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世界史のまとめ × SDGs 目標①貧困をなくそう:1979年~現在の世界

 SDGsとは「世界のあらゆる人々のかかえる問題を解するために、国連で採択された目標」のことです。
 言い換えれば「2018年になっても、人類が解決することができていない問題」を、2030年までにどの程度まで解決するべきか定めた目標です。
 17の目標の詳細はこちら。
 SDGsの前身であるMDGs(ミレニアム開発目標)が、「発展途上国」の課題解決に重点を置いていたのに対し、SDGsでは「先進国を含めた世界中の国々」をターゲットに据えています。
 一見「発展途上国」の問題にみえても、世界のあらゆる問題は複雑に絡み合っているからです。
 しかも、「経済」の発展ばかりを重視しても、「環境」や「社会」にとって良い結果をもたらすとはいえません。
 「世界史のまとめ×SDGs」では、われわれ人間がこれまでにこの課題にどう直面し、どのように対処してきたのか、SDGsの目標と関連づけながら振り返っていこうと思います。


【1】貧困をなくそう

ーこの時期になると、発展途上国においても生きるか死ぬかのギリギリで生活している(注:絶対的貧困)人の割合はぐんと下がっている。

2015年には、極度の貧困層は、世界人口の10%となる7億3,600万人に減少しており、25年間で11億人以上が極度の貧困から脱出しています。


それは意外ですね。

ーこれまでも人類はさまざまな課題を乗り越えようと頑張ってきたわけだけど、今回の時代(1979年~現在)は、世界のしくみがさらに大きく劇的に変わっていった時代にあたるんだ。

 それに応じて、「貧しさ」をめぐる問題に、これまでと違った視点が必要になってきている。

 

* * *


【2】戦乱が貧しさをつくる?

貧しい人は「平和じゃないところ」に多いイメージがあります。

ーなるほど。
 たしかに戦争が「貧しさ」につながる例は多そうだけど、そもそも「なぜ平和じゃないか?」ということを考える必要もありそうだ。

 ここでは、アフリカのナイジェリアを例に挙げてみるね。

 ナイジェリアの政治は長い間、軍隊の強い影響下に置かれていた。

 国土に偏って分布する油田地帯をめぐり、大国を巻き込んだ利権争いがあるからだ。

 1999年に選挙によって選ばれた代表による政治に転換したんだけど(注:民政移管)、軍に影響力を及ぼしてきた北部の勢力は民政移管された政府との対立を深めていった。

 また、油田地帯である南部のニジェール川下流域でも「反政府組織」が支持を集めるようになる。
 ニジェール川下流の三角州地帯での油田開発は国に富をもたらしている反面、環境破壊の悪化や国民への再配分の失敗などから,政府に対する住民の不満が高まっていったのだ。

 そんな中、イスラーム過激派組織であるボコ=ハラムが、過激な反政府勢力の受け皿の一つとなり、国際テロ組織のアル=カーイダやイスラーム国との関連を示唆しながらナイジェリア北部での影響力を増していった。



 特にボコ=ハラムは西洋式の教育の弊害を指摘し、南部に多いキリスト教を信仰する集落や女子教育施設を襲撃(2014に発生。に2016年以降,一部の生徒が解放されています)するなどの凶行におよんでいる。


こんな状況じゃ、貧しい状況から脱却するのは難しそうですね。

ーいろんな要因がからみあっているでしょ。

・植民地であったナイジェリアの国としての収入のほとんどが、石油頼みである点。

ナイジェリアは現在(2015年)、毎年の輸出総額の90~95%、政府歳入の70~80%を原油収入で賄っている。つまり、原油価格の動向が貿易と国家財政を直撃する構造であり、今回の価格下落がナイジェリア経済に負の影響を与えることは間違いない。

石油でもうかっているのなら、経済に好影響もあるんじゃないですか?

ーたしかに、経済成長はつづいているけれど、国民全体への恩恵は少ないんだ。


・大国がナイジェリアにある資源をコントロールしようと介入している点。

・無秩序な石油開発が環境問題を生んでいる点

今では森も農園もすべてが虹色の油で覆われている。井戸は汚染され住民は途方に暮れるばかりだ。どのくらいの量が漏れ出したのかもわからない。「網も小屋も魚籠も失った」とOtuegwe村長でありガイドでもあるPromise 氏が言う。「ここで私たちは漁業と農業を行っていたんだ。大事な森を失ってしまった。原油の漏れが起こって数日の内にシェル社に報告したが、何ヶ月もほったらかしだった」


人々の声は届かないんですか?

ー石油による経済成長の恩恵を受けた「成金」は政治家とむすびついて、1980年代にアメリカを中心とする先進国の「自由な経済のしくみ」をナイジェリアに取り入れていった。

 圧倒的多くの貧しい人々による反感は根強い。

 しかし、民主的な方法で意見を訴える手段が用意されているとはいえなかった。

 その受け皿となったのが「西洋は悪」「イスラーム教の考え方を復興させよう」という主張を過激に打ち出した組織(ボコ・ハラム)だ。

 経済格差をもたらした原油エリアをにぎる「部」に対して、この組織は「北部」の不満を吸い上げ、成長していった。


南北の対立は、まだ続いているんですか?

ー2015年の選挙では、南部の大統領が選挙での敗北を素直に認め、現在は北部に地盤をもつ大統領が政治をおこなっている。
 過激派を抑えながら、貧しさを克服するための政策を推進している。
 この間(2019年2月)に大統領は再選を果たしたけど、そもそもさまざまな民族を寄せ集めた国であるナイジェリアに亀裂がなくなったとはいえない状況だ。


「貧しさ」を解決するためにどんなことが必要なんでしょうか?

ーかつては、先進国が「援助してあげれば、途上国もやがて成長していくっていうふうに単純に考えられていた。

でも、それじゃあ援助に頼ってばかりになりそうですね。

ーそう。援助がなくても自分たちでやっていけるような「国のしくみ」をつくったり、人々がそういう「力をつける」こと(注:エンパワーメント)ができるような取り組みが重要だよね。

 そのためには現地の事情をよく考慮する必要がある。

 でも、そんなことおかまいなしに、1980年代以降、アメリカのグループ(注:世界銀行)を中心に、「自由な経済のしくみ」「効率重視の生産システム」を導入する代わりに、資金が途上国に貸し付けられるプログラムがすすんでいったんだ(注:構造調整プログラム)。

 ナイジェリアのように、この政策の悪影響を受けた途上国は少なくなく、このプログラムの評価はかんばしいものとは言えない


じゃあ「本当に必要な支援」って何なんでしょう?

ーSDGs(エスディージーズ)の掲げるように、「経済」だけではなく「社会」や「環境」のことも考えたバランスのよい取り組みが必要だ。



 また、大国間の国際関係が、途上国の経済・社会・環境にとってマイナス景になるケースも少なくない。

 国境なんて関係なく「人として」助けるべき状況が生まれたとき、国際社会は一致して支援の手を差し伸べるべきじゃないかという理念も、不十分ながら共有されるようになってきている。


 だからこそ、「国ではない組織」(注:NGO)による活動も、ますます重要になっていくだろう。


 具体的には、SDGsのほかの目標を見ながら触れていくことにしよう。複数複雑な問題が、国を超えて相互にからみあっていることに気づくと思うよ。

* * *

 それに最近では、経済成長の恩恵を受け、途上国の中からも世界から注目される企業家が現れるようになっているよね。
 そもそも「途上国にまかせていては問題解決はできない」という発想も、転換を迫られているだろう。


* * *


【3】「豊かさ」の中にある「貧しさ」?

ー「自由な経済」の広がり(注:グローバル化)による影響は、先進国にももたらされている。
 先進国であっても、国民の中での経済格差がひろがっている国が増えているんだ。

どうしてでしょう?

ーこの時代にソ連が崩壊し(1991年)、「自由な経済」が世界中に広がり、国境を超えてお金の取引が広がっていったことで、それに成功した一部の人たちの資産ばかりがますます増え、格差が広がっているといわれているんだ。


でも、この時期に「絶対的貧困」に苦しむ人は減っているんじゃなかったんでしたっけ?

ーうん、世界全体を見渡せば、確実に貧困に苦しむひとは減っている。

 ただ、それぞれの国の中をみると、事情は国によってさまざまのようだ。

どういうことですか?

ー特にこの時代に所得が上がったのは、中国やインドのように「自由な経済」を新たに導入した多くの資源・人口をかかえる新興国だ(注:下記グラフの50パーセンタイルに位置する層)。


エレファント・グラフ 全世界の各所得分位の1988年から2008年の間の所得増加率(%)(グラフは上記URLから再引用)

 それに対して、グラフが凹んでいるところは、この時代を通して「」した層ということになる。

発展途上国ですか?

ーううん、じつは先進国に住んでいる「中間・下位中間層」が、それにあたるんだ。

 この仮説によれば、この時期に世界中で進行した「自由な経済」の広がりが、途上国・新興国・先進国のそれぞれに異なったインパクトをもたらしているようだ。


「貧しさ」イコール途上国の問題というわけではなくて、相互に絡み合った問題だということですね。

ーそうだね。
 先進国の中には「子どもの数」が減り、「お年寄りの数」が増える(注:少子高齢化)の進むところも少なくない。
 となると、国外からの働き手(注:移民労働者)を導入する政策を採用する国も増えていくだろう。
 そうなれば、同じ国の中で「立場の異なる人」が一緒に生活をするシチュエーションも増えていく。



そういう人の中に差が生まれるおそれもありますよね。

ーそもそも先進国では、国の支出をおさえるために福祉をカットする動きが進む傾向にある(注:新自由主義)。


どういうことですか?

ーこの時期にアメリカ・グループをはじめとする先進各国の大企業は、「国の介入を受けずに国境を超えて自由に世界中でビジネスをすることができないものか」と考えるようになった。

 それに合わせて、「国が民間に介入しないほうが、競争が促進され、経済は発展する」と考える経済学者の考えが注目されるようになっていったんだ(注:新自由主義)。


 この理論を推進する学者たちによって、まずはラテンアメリカ(注:チリのピノチェト政権)で試験的に導入された。


 そしてこの時期になると、イギリス(注:サッチャー政権、1979~1990)やアメリカ(注:レーガン政権、1981~1989)を筆頭に、ニュージーランド(注:ロンギ政権、1984~1989)、西ドイツ(注:コール政権(1982~98))、オランダ(注:ルベルス政権(1982~94))、オーストラリア(注:ホーク政権、1983~1991)、日本(注:中曽根政権、1982~1987)、トルコ(注:オザル政権(1983~1989))、インド(注:ラオ首相(1991~96)の経済自由化)、世界各国で「民営化」「規制緩和」「小さな政府(国がたくさん支出しない)」といった形で拡大していったんだ。

 のちに福祉国家の典型例だった北欧諸国(注:スウェーデンのラインフェルト政権(2004~16)、デンマークのラムスセン政権(2009~11,15~))でも導入されるようになり、やがて韓国でも本格的に採用されるようになっている。


どうしてこの政策が採用されたんですか?

ー石油の価格が高騰し、安い価格に依存していた先進国の経済成長に「待った」がかかったこと(注:2度の石油危機)が大きな要因だ。


 日本やアメリカではわりと早期に危機を脱出するけど、西ヨーロッパではなかなか立ち直れない状況が続いたよ。
 フランスも初めのうちは財政支出を増やす方針をとっていたけど、国際経済との結びつきが強まったために1か国だけそういう方針をとることもできなくなり、財政を削減する方針へと変更した(注:フランス社会党のミッテラン政権)。


福祉の予算を切り詰めるってことですか?

―そう。
 公的な支出をなるべくカットしようとする政策がとられることが多い。
 
 この背景には、北半球を中心とする国々における急速な高齢化(注:グローバル・エイジング)がある(注:少子化の実態は国によりさまざま)。


 ところで、SDGsにはこんなターゲットがある。

SDGsターゲット1.3 各国において最低限の基準を含む適切な社会保護制度及び対策を実施し、2030年までに貧困層及び脆弱層に対し十分な保護を達成する。


貧困の問題はいわゆる「貧しい国」だけの問題ではないということですね。

ー「自由な経済」のしくみが地球レベルに広がっている以上、問題をとらえる想像力を編み直す必要があるといえるね。



 さて、このように断片的ではありますが、この後も「1979年~現代」という時期の歴史的な位置をたしかめながら、SDGsに掲げられた目標について見ていくことにしましょう。

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