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5.3.8 百年戦争とバラ戦争 世界史の教科書を最初から最後まで

フランス国王が国内統一の”小遣い稼ぎ”のために目をつけたのが、毛織物産地のフランドル地方

フランス国王・イングランド国王・フランドル伯(はく)など、さまざまな権力者の思惑入り乱れる中、14世紀前半、フランスのカペー王家の跡継ぎがいなくなった。

300年以上続いたカペー朝に代わり、フランス国王に即位することとなったのは、その親戚のヴァロワ家。
これがその後200年以上続く、ヴァロワ朝(1328~1589年)のはじまりだ。

しかし面倒なことに、イングランド国王エドワード3世が「母はカペー家出身だ。だから俺がフランス王になる権利がある!」と公然と主張したから大変だ。


下図が、エドワード3世の定めたイングランド王室の紋章。フランス王の紋章である百合(ゆり)がもともとのイングランド紋章(上図)に組み合わせるようにして足されている。「自分がフランス王位を継ぐべきだ!」とアピールするためのものだ。



これがきっかけとなって、その後1453年までの100年以上にわたる百年戦争が勃発してしまう。



イングランド軍の策は、長い弓の部隊(長弓兵)を駆使し、短い弩(いしゆみ)を使用するフランス騎士軍を圧倒すること。

クレシーの戦いなどでの、エドワード黒太子(ブラックプリンス)の活躍もあって、フランス南西部はイングランド王国の手に落ちた。



フランス南西部といえば、ボルドーに代表されるブドウとワインの産地。

ワインはキリスト教の儀式でも用いられる重要な商品だった。



しかしそんな中、黒死病として怖れられたペスト(黒死病)の大流行(14世紀中頃)や、農奴による反乱(ジャックリーの乱)がフランス王国を襲う。

国王シャルル7世(在位1422~61年)の頃に、すでにフランス王国は崩壊寸前の危機に陥った。


そこに颯爽と現れたのが、ジャンヌ=ダルク(1412~31年)。
男勝りの少女は「神のお告げ」を信じ、国王に「イングランド軍をやっつけ、フランスを救います」と直訴。

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オルレアンという都市でイングランド軍に包囲されていたフランス軍を、先頭に立ち解放したのだという。
ジャンヌはその後、シャルル7世に見放されて1431年に火あぶりの刑とされた。後世の人々によって追加されたエピソードも数多く、謎多きヒロインだ。

その肖像画も、ほぼ同時代の絵画と

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後世の絵画では、描かれ方にも大きな差がある。その時々の人々がジャンヌ=ダルクに願うイメージが投影された結果といえるね。


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ともあれフランス王国はジャンヌの登場以降、勢いをもりかえしたのは間違いない。
全土をほぼ統一することに成功した。

イングランド軍はカレーを残して撤退。こうし現在と同じように、大陸はフランスが、島はイングランドが支配することとなったわけだ。

しかし、戦後のフランス、イングランドの社会では、大きな変化が生まれた。
100年以上の長期間にわたる戦争によって、フランスの諸侯・騎士は国王に頼らなければ領地を経営することもままならなくなっていった。シャルル7世は大商人とベッタリくっついて財政を建て直し、常設の軍隊も設立。諸侯や騎士を従え、国王の役人として取り込んでいくようになったよ。


一方のイングランドでは、ランカスター家ヨーク家が、王位をめぐって激しく争った。これを「バラ(Roses)の戦争」(1455~85年)。「バラ」の由来は、ランカスター家の紋章は赤バラ、ヨーク家の紋章は白バラであったという、のちの人々の想像にちなむもの。日本でいうところの紅白に分かれた源平合戦のような感じだね。




イングランドの諸侯・騎士は両グループに分かれ激しく争った。その結果、フランスと同様に諸侯・騎士ともにすっかり力をそがれてしまう。

そんな中、ランカスター派であったヘンリがヨーク家を倒し、1485年にヘンリ7世(在位1485~1509年)として即位。
テューダー朝(1485~1603年)のはじまりだ。

ヘンリ7世は統一国家の組織をがっちりと整備し、王権に反抗するものは容赦なく処罰した。
行政権だけでなく司法権も握り、ウェストミンスター宮殿の「星の間」では、敵対勢力の裁判が行なわれた。これを「星室庁裁判所」というよ。


百年戦争は、フランスにとってもイングランドにとっても、国王の中央集権化をうながす役割を果たしたといえるね。



ちなみに、イングランド王国で王権が拡張していく中で、ケルト系のアイルランド王国とスコットランド王国も、負けじと独立を保っていたことも忘れちゃいけない。

ウェールズ王国はすでにイングランド王国に併合されてしまっていたけれど、そのエリア区分は残され、14世紀以降は、イングランド国王の長子が「ウェールズ公(プリンス・オブ・ウェールズ)」の称号を与えられることが習わしとなった。
ただ、イングランド人による支配を受けたものの、ウェールズ人の「ウェールズ人意識」はその後も続いていく。百年戦争のときに活躍した長弓兵の部隊も、その多くがウェールズ人だったんだよ。




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