歴史の扉⑨ 広島・長崎のウラン鉱石は、コンゴからやってきた―ウランの世界史
スマホ(→歴史の扉⑦ スマホの世界史)の部品に使われているコバルトが、コンゴの過酷な採掘によって供給されている。そんな話を、スマホの画面を通して目にする機会も増えてきた。
写真家セバスチャン・サルガドの撮影した金鉱を彷彿とさせる光景だ。これが、21世紀のテクノロジーをささえている現実がある。
そもそもコンゴでコバルト開発が始まったのは1906年のことだ。UMHK(上カタンガ鉱山連合)は1925年までに25万人の現地住民を動員し、急増する世界の需要の90%を満たした。
だが、その利益のほとんどが流れ込んだのは宗主国ベルギーだった。
話はここで終わらない。
このUMHKは、1915年頃にコンゴのシンコロブウェ鉱山でウラン鉱を発見。
このシンコロブウェのウランこそが、1945年8月に広島・長崎の核攻撃に使われた核弾頭の3分の2を占めるものとなるのだ。
このことは、スーザン・ウィリアムズが『コンゴのスパイたち』(未訳)のなかで詳述している。ナチスの原爆開発を阻止するための連合軍作戦を描いた「ヘビー・ウォーター・ウォー」のように、コンゴのウランがナチ・ドイツの手に渡らないようにするための諜報活動が繰り広げられたという。
コンゴから供給されたウランはニューヨーク・スタテン島の植物油の倉庫に保管された。マンハッタン計画は「マンハッタン」とは無関係だが、要である原料は、ほど近い場所にあったことになる。
そして、シンコロブウェのウランをアメリカ陸軍に売り込む取引がおこなわれたのは、まさにマンハッタンだった。1942年9月18日、マンハッタンのミッドタウンにあるオフィスで、ベルギーのソシエテ・ジェネラル社がウランを1ポンド1ドル強で売り込むことを決定したのだ。
これを受け、シンコロブウェでは、コンゴ人労働者が雇われ、マンハッタン計画で使うウランが採掘された。
いったい何のために、何を採掘しているかもわからぬままに―。
いまこそウランによって、コンゴのシンコロブウェ鉱山、ニューヨークのスタテン島、そして広島・長崎を結ぶ想像力を立ち上げてみたい。
参考
・溝部泰雄「原爆と反核―20世紀中葉のアフリカと日本の共通体験」、永原陽子『アフリカ諸地域〜20世紀』岩波講座世界歴史18、岩波書店、2022年、303-304頁。
・桃木至朗・中島秀人編『ものがつなぐ世界史』 (MINERVA世界史叢書 5)、ミネルヴァ書房、2021年。
・Tom Zoellner, In Congo, silence surrounds forgotten mine that fueled first atom bombs, ALJAZEELA America, July 23 2015.
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・Susan Williams, The link between uranium from the Congo and Hiroshima: a story of twin tragedies, The Conversation, August 24 2016,
https://theconversation.com/the-link-between-uranium-from-the-congo-and-hiroshima-a-story-of-twin-tragedies-64329.
・Cover Photo by https://unsplash.com/ja/%E5%86%99%E7%9C%9F/QuTiIezr6BI?utm_source=unsplash&utm_medium=referral&utm_content=creditShareLink
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