。
北西のほうに山だらけの地域(注:アフガニスタン)があるんだけど、ここではギリシャ人の王国が栄えているよ。
なんでこんなところにギリシャ人が?
歴史:昔、ギリシャの王様がここまで遠征しに来たよね。その子孫がここに住んでいるわけだ。
ギリシャって狭いから、こうやってあちこちに移住して町をつくってビジネスしていたんだよ。
彼らの王国は北からやってきた遊牧民に滅ぼされてしまうんだけど、この場所に住んでいた民族の一派が、山を越えてインドに支配エリアを広げ、インド北部にまたがる大きな国をつくったんだ(注:クシャーナ朝)。
「インドの国」っていうか、ちょっとはみ出てますね。
歴史:今の国境線で考えるとはみ出ているけど、まあ彼らからすれば豊かなインドを支配したかったわけだ。
一方、インドの南のほうでは、山を拠点に港町も支配する大きな国ができる。この国は貿易ビジネスでとっても栄えるよ。
南の方の山はあまり険しくないですね。
地理:そうだね。「デカン高原」という高原地帯が広がっていて、大地の活動はあまり活発ではないね(注:安定陸塊)。
玄武岩(げんぶがん)が砕けてできた土壌(注:レグール)が中央部に分布していて、綿花やピーナッツ(ラッカセイ)の栽培にピッタリだ。
周辺には熱帯に分布する栄養分に乏しい赤土が広がっている。
気候的には、熱帯気候や温帯気候が広がっていて、どちらも夏場に海から吹き付けるモンスーンの影響を強く受け、雨が激しく降る地域が多いよ。
インドはユーラシア大陸のちょうどど真ん中にあるから、東西からさまざまな商品が流れ込んでくる「良いポイント」にあった。特産品の香辛料もヒット商品となっている。
インドの商人は東南アジア方面にも盛んに進出して、影響を与えているよ。
◇前200年~紀元前後の西アジア
歴史:この時代はローマが地中海の覇者へと出世する時代だ。
最大のライバルであった老舗(しにせ)のカルタゴ(フェニキア人)を破り、その後地中海を取り囲む広大な領土を手にしていくこととなる。
でも今度は新たに手に入った土地をめぐって内輪もめが勃発。
1世紀にわたる混乱(注:内乱の1世紀)の挙げ句、これをおさめた政治家は、みずからを神の子孫と名乗り、全ての領土で軍隊を思いのままに動かすパワーを掌握した。
でも、力ずくで支配すると反感を買いますよね?
歴史:だよね。
だからこの政治家は、伝統的にローマの政治を握っていた貴族たちとのバランスをうまくとろうと必死になるんだ。
「僕はあなたたち貴族のことを尊敬しています。僕なんて大したことないっす」ってね(注:プリンキパトゥス)。
敵に回すと怖い人は誰か、よくわかっていたんですね。
歴史:じつに用意周到だ。
対外的には、この時代に領土はぐっと広がって、軍隊が置かれた町はそのまま大都市に発展して今に至るよ。
たとえば、パリ、ロンドン、ウィーン…どれもこの時代につくられた軍事都市だ。
ただ、支配が強まると反抗も起きるよね。
地中海の東岸のパレスチナというところでは、ユダヤ人がローマの支配を受けていた。苦しむ人たちの中から次の時代に「キリスト教」という宗教が生まれることになるよ。
キリスト教って、アメリカとかヨーロッパで生まれたんじゃないんですね。
地理:そうそう、そういうイメージがあるけどね。発祥の地はアジアなんだよ。
今では世界の約33%の人が信仰する、代表的な宗教に発展している。
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●前200年~紀元前後のアフリカ
アフリカには王国はありますか?
歴史:東部(北を上にして右の方)のエチオピアというところに、貿易で栄えた国があるよ。インドや地中海との貿易ビジネスに成功し、いろんな民族が集まるインターナショナルな国だった。
エチオピアってどこにあるんですか?
地理:ナイル川をさかのぼっていくと、現在のスーダンあたりで2つの支流が合流しているのがわかる。
そのうちの「青ナイル」と呼ばれるほうをさかのぼっていくと、高原地帯にある源流(注:タナ湖)に達する。そこがエチオピア高原だ。
ナイル川って定期的に氾濫を起こすんですよね?
地理:いまはもうダムが建設されたから起きないけど、かつてはね。
6~9月にエチオピア高原はモンスーン(季節風)の影響で雨季を迎え、たくさん雨が降る。それがナイル川に流れ込んで、水位が上がるんだ。
エジプトはどんな状況ですか?
歴史:ギリシャ人の支配者の国(注:プトレマイオス朝)が空前の繁栄を遂げていたよね。
でもこの時期には、急成長したローマの領土に飲み込まれてしまうよ。
最後の女王はローマの政治家にSOSを求めたけど、結局そのライバルの政治家によって倒されてしまったんだ。悲劇の最後はのちに劇や映画のテーマにもなっている。
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●前200年~紀元前後のヨーロッパ
歴史:この時期にローマはヨーロッパの内陸方面に進出。
ケルト人を倒して支配を広げた。
ローマの強さの秘密は何だったんでしょうか?
地理:軍事力もあったけど、無視できない要素は気候だ。
この頃以前のアルプス山脈はまだまだ山岳氷河に覆われていたんだけど、それもようやく溶け始めていった。
「アルプス山脈」って何ですか?
地理:地中海の沿岸の地方と、それよりも北の地方を区切るように東西に伸びている山脈だよ。
現在のドイツやスイスと、イタリアの境目になっている。
今でも大地の活動が盛んなエリア(注:新期造山帯のひとつ、アルプス・ヒマラヤ造山帯に属する)であり、最高峰はケーキの名前にもなっている「モンブラン」だ。
山の形が妙にとがっていますね。
地理:氷の塊(注:谷氷河(山岳氷河))に削り取られてできた氷河地形なんだ。ほかに、マッターホルンやユングフラウといった山が有名だね。
開通したアルプス山脈の峠を通り、ローマの将軍はケルト人の地域を制圧していったんだ。
川を挟んでケルト人との戦争が続くけど、完全に征服することはできなかった。
気候が温暖化する時代にあたったわけですね。
地理:この時期にローマがアルプス山脈を超えて北に広げたのがブドウの栽培だ。
従来は壺に入れて発酵させていたワインも、この時期にナラ材の樽で発酵させるようになり、ワインに木の香りが加わることとなった。
ヨーロッパの国ってABC…のアルファベット(ローマ字)を使ってますよね。これってローマと何か関係ありますか?
歴史:よく気づいたね。
この時代にローマがヨーロッパに支配を広げた影響のひとつだね。
ロンドンやパリ、ウィーンといった今につながる大都市も、この時期に建設されたんだ。
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