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新科目「歴史総合」入門(2)近代化と私たち

■近代化における「2つの力」


1つ目のしくみは「近代化」です。

18世紀後半の欧米諸国ではじまり、世界にひろがり、現代の私たちにも影響を与え続けています。




「近代化」のしくみにおいては、2種類の力が作動します。


ひとつは国が、さまざまなヒトやモノを「ひとつにまとめようとする力」、

そしてもうひとつは、自由主義、民主主義、国際主義のように、束縛から逃れ「自由になろうとする力」です。



日本では19世紀後半に明治維新がおき、”富国強兵” をスローガンとする改革がすすんでいきましたよね。「国民をひとつにまとめ、豊かで強い国をつくらなければ、競争に負けてしまう」という考え方が世界にひろまっていったからなのです。

しかし、同時に自由を求める運動も起こるようになる。政治的には自由民権運動が重要ですね。

民撰議院設立建白書・序文(1874年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/民撰議院設立建白書#/media/ファイル:MinsenGiin.jpg



■資本主義には、社会をバラバラにする力がある


「自由になろうとする力」のなかで忘れてはならないのは、「近代化」にともない、発達していった資本主義の動きです。お金持ちが労働者に賃金を払い、売れそうな商品を生産させる経済方式のことですね。


資本主義に基づく工業化は、強い国をつくるために不可欠なものですが、その一方で資本家ばかりにに利益が集中し、労働者は困窮してしまう。これでは、せっかく国をひとつにまとめるために資本主義を推進しても、不平等がすすんでしまい、国民はバラバラになってしまいます。まさに諸刃の刃です。

そこで、社会主義のように、資本主義的な働き方から「自由であろうとする力」も生まれます。オーウェンやマルクスという人たちが有名です。

しかし、工業化がある程度すすめば、生活水準が向上し、国内の不平等は緩和されることが知られています。国も人々の不満を取り除こうと、保険制度を整えるようにもなりました。資本主義によって社会を良くしていくことで、問題を解決していけばいいのではないかという考え方も支持されました。

世界で初めて社会保険制度(疾病保険法(1883年))を制定したのは、
「鉄血宰相」として知られるビスマルクでした。
イギリスでは既存の体制の枠内で、資本主義の悪い点を改良しようとする「フェビアン協会」が、19世紀後半以降、支持を伸ばしました(写真は指導的な立場だったウェッブ夫妻)。



また、より多くのモノを生産するため、国内だけでは満足できず、事業を国外に展開しようとするお金持ちもあらわれます。
彼らはしばしば国とも結びつき、軍事力によって国外に植民地を増やしていこうとする動き(帝国主義)が生まれました。

1880年と1913年のアフリカの比較(https://ja.wikipedia.org/wiki/植民地主義#/media/ファイル:Scramble-for-Africa-1880-1913.png、CC 表示-継承 4.0)



工業化を達成し、植民地を拡大しようとしていったイギリスやフランスのような欧米諸国を列強といい、日本も日清戦争日露戦争を通して列強の一角を占めていきました。

列強とアジアやアフリカの植民地の間にも、「ひとつにまとめようとする力」と、「自由であろうとする力」のせめぎ合いが生まれます。両者の変化が、のちのちどのように変化していくか、ひきつづき見守っていきましょう。


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊