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【書評】小池陽慈『”深読み”の技法』笠間書院、2021

 新春の読書で、小池陽慈先生の『深読みの技法』を拝読しました。私の仕事柄、まずは高校生に、そして先生方にも、ぜひとも推薦したい本です。



「一対一対応」的な読みに逆らって

 いま、“深読み”こそが必要だ、という小池先生の問題意識は、非常にクリアなものです。


 たとえば、「はじめに」では、次のように述べられています。

(……)近年、効率性や合理性を過度に重んじる風潮のなか、そうした影響は読書にも及び、なんというか、〝情報処理〟的な読み──サッと目を通して、必要な情報だけを効率的に拾い集める、という読み方を推奨するような言説がより幅を利かせてきたという印象を受けるからです。


 “情報処理的”な読み、それすなわち、たとえばAという事柄について、それに対応するたった一つの意味Aを確定させるような、事柄と意味の「一対一対応」(事柄A=意味A)を求めるような読みでしょう。

 この人だったらこういうキャラだろうとか、この言葉が使われているならきっとこういう思想だろうとか。豊かな背景や中身に触れずに、あらゆる情報が、ある種パターン化された意味内容に還元される状況は、綿野恵太氏が近著「直観システム」思考の蔓延を問題視するところでもあります。


 すでに書店は、無数の「読み方」ハウツー本で溢れています。そんななか、本書の新しい点は、多くの「読み方」本によって見過ごされるか、誠実に言語化されることのなかった「読むこと」それ自体の「意味」について、想定読者に寄り添いながら、じっくりと述べられている点であるといえましょう(第2部)。

 外国文学、古典を読み、文学理論を知ることには、「読むこと」にどのような意味をもたらすのか? 具体例をもとに複雑性を担保しながら、しかも、おもしろく手際よく解きほぐす筆致は、前作に引き続き、さすがです。とくにファノン氏推しの部分も、嬉しく読みました(参照:新科目「歴史総合」を読む 1-3-9. 植民地支配と植民地の近代、そして人種主義)。



“深読み”は、歴史学習にも必要な力だ


 高校の地理歴史科に新たに設置された歴史総合や世界史・日本史探究では、文章や図表、統計といったさまざまなテクストを読み解く学習が想定されています(*)。

(*)歴史総合の章立ての一つが第二次世界大戦終結ではなく、その後の冷戦期までで区切られていることは、従来の歴史に対する見立てや時代区分にとらわれず、時代状況に即した社会・人間理解の組み直しを求めるものといえます。本書で紹介されるポストコロニアルな考え方の重要性も、その意味でいっそう高まるでしょう。

 しかし、あたかもアカシックレコードのようにいかに多様なテクストを備蓄したところで、そこに「一体一対応」的な読みをくぐらせるだけでは、肝心な点が読みこぼされてしまいます。
 第1部における寺田寅彦の「流言蜚語」というエッセイを読み解く試みは、まさにそのことを端的に示しています(なお、この部分(第1部 読むための方法)は、すでに「読める」人が、暗黙知として体得している読みのプロセスを、まだ「読めない」人の水準の、ちょっとだけ上の部分にまで降りてきて、解きほぐし、「こっちだよ」と手を差し伸べてくれるパートです)。

 同時代の言説を比較対象しつつ、時代状況の全体像をとらえ、そのなかにテクストを位置付ける。この作業を怠れば、現在の価値観で過去を審判する現在主義的な読みや、都合のよいテクストばかりを集めて恣意的な解釈をほどこす貧しい読みが待っています(この点については、こちらで述べました)。


 歴史総合で育てようとする力には、まさに本書の「深読み」の技法が援用できるのではないか。その力を、その次に学ぶことになる世界史探究、日本史探究でどのように展開させていくことができるか。
 具体的な適用のかたちについて、はっきり述べる力は、私自身、まだしっかりと持ち合わせはいませんが、「ちゃんと「深読み」してるか?」と、今後にむけ、本書にポンと背中を押された(叱咤された)気持ちです。


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊