歴史の扉⑦ スマホの世界史
遠距離通話のトラブルがトランジスタを生んだ
半導体とは、電気を全く流さないのでもなく、よく通すわけでもない、半端な特徴をもつ物質だ。
これに不純物をちょっと混ぜると、電気の流れ方を人工的に変えることができるため、情報をつたえる電気機器に使われるようになった。
そのきっかけとなったのが、電話に用いられたトランジスタである。
トランジスタが使われるようになる前、初期の電話には、電気信号のエネルギーを増幅させるために真空管(1912年)が用いられていた。
だが、通話距離が長くなると、真空管がいくつも必要になる。
真空管には白熱電球のように寿命がある。
それが問題だった。
また、電話をかけた人と受ける人をつなぐため、電話交換手がスイッチを手動でつけかえていた。
しかし遠距離通話ともなると、何度もつけかえが必要だ。
自動システムが導入されても、スイッチのつけかえはやはりめんどうだ。
そういうわけで、とくに遠距離通話において、真空管や金属接点スイッチに代わる何かが求められるようになった。
そういうわけで、研究開発は、アメリカのAT&T(グラハム・ベルのおこしたベル電話会社(1877年)が前身)の研究所である「ベル電話研究所(のちにベル研究所と改称)」を舞台に、戦時中からはじまった。
結果として、1947年に開発されたのが、半導体を用いるトランジスタだった。
(なお、この発明に目をつけたのが、東京通信工業(のちのソニー)の井深大である。彼はこれをラジオに転用し、日本はおろかアメリカにおいても大ヒットとなった)。
トランジスタ開発の中心だったショックレーは、カリフォルニアでショックレー半導体研究所を設立。同地はやがて「シリコンバレー」と呼ばれるようになる(1954年以降、トランジスタはシリコンでつくられるようになった)。
もっとたくさん、もっと小さく
ショックレー半導体研究所のロバート・ノイスは、シリコン製トランジスタの新製法を開発。
シリコン製のトランジスタには当初、動作が不安定な面があったが、シリコンの表面を酸化膜で覆えば解決できる。この技術をプレーナ・プロセスという。
このノイスが1968年に創業したのが、インテルだ。
プレーナ・プロセスを用いれば、トランジスタをシリコンの薄い板(ウェーハ)のうえに、一気にたくさんつくりこむことができる。
これが、トランジスタをひとつひとつバラバラにする必要がなくなるし、そこにほかの部品もセットにして配線してしまえばいいじゃないかというアイディアにつながった。
それが集積回路のはじまりだ。
集積とは、回路をなるべくたくさん小さなチップに組み込むことをいう。
チップのなかにたくさんの要素を入れ込むことができれば、それだけ複雑な処理も可能になる。
こうしてムーアの法則(半導体回路の集積密度は「1年半~2年で2倍となる」との
経験則)に従い急速に発達していった集積回路は、1970年代初頭にかけて、すでに1946年に誕生していたコンピュータ(電子計算機)に応用され、世界を大きく変えていくこととなる。
(つづく)
参考文献
・西村吉雄「半導体―現代生活に不可欠な存在」、桃木至朗編『ものがつなぐ世界史』ミネルヴァ書房、2021、339-361頁
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