同時に学べる!世界史と地理 Vol.22 1920年~1929年の世界
1度目の大戦争が終わって、新しい国際関係が作られていく時代
歴史:この時代は人々が「世界大戦」が起きてしまったことを「反省」する時代だ。
それを主導したのがアメリカ。
そこに加わらずに「自己流」の発展をすすめようとしたのが、ロシアにできた「労働者の国」だ。
アメリカと、ロシアの「労働者の国」はどんな主張をしたんですか?
歴史:どちらも、戦後の世界に関するプランを発表している。
まず、アメリカは「古いヨーロッパ流の世界」を一旦壊して、新しい価値観で世界をまとめようとした。
その最たる例が、イギリスやフランスが世界中で牛耳っていた植民地だ。
また、これだけの戦争に発展してしまった「国際関係の方法」も見直すべきだろう。
つまり、戦争が起きる原因をつぶしていこうとしたわけですね?
歴史:そう。
それと同時に、イギリスやフランスに植民地を手放させ、世界中でビジネスを展開しようとしたわけだ。
一方ロシアでも、労働者の指導者たちがやはり「古いヨーロッパ流の世界」を批判し、世界中の民族が自分たちの国を持てるようにするべきだと訴えた。アメリカの大統領もこれを聞いて、今まで国をもてなかったヨーロッパの民族が国を持つことができるように調整していった。
優しいですね。
歴史:まあ、国をつくってあげれば、言うことを聞いてくれるからね。
それに、労働者の国の考え方に染まってしまうと、経営者は追放され、自由にビジネスもできなくなってしまうからね。
負けたドイツはどうなっていますか?
歴史:フランスやイギリスは、自分の国の世論にも押されてドイツにとてつもない額の賠償金を押し付けた。
その処置も非常に厳しく、世界中のドイツの植民地はイギリスとフランスがしばらく「代わりに」支配することになったよ。
「代わりに」っていっても、勢力下に入れることにはかわりないですよね。
歴史:そうなんだ。
でも「植民地にする」と、さすがに「そんな古いやり方をまだやろうとしてるのか」と批判を浴びるから、そういうやり方を取ったんだ。
ドイツの持っていた、アフリカ、オセアニアの植民地は、このようにしてイギリスとフランスが主に「代わりに」支配することになった。
戦争でドイツ側に立っていたオスマン帝国も、このときに多くの領土を失っている。
西アジアの国々は、イギリスやフランス、そしてアメリカの顔色をうかがいながら、次第に「ヨーロッパ流」の国づくりを進めていくことになるよ。
どんな支配がされていたんですか?
地理:地図を見てみると、植民地になった地域は緯度が「赤道からみて北極寄り」(注:中緯度)のところにあることが多い。
そういう北寄りの国が、赤道周辺やさらに南の地域を植民地として取っていった構図になる。
そうなると植民地になったところというのは熱帯地域が多いわけなので、熱帯ならではの作物を育てるビジネスをさかんにやったわけだ。
大土地を取り上げてそこに同じ種類の作物だけを大量に栽培させ(注:モノカルチャー(単一耕作))、現地の人を働かせる。足りなければ別の植民地から人を連れてくる。
そうやって経営する大農園のことをプランテーションという。
具体的にはどんな作物を?
地理:コーヒー、茶、カカオ、サトウキビ、バナナ、ココヤシなどが代表だね。
どれも「生きていく上で絶対に必要な食べ物」ではない。
あくまで「楽しみとして食べるもの」 (注:嗜好食品)だ。
現在の世界をみてみても、やはりそういう作物は暑いエリアで栽培されて、それを北のほうの先進国が食べるっていう構図が主流だね。
コーヒーでいえば、現在のコーヒー生産国トップ3はブラジル、ベトナム、コロンビア。だけど消費する量の多さはヨーロッパ諸国がだんぜん多い。
今も引きずる格差が生まれているんですね…。当時の日本はヨーロッパ諸国による影響を受けますか?
歴史:イギリス側で参戦していた日本はこの戦争で戦勝国になった。
そこで、「世界中の国が加盟して、戦争を起こした国がいたらみんなでお仕置きをするためのグループ」(国際連盟)の「中心メンバー」になることができた。
「ヨーロッパ化」を進めて行った日本は、短期間でヨーロッパ諸国と「肩を並べる」までのし上がっていくことに成功したわけだ。
でも、これを警戒したアメリカは、日本とイギリスの同盟関係を解消させ、「中国と太平洋に進出するなよ」と釘を指しているよ。
国際的な「反省」「平和」ムードの中、日本もしばらくはその流れに乗ることにした。
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●1920年~1929年のアメリカ
「世界大戦」が終結したのは、アメリカ合衆国の「おかげ」という面が大きそうですね。
歴史:そうだね。
終盤でイギリス側に立って参加した面が大きかった。
大戦中には、イギリス側に大量の物資や資金を貸し与えたため、戦後には「外国に貸している額>外国から借りている額」となって、寝ていても利子付きのお金が流れこむスーパーリッチな国にのし上がっていったんだ。
すごいですね。
歴史:ミッキーマウス、ハリウッド、コカコーラ、大リーグ、ジャズ、大量生産の自動車、家電…。
この空前の繁栄に支えられ、「たくさん作って、たくさん買う」アメリカ式の生活は世界中の「あこがれの的」になっていったんだ。
地理:ニューヨークのマンハッタン島には超高層ビル(注:摩天楼)が立ち並び、世界の金融・情報・政治・経済に影響を及ぼす都市へと発展していった(注:世界都市)。
北アメリカ大陸の東海岸には、いくつもの都市を周りにしたがえる巨大都市(注:メトロポリス)が、さらにいくつも連結した巨大都市群が出現するようになっていった(注:メガロポリス)。
現在にいたるまでニューヨークは「世界都市」の評価を受けている(ITメディアより)。
歴史:でも、「どうしてヨーロッパの戦争なんかに参加したんだ」という意見も根強く、「今後はいっさいヨーロッパの政治に関与したくない」という閉鎖的な意見も強まった。大統領が計画した「世界平和のための組織」への参加も、議会の反対で見送られている。
それが行き過ぎると、ヨーロッパからの移民は出て行け!とか、アメリカ本来の純粋な文化を守れ!という過激な主張にもなっていく。
そんな「内向きだが楽観的」なムードが、この時代の特色だ。
中央アメリカや南アメリカはどんな感じですか?
歴史:アメリカに対する反発も起きているけど、経済のしくみは相変わらずアメリカやヨーロッパ諸国に、自分の国でとれた農産物や鉱産資源を輸出するものだ。
たとえばどんな資源ですか?
地理:メキシコやペルーは銀の産出量が多いね。
どうしてですか?
地理:地球の内部の高温の物質によって温められた地下水に、銀が溶け込み、それが岩盤の割れ目に溜まることで鉱脈が形成される。
だから銀は地球内部の活動が盛んなところ(注:新期造山帯)で採掘されやすいんだ。
熱水が湧き出るところで発見されやすいが、「掘りやすさ」はまた別問題である。
南北アメリカ大陸の太平洋岸は、今でも大地の活動が盛んなところ(注:環太平洋造山帯)だ。
歴史:これじゃあ、土地をたくさんもっている人や一部の有力者しか、豊かになっていかないね。
土地や資源をめぐって、軍人が力ずくで指導者になろうという動きも起きている。
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●1920年~1929年のオセアニア
この時期には、日本がオセアニアに進出しているようですね。
歴史:そうだね。
日本は世界大戦に参戦した「ごほうび」に、その南方(北を上にすると下方向)の島々を委任統治することになっただ。
「いにんとうち」って何ですか?
歴史:しばらくの間、代わりに支配するということだ。
もともとヨーロッパのドイツが支配していたのですが、負けたので日本が南に領土を広げたんだ。
でも、日本が太平洋に進出することに対して、アメリカ合衆国は強く「警戒」するようになる。
っていうか、日本ってそんな南のほうに領土をもっていたんですね。
地理:もうみんな忘れてしまった「過去」だけど、今でもパラオという国では、日本語が公用語になっているところもある。
それと、「領土」っていう言い方。
島(=領土)以外にも、海(=領海)や空(=領空)も支配できたわけなので、全部合わせた「領域」って言ったほうがいいかな。細かいけど。
領域=領土+領海+領空。近年は、領海の外側に「経済水域」が認められ、公海(=みんなの海)と区別されている(wikibooksより)。
日本はこのへんの海域でも漁船を操業することが可能になったわけだ。
缶詰が普及したことで、こんな遠い海域まで漁船を出す「遠洋漁業」がさかんになっていくよ。
遠くオーストラリアまで真珠を取りに行った和歌山の漁師もいた。
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●1920年~1929年の中央ユーラシア
歴史:ロシアでは皇帝が倒され、労働者を指導者とする国が誕生した。
でもどの領土は、倒したロシアが持っていた領土をほぼ引き継いだので、ユーラシア大陸の民族たちにとっては「支配者が交替しただけ」ということだ。
「労働者の国」の領土は、ロシアだけではなかったんですね。
歴史:そうだよ。
ユーラシア大陸の内陸にある各地域も、国境で区切られて個々に「労働者の国」に作りかえられていった。
例えば…カザフスタン、ウズベキスタン…
地理:それと、トルクメニスタン、タジキスタン、キルギス…っていう国として独立しているね、現在は。
この線引きは「適当」なもので、実際にはいろんな民族が暮らしている。
外務省HPより。
当時も、一見独立しているようにみえるけど、ロシアの指導者のいうことを聞かなければいけなかった。
もっと東の方のシベリアにもいろんな民族がいたわけだけど、ここもロシアの「労働者の国」の一員となった。
たとえばどんなところですか?
地理:たとえばモンゴル高原のさらに北にはヤクート人っていうトナカイを遊牧させる生活を送っている民族がいる。南のほうでは馬や牛の牧畜もやっている。
前の時代にシベリア鉄道が完成してからというもの、ロシア人の移住も増え、ロシアの宗教(注:正教会)や文字(注:キリル文字)も受け入れていった。
でも、現在でも独自の文化を残しているよ。
国の方針が変わっただけで、結局いろんな民族を支配しているわけですね。
歴史:そういうことだね。
この、ロシアを中心とするグループのことを「ソ連」というんだ。
「ソ連」っていうのは国名っていうよりは、「ロシア」をリーダーとする「グループ」名と考えたほうがわかりやすい。
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●1920年~1929年のアジア
〇1920年~1929年のアジア 東アジア
歴史:日本は「第一次世界大戦でイギリス側に立って戦い、ドイツの持っていた植民地を代わりに支配する権利を手に入れた。なんと国際連盟という「世界平和」のための組織の中心国のひとつにまでのぼりつめたんだ。
順調ですね。
歴史:でも喜びもつかの間。
大戦後の不景気に関東大震災が重なって、「国内の問題を、国外への進出で解決しよう」という考えも増えていくよ。
つまり、広い中国に進出して資源を獲得しようとしたわけだ。
当時の中国では、皇帝が倒されたものの「バラバラ」な状態が続いていましたよね。
歴史:そのとおり。
せっかく皇帝を倒したのに、軍隊の力が強すぎて各地で軍人が半分独立した政府をつくって分裂していた。
それぞれの軍人を、別々のヨーロッパ諸国や日本が応援したものだから、分裂状態はますます深まっていた。
かつて皇帝を倒す運動を計画した指導者は、中国人の中から外国人に立ち向かおうとする運動が生まれつつある姿をみて、「もう一度、国民の力を信じ、中国を共和国としてまとめよう」と決意したんだ。
じゃあ、国の方針としては「自由な国」をつくるってことであると―
歴史:そう。
ただ、中国の皇帝が倒れたのを見て「これはチャンスだ」と思ったのが、当時、革命で同じく皇帝を倒したロシア人たちだ。
ロシアの革命に共感し、同じように「労働者が輝ける国」をつくろうというグループが中国にもできて、「経営者」や「大地主」たちを中心とするグループと対立することになる。
どうなったんですか?
歴史:紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、結局は「経営者」や「大地主」の支持を得たリーダーが支配権を握るよ。
アメリカやイギリスの力を背景にして中国から日本の勢力を締め出しつつ、国内の「労働者の国」をつくろうとするグループの退治が進められていった。
中国も、せっかく独立までこぎつけたのになかなかまとまりませんね。
歴史:そうだね。
中国の皇帝の支配を受けていたモンゴル人も、これをチャンスに独立しようとする。
北のほうのモンゴル人は、ロシア人の援助も受けながら「労働者の国」を作ろうとしていくよ。
〇1920年~1929年のアジア 東南アジア
東南アジアでは、植民地から独立しようとする動きは起きませんでしたか?
歴史:さかんになっているよ。
ロシア人の指導者が「すべての民族は自分たちの国を持つべきだ!」と励ましてくれたおかげで、各地でロシアでの「労働者主体の国づくり」を参考にした運動が活発になっていったよ。
たとえば、ベトナムではのちに「国の父」として活躍することになる人物が運動を始めている。
ただ、インドネシアみたいにたくさんの島でできた国では、歴史も言葉も違うから「一丸となって」独立運動を起こすことが難しい。模索が続けられているよ。
〇1920年~1929年のアジア 南アジア
インドでは独立運動が盛り上がっていますね。なぜですか?
歴史:イギリスが、「戦争に協力してくれれば、自分たちでインドのことを決めてもいい」って約束していたんだけど、戦後にイギリスがそれを拒否した。
それに怒ったわけだ。
そんな中、弁護士出身のエリートだけど、着飾らずに誰にでもわかりやすい言葉でインドの人たちに話しかけることのできた指導者が、独立運動を本格的にすすめていくよ。
「暴力に対して、暴力を使ったら、負けだ」と、発想を転換した運動によって支持者を伸ばしていったけど、イギリス側もなかなかインドを手放そうとはしなかった。
〇1920年~1929年のアジア 西アジア
西アジアでは、オスマン帝国が戦争に負けていましたよね。
歴史:これで、いよいよ「おしまい」だね。
オスマン帝国の皇帝は、軍隊にも見放されてしまう。
軍隊のトップは別の政府を立ち上げ、オスマン帝国の皇帝をクビにし、さらにイスラーム教徒の「リーダー的存在」であったカリフという制度も廃止してしまったんだ。
イスタンブールはヨーロッパのような町並みだ。
どうしてそんなことをしたんですか?
歴史:これからは「ヨーロッパ型の国づくり」をしていかないと、この国はダメになってしまうという指導者の信念があったんだ。
この人には「トルコのお父さん」という称号が与えられている。
じゃあ、なんとかなったんですね。
歴史:そうでもない。
領土の一部はイギリスとフランスが「代わりにしばらく支配する」っていう名目で、バラバラに分けられてしまったんだ。
ほかの国はどうですか?
歴史:やはり「危機感」があって、トルコと同じように近代化を急いだよ。
イランでも軍人によって王様が倒されて、新しい王国(注:パフレヴィー朝)が近代化をすすめた。イギリスと提携して、国内で石油を掘る会社を共同で設立している。
イギリスのねらいはもちろんその石油にあったわけですね。
歴史:そうそう。一方、アラビア半島では王様が国を統一(注:のちに「サウジアラビア」と呼ばれる)して、厳しいイスラーム教のルールを適用しながら、石油を掘る権利をヨーロッパやアメリカに与えて利益を得ようとしている。
地理:石油のとれるところが「争奪戦」になりやすい理由は、その分布が特定の地域に偏っていることにある。
ロシア、サウジアラビア、アメリカ、中国、それにイラン、メキシコ、カナダ、ベネズエラでよくとれる。そのうち、5割が西アジアのペルシア湾というところの周辺でとれるから、ここをめぐって熾烈な闘いが勃発したわけだ。
緑色のところが油田。
この時代は「石油」がカギを握る時代になっていくんですね。
歴史:自動車や飛行機の時代だもんね。
ざっくりいうと、石油を固い箱の中で爆発させることによって、大きなエネルギーを得ることができるようになったんだ(注:内燃機関)。
ロシア人も巨大な油田を確保するために、イランの北のほうまで領土を広げているよ。今のアルメニアやアゼルバイジャンのあたりだ。
アゼルバイジャンのバクーには巨大な油田がある。
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●1920年~1929年のアフリカ
「世界大戦」の結果、アフリカの民族たちには自分たちの国をつくる権利が認められましたか?
歴史:そうはいかなかった。
ドイツの植民地だったところは、イギリスとフランス、それに南アフリカなどが「代わりに」支配することとなった。
というわけで結局独立できているところは、リベリアとエチオピアだけ。あとは植民地ばかりだ。
各地で独立に向けた運動も起きるけど、うまくはいっていない。
各地でいろんなものを栽培させられていますよね。
地理:そうだね。
イギリスの植民地だった現在のケニアやタンザニアでは、お茶やコーヒーのプランテーションが行われている。
紅茶の主要生産国(Japan Tea Trading のサイトより)
コーヒーの主要生産地(AGFのサイトより)
今でもコーヒーの「キリマンジャロ」っていう銘柄は有名だよね。
コーヒーは赤道周辺の山地で栽培されることが多いんでしたよね。
地理:そうそう。東アフリカにはケニア山やキリマンジャロ山など、5000mを超える山があって、ここでは万年雪もみられるほどだ。
イギリス人が移住したのは海岸地帯よりも、こういう山のエリア(注:ホワイトハイランドと呼ばれた)が多かった。
どうして高いところに?
地理:低地は暑いからだ。だって赤道直下だから。
このころの影響は今でも残っていて、お茶っ葉の生産ランキングには今でもケニアやタンザニアなど、イギリスの植民地だったところがランクインしている。
「午後の紅茶」の国ならではだ。
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●1920年~1929年のヨーロッパ
歴史:ホモ=サピエンス史上未曾有の死傷者をもたらした第一次世界大戦。
大戦によってヨーロッパの国境線が大きく変わったよ。
どんなふうにですか?
歴史:まず、ドイツは領土を失った。
さらに「皇帝の国」が滅んだので、今まで国を持てなかった民族が国を持てるようになっている。
でも、ヨーロッパがまず直面することになったのは、大戦から「立ち直る」ことだ。
戦争の痛手は深い。
アメリカからお金を借りていたイギリスやフランスには、借金ものしかかっている。
イギリスやフランスはどうやって借金を返そうとしたんでしょうか?
歴史:ドイツからの賠償金を取り立てることで、解決しようとしたんだ。
そして工業を復興させ、アメリカに返済するプランだ。
でも、そのためにはドイツが「二度と戦争をしない国」にしておく必要がある。
さらにドイツが耳をそろえて賠償金を返す必要もある。
でもドイツだって大変な状況だ。
ドイツ側につかなかったもの、経済の遅れ気味のイタリアも、なかなか社会が安定しなかった。
社会が不安定になると、また過激な考え方が生まれそうですが…。
歴史:その通り。
いろんな問題があったわけだけど、その中でも次の2つのグループが注目されていった。
① 「国民」という「仲間意識」を高め、別の民族や国を見下し、今の政府を倒して「リベンジ」を狙おうとするグループ
② ロシアの「労働者の国」を見習って経営者を追い出し、国をぶっ壊そうとするグループ
①も②も暴力的だから、「大多数のふつうの人」にとってみれば怖かった。
この「不安な心理」が、やがて各国で大きな変化を生むことになる。
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