『もるうさあ』 第6話
6.「徳山動物園とオシャレ眼鏡」
(もるうさあ 1日後)
アタシは檻の中にいる。監禁されてる。膝からの血がジャージに滲んでる。
目の前の男は明後日15歳になるアタシに説教する。浦島太郎みたいにカメを助けろって話。退屈な話を無視するために天井を見る。天井にも縦柵は張り巡らされてる。籠の中みたいだ。背もたれに首を乗せて上を向くと、自然と口が開くことに気付いた。
昨日【もるうさあ】を見上げてたときも口が開いてたかもしれん。
青空に縦横何本も光の線が引かれて、宇宙人が落書きしてるわ、ってアタシは思った。あーあー、ついにこの人の世が終っちゃうよ。できることなら一瞬で消え去る系だったらいいな、ってスマホで写真を撮った。インスタに上げたら同じこと考えるヤツばっかで、そこにはもう色んな空の写真が溢れてた。「今までみんな、ありがとう」みたいなメッセージを見るたびに、私は「どーいたしまして」ってヘラヘラしてコーラを飲んだ。娘に食事も作んないオカンの頭上にまず、一発目の光が降ることを願って空を見上げてたけど、その光は全然地球に突き刺さんなかった。
「おいっ、聞いてんのか」
唾飛ばすなよ。
「ウザ」舌打ちしてスマホを取り出す。檻の向こうの男はこちらを睨みつけてる。アタシは敢えてそれを見ない。どうせ今アタシが何をしてもここから出してはもらえない。ユーチューブを開くと昨日の【もるうさあ】のサムネイル。「みんな逃げろ!」「宇宙人の侵略」「世界が終わる前に全財産使う」。有名なユーチューバーが何人も動画を上げてた。
こうして監禁されてる今にも、世界が終わるんじゃないかと思うと自分が不憫に思えた。髭面のキモイおっさんと人生最後の時間を過ごすなんて。あぁとりま、コーラ飲みたい。
勝手に再生されたユーチューブから、
「ミサイルの発射は確認されていませんし、政府からの公式見解がありませんので、もう少し状況を見極める必要がありそうです」
とAI音声が話し出した。
昨日はいろんな天変地異が起こったらしく、空から飴が降ってきたとか、ミステリーサークルができたとか、都会の街なかの川にイルカが現れたとか、なんだか波乱万丈盛りだくさんの一日だったらしい。無機質な四角い部屋で、人間じゃない音声を聞いてるこの状況にちょっと笑えた。
男が急に立ち上がった。そして、「今日のことを自分で説明してもらう。それが終わるまで、君はどこへも行けない」と土の付いた手で私を指差した。机の上のペンを持ち、アタシの話をメモする準備をする。
「じゃぁコーラ頂戴。喉渇いてんのよ」
頭を掻くと、赤く染めてる髪の毛が2本ぐらい抜けて手についてた。そして指先にはもう固まってた血が付いてた。ロックネイルにちょうど合ってんじゃんと思ってたら、男が部屋から出て行った。重そうな鉄の扉がやけにゆっくりと閉まった。
始めから、檻の扉を破壊することはできないと考えてた。だからアタシは金網を切ることにした。そのためにニッパを手に入れ、ジャージのポケットに忍ばせた。
動物園に人はいなかった。【もるうさあ】で世界が終わるとき、暢気に動物を見に来るヤツはいない。しかしだからこそ、ここで檻の中に閉じ込められてる動物をアタシは解放してやりたかった。
ただ無理やりに檻の外に放ってやろうなどとは思わない。檻の中が居心地が良いヤツもいるし、檻の中にいるべきヤツもいる。
アタシは空を飛べる鳥だけは檻から出れるようにしてやりたかった。それは単なる学校に馴染めずに行き場をなくしたアタシのやつ当たりだ。でも世界が終ってしまうなら、何か一つでもアタシの生きていた証を残したかった。この世界に反逆して、別世界への抜け穴を作りたかった。
中南米から来たデカいインコの檻の裏側に回り、草の上に座った。ニッパで金網を切った。結構力が必要で、両手で思いっきり握ってフッて強く息を吐きながらやった。コの字型に切れたときには手が完全に痺れてた。体重をかけて腕全体で金網を折り曲げていると、檻ん中、目の位置がずれてる赤い頭の鳥が痰を吐くように鳴いた。
「どうしてサル山に入ったんだ?」
差し出されたコーラを受け取る。アタシがインコの檻を壊したことはバレてないみたい。男と一緒に若い女も来た。女は男の後に立ってこちらを見ている。スッピンで40点くらいの女だ。ペットボトルの蓋を回すと炭酸が弾けた。こんな音がして世界が終わるなら、悪くねぇ。
「いやさぁ、今にも世界が終ろうってときに、こんなことしてどうすんの? 何かミサイルが落ちたときとか想定して色々準備しとった方がいぃんじゃない? アタシがサル山に入ったのは事故。理由なんてない」
コーラを飲む。コーラって得体の知れないこの色が一番の魅力だ。でもコレ、あんま冷えてない。男は机の上のノートをペンで突きながら「いや、サル山は中に入ろうと思わないと入れない。何か企んでたんじゃないのか?」とアタシに説明を促す。
「入園料300円の小人の戯れだよ。そんなカリカリすんなよ」
「俺たちにとって、ここの動物は家族同然なんだよ」
男は低い声で言った。愛があるんだね、手も汚れっぱなしで平気なくらいに。アタシは目を逸らしてコーラを飲んだ。
「サル山に入った理由なんてないよ。アタシに何のメリットがあるわけ?ったく。不注意で落ちちゃっただけだよ」
言葉の後半はゲップを堪えたせいで男にはよく聞こえなかったかもしんない。
しかし男は黙ってこっちを見てアタシの発言を待ってる。動物を見るような眼。まぁ、人間も動物だけど。とりま、インコのことは絶対にバレてはダメだ。適当に時間を稼ごう。
「最初ここに来て、クサって思ったらペンギンよ。ペンギンってあんな臭かったけ? で、説明プレート見たらそのペンギンの名前知ってる? 『フンボルトペンギン』だって! マジかよ! フンかよ。ヤメテヨーってなったわ。『フンボルト』だぜ? 気合い入ってるわー! だってあいつら、水中で泳ぎながら糞してたぜ。もっとちゃんと掃除してやれよー」
男は表情を変えずに何かをメモした。
「その次、また、クッサッて思ったら、何だと思う? 『フラミンゴ』。何片足立ちでスマシ顔してんの? クセーよ。あと、あいつらのピンク色、カワイイっつーよりも、薄皮向けたむき出しの肌の色ってな感じで痛々しいわ」
アタシは檻の外にいる男の手元に目を凝らす。
「って、こんなんメモして意味あんの? ボイスメモで録音しとってあげよーか?」
男はため息をつきながら手のひらをアタシに向けた。そうなん。じゃぁ勝手に喋るわ。
「でもさぁ、アタシ思ったわ。動物って、生きるって、臭かったり、汚かったりよねーって。カワイイだけじゃ、生きてはいけんのよねー」
我ながらいいこと言うわ。自画自賛したあと、ノーリアクションのせいで無音になったら、学校に馴染めなかった自分のことを思い出した。
うちの中学は6月に修学旅行だった。
担任だっていう、見たことない若い男が家にやってきた。「森下さんもせっかくの機会だし」と参加を勧めた。1年以上も不登校のアタシが端(はな)から行く訳ないってソイツも分かってた。「せっかくの機会」ってどんな意味だよ。
「アンタさぁ、学校ってどんなとこだと思ってる?」
隣にいた母親は「先生に失礼な言い方しないの」とアタシの腕を叩いた。
「いろんなことを知るところかな」
「他には?」
新社会人みたいな男は、「友達をつくるところ」「自分を成長させるところ」「健康的に過ごすところ」アタシが聞き続けると、結構何個か言ってくれた。でも、考える時間が増えてくるとアタシに、
「森下さんはどんなとこだと思ってるの?」
と尋ねてきた。アタシはおやつをねだるお嬢様みたいな表情をわざとつくって、
「アタシにはねぇ、監獄」
と言った。
いじめられたとか、そんなのは無い。ただ、強制されているという意識が芽生えたらダメになった。強制されている状況を知りながら、知らないふりして自らその場所に出かけていくなんてできなかった。同じ時間に、同じ教室の、同じ席に座り、周りを見れば同じ制服を来た同年代。あ、アタシは飼育されている。と思ってしまった。
物事には色んな側面があることは知ってる。ただ、アタシはその学校というシステムに乗れなくなった。誰かが悪いとかじゃない。社会的にみればマイノリティであるアタシが問題を抱えてる。仕方ない。ただ、アタシができなくなっただけ。それからアタシは家にいるか、主に夜に散歩に出かける生活。学校という檻から逃げた。でも不登校したからって、解放されたわけじゃなかった。
「おい、」
言われて我に帰った。「わりぃ悪い、考え事してたわ」コーラを飲む。
すると檻の奥の鉄の扉が開いた。母親が来た。
「もう、止めてよ、何してんのよ」
入って来るなり私に怒鳴る。でも、怒鳴りながら男の顔をチラ見したのに私は気付いてる。やれやれだ。そんで、こんなときにわざわざグッチのバックなんか持ってくんなよ。馬鹿丸出しだよ。
「オカン呼ばねーと、警察呼ぶって言われたからさぁ、」
「何してんのよ、麗佳。急にいなくなったと思ったら、何? 何したの? あと、こんなときにそんなものかけてないで、取りなさい」
「え? コレ?」
「そーよ」
「コレさぁ、ここの売店で買ったんだよ。悪くないだろ? なんかUSJとかに来たみたいだろ? 悪くないぜ」
アタシは『檻メガネ』の位置を整える。これは腹が減って「まっ黒ボール」っていうどら焼きを売店で買ったときにレジ横にあった。レンズの所に縦棒が何本か入ってるおもちゃのメガネだった。かけてみると売店のおばちゃんが、「案外オシャレに見えるね。あんたが美人やからやろうか。似合うね」って言うから調子に乗って買った。まぁ、安かったし。
「で、あなた、何したのよ」
「サル山に入っちゃっただけだよ」
「何? え? サル山? 入るって何? サルがうようよいる、あの中に飛び降りたってこと? は? なんでそんなことすんのよ」
「いや、なんか、僕をここから出してウキャッ、って、カワイイ子ザルがアタシに訴えて来たからさぁ、つい、何ていうの? 生まれ持った正義感っていうか、偉大なお母様から受け継いだ正義感っていうのかなぁ、それが暴発しちゃって。気が付いたら、なんか、しちゃってたのよ。でもさぁ、前にオカンも動物園って檻の中に動物が閉じ込められてる可哀そうなところって言ってたじゃん。でもごめーん。こうやってみなさんにご迷惑をかけるところまで考えが至らず、申し訳ない次第でございまする」
「ちょっと、本当に反省してんの?!」
アタシは頭を下げたまま、「ゴザル」というキャラクターを妄想しながら次の展開を待った。
「とりあえずお母さん、今、娘さんから話を聞いていますので。サル山の塀は4m弱はあって、柵も張ってます。中に入ろうと思わないと入れないものなんです。何か、最近の娘さんの様子から、なんでそんなことをしたのか、理由は思い当たりませんか?」
「えぇ何? あなた、何か悩んでんの?」
「いや、そんなんじゃねーし」
「そうよねぇ」とオカンはアタシに顔を近づけた。「何だよ」手を振ると香水の匂いがした。アタシは檻メガネを外した。
『檻メガネ』をかけてたら、いつもの動物園と感じが違った。今まではそれぞれ檻の中の動物が、個室にいる感じで窮屈に見えてた。でも『檻メガネ』でアタシ自身が檻の中にいて、周りは全部檻の外に見えたっていうか、または、世界の全てが大きな檻の中にあるって感じで、とりあえず動物が窮屈にしてないように見えた。
やりたいことは終わったし、もう帰ろうと思ったけど、なんか檻の中の世界が面白くなった。まぁ、どうせ私以外に客はいないんだし。ってことで、『檻メガネ』をかけて歩いた。檻の中のトラを檻の中の私が見た。
檻の中のライオンに、「お前、百獣の王なのに檻ん中に閉じ込められてプライド傷付かねーのかよ」って顔を近づけると、「は?」みたいな感じでこっちを睨んできた。「なんか憮然としてんなぁ、カッコ良いじゃねーか」ライオンの眉間の皺を数えていると、あぁそうか、お前は「俺様が人間どもを檻の中に閉じ込めてやってんだ」と思ってんのかもな、と感じた。『檻メガネ』をかけてると、どちらが檻の内か外かが曖昧になってきて変な気分になる。
歩いてたら、童謡『ぞうさん』の石碑があった。
オカンに目をやったら、ちゃんとこっちを見てた。
「このメガネかけてるとさぁ、何か色々考えたってわけ。で、売店のあと、まどみちおのさぁ、『ぞうさん』の石碑を見た」
アタシが手にしてる『檻メガネ』の向こうで男は頷いた。
「あれって、この動物園のゾウなんよな。鼻が長いのを茶化されたゾウが、母さんも同じやし、自分に自信持つって歌詞」
コーラを口に含む。
「それを思い出しながらさぁ、サル山に来たら、なんかね。チビのサルたちがガヤガヤしながら生活してるわけよ。まぁ、当たり前なんだけどさあ。ほんでさぁ、アタシこのメガネかけてっから、檻の中のサル山みたいに見える訳よ。それがさあぁ、なんか、アタシん中で結構思い出になってることがあんだけど、その、小6んときの、参観日を思い出したわけ」
オカンも思い出したみたいで、ちょっと上を向いてた。アタシは足を組んで、もう一回コーラに口を付けた。ぬるかった。
「なんか、参観日って調子こきたいヤツと静かに過ごしたいヤツに分かれるやんか。実際アタシはどっちでもないんやけど。まぁ、ある調子こきの男子が、大人し系の女子をからかったんよね。それをアタシが『ヤメロヨ』っつった訳よ。だったらケンカになってさ、結構な言い合いになって、そんで、センセーもなんか緊張してたんか、パニくっちゃって、もう、わやでさ、」
アタシは指先で固まってる血に触れる。
「そいで、収拾がつかなくなったときに、オカンが『黙れ』って」
その血はアタシがサル山に飛び込んだときに、両ひざと一緒に擦り剥いて出た血だ。うまく転がって着地したつもりが、想定外に傷を負ってしまった。
「なんかそれ、アタシはすっげぇ恥ずかしくて、オカンを軽蔑したんだ。大のオトナが公衆の面前っていうか、他人の前っていうか、子どもの通う学校の教室で啖呵切んなよって。恥だった。けど、檻ん中のサル山見てたら、なんか、いや、変だと思うんだけど、そのときのオカンの気持ちっていうかさぁ、知らねーよ? アタシだってよく分かんねーんだけど、その、ただ傍観しないっていうか、当事者になるっていうかさぁ、それってスゲぇなんて思えて来て、なんか。いや。よく分かんねぇけど、」
男は黙って聞いていた。
「ただ、アタシもサル山に飛び込める人間になれるのか? みたいな変な思考回路になったっていうか、それで」
自分で喋っててよく分からなくなった。でも、ただ、
「オカンは悪くないなって思って」
言いながらよく分からんで、頭も真っ白になってきた。そしてなぜか泣きたくなってきたので、誤魔化すために『檻メガネ』をかけた。アタシはコーラを口にしながら誰もいない反対側の壁を見た。そこにはただ壁しかないのに、眼鏡のせいで縦に何本も線が入ってた。
アタシがサル山に飛び込んだ理由は結局「よく分からん」ってことだったけど、未成年だし、何か損害を与えたとかじゃないから解放されることになった。たぶん、思春期で不登校の馬鹿がやったことだって呆れられたんだろう。
でもそのあと両ひざの処置をしてもらってるときに、アタシがニッパを持っていることがバレてしまい、インコの金網を切ったことが発覚してしまった。部屋にいた女がすぐに確認に走った。ただ、そのインコが抜け出せるだけの大きさの穴では無かったらしく、単純に金網の修繕費を請求された。アタシはオカンに殴られ、オカンはアタシの何倍も頭を下げた。
男は別れ際、「動物園って動物を見に来るだけじゃない」みたいなことを言った。そして、「ただ楽しいだけじゃないのが、動物園の魅力なんだ。臭かったりな」とカッコつけた。とりまアタシは「クサッ」とリアクションした。
動物園を出て、アタシは『檻メガネ』をかけた。そして仕事に遅れてしまうオカンに謝ってから、
「アタシ、バイトするわ」
と伝えた。オカンは、
「もちろんよ。修理代はアンタが払ぃーよ。バカ」
とため息を吐いた。何か言ってやろうかと思ったけど、茶色く染めたオカンの髪が結構痛んでたから止めた。
「あと、こんなとこでその変なメガネかけんでよ。恥ずかしい」
アタシはわざとカ行で笑いながら、オカンの背中を見た。平手で叩いたオカンの背中は檻からはみ出した。アタシは笑いながら空を見上げ、太陽を檻の中に閉じ込めた。
次回は 7.蟻の城と方言ものまね
(もるうさあ 2日後)です。
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