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11.4.1 貴族文化から市民文化の時代へ 世界史の教科書を最初から最後まで

19世紀のヨーロッパはまさに激動の時代。
一部の支配層だけが君臨する国のシステムは、国民が“主人公”となる国のシステムに変化し、人の力や家畜の力で行っていた「ものづくり」は、蒸気機関の放つ莫大なエネルギーによる「機械」に置き換えられた(産業革命)。


これまでの常識を次々とひっくり返す、革命や大発明の嵐。
子どもの頃と大人になってからで、町の景色も全くと言っていいほど様変わりした。

王族や貴族の世界はまだまだ人々の “あこがれの的”ではあったものの、新しい “産業の時代”(工場の機械で労働者が大量生産する工業製品が、世の中にあふれる時代)の新たな “主人公” は、産業で稼ぐ企業家(産業資本家)だ。

彼らのことをまとめて、

市民
市民層
有産市民層
ブルジョワジー

と呼ぶことが多いよ。
その多くは実力と才能でのし上がり、従来の「身分」や「伝統」で決まる固定的な社会を突き崩す存在となっていく。


やがて、彼らにとっての「理想」や「夢」を反映した文化もさかんに。

従来の「貴族文化」をベースに、市民たちが受け入れたアート、文学、音楽には、『民衆を率いる自由の女神』の画家ドラクロワ(1798〜1863年)、

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『レ・ミゼラブル』を書いたフランスの国民的作家ヴィクトル=ユゴー(1882〜1885年)、

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《第九》で知られる作曲家ベートーヴェン(1770?〜1827年)のように、今でも有名なものが数多くある。




市民たちは「自分たちが新しい時代の「国家」を建設する“主人公”だ! 「国民」としての誇りを持ち、われわれの財力で「国家」の力を強くし、さらにビジネスを成功させよう!」と目を輝かせた。

彼らにとって「国家」は、従来のように “王様の私物” ではなく、“自分たちで生み出していくもの” だったのだ。


だからこの時代、各国の「国民性」(と感じられ/考えられたもの)に合わせた文化・歴史が追究され、「国語」もしっかりとした形に整えられていく。



そして選挙権を獲得し政治に参加していった市民は、やがて「国民」としての自覚を高め、(王様によって支配される国家ではなく)「国民による国家」(国民国家)をつくろうとする運動を推進していった。


学者もまた国のために働き、文系・理系の学問の成果のうち“国の発展に役立つもの” については、義務教育でみんなに教えようということに。
これまでキリスト教の教会や家庭教師、職場の上司が担当していた教育を、国が統一して請け負うべきだということになったのだ。

また、国じゅうで起きた事件や国家の宣伝や国民たちのさまざま声は新聞や雑誌などのメディアを通して伝えられ、「自分は国のメンバーの一員なのだ」という自覚をさらに高めていった。


このように、19世紀のヨーロッパ・アメリカは、「国民」をメンバーとする「国家」、市民を中心とする経済力の発展、科学技術の発達を背景とする「近代文化」が確立していった舞台となった

このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊