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全てのことがタスクだと感じてしまうようになっても

タスクの消化、あるいは消費

映画を見るのも本を読むのも、タスクとしてスケジュールに組み込まないとできなくなってしまったのだ。時間がないとかでは決してなく、タスクの消化としてでしか物事を実行に移せなくなってしまったからだ。
これからも色々と楽しんでいきたいのに。

もちろん読書も映画鑑賞も、一旦始めてしまえば楽しい。楽しいと感じる感性自体は生きている。運がよければ、強い充足感を得られるだろう。また一つ名作と出会ってしまったぞ、と。
入浴と似ている。入るまでは非常に面倒くさい。だけど入って後悔することはほとんどない。入ってしまえばお風呂は気持ちいいものだ。
「入って後悔する風呂なし」だ。

入浴と同様、タスクの消化も気持ちいい。やったぞ!という快感が伴う。
こうなってくるともはやタスクの“消費”だ。やるべきことすら、ただの消費対象に成り下がる…。大切なことだからこそ“やるべきこと”なのに、時間の隙間を埋めるように、あるいは心の隙間を埋めるようにタスクを消費している。
まぁ本当にやりたくないこともあるけど。(それは真の意味でタスクと言っていいかもしれない)

やるべきことってなんだ

趣味や娯楽だけでなく生活全般においてそうだが、そもそも「タスクの消化」には「タスクを思いつくことが出来る」という前提条件がある。
やるべきことを把握できる能力。あるいは、やるべきことを与えてほしい病。
そして極めつけは「やるべきこと」が間違っていて欲しくないという願い。
正しいタスクの読み込みと実行。これでいいの?これで合ってる?失敗しない?
プログラムを正確に入力しなければPCはエラーが出るように、正しいタスクを処理したいのは人間のOSも同じだ。出るのはエラーというよりSOSだが。
「方向性」が、「実行速度」が、「実行量」が、「試行回数」が、全て適切な配分でまるで料理でもするかの如く、
やるべきことを間違えず、かつ余さずきっちりと実行したい。
…いやまぁそうなんだけどさ。

文字に起こしてみるとこれでは欲望の塊かと思ってしまう。こうなってくるといっそ醜悪ですらある。いや、むしろ清々しいのか?
なんなんだコイツは、という感じだ。
それができたら誰だって幸せになれるよ。あるいは誰だって天才になれるよ。
少なくとも受験生だったら全員東大に行ける。
なんでもできる。なんでもなれる。輝く未来を抱きしめることも。

強欲というより傲慢というか。
上記したような考えを持つのは自己の過大評価のせいか、あるいは価値観の問題なのかもしれない。
凡人にそれは無理だよと、徹底的に理解できれば楽なのに。

後悔

人生で後悔することはミスや失敗などよりも、やりたいことをやってこなかったことだ、という人が多いらしい。
それこそが人間にとって最も不幸なことなのだろうか?それこそが回避するべき未来なのだろうか?

もっとこうしておくべきだったとか、もっとこうあるべきだったとか。叩いて叩いて、明日にはもうちょっとマシになっていますようにと祈る。
止まっていた歯車が動き出すんじゃないかと期待して、あれこれやってみる。
いつ始まってもいいように常に何かの準備をする。
止まったら動けなくなりそうだから、動き続ける。
焦るふりをし、急ぐふりをする。
毎日が、さながら自転車操業のようで。
毎日毎日遠くに行こうとする。

悔いのないように過ごそうってことなのかもしれない。
…いやまぁそうなんだけどさ。

計画も行動も要らなくなったら

この先の未来ではAIの発達によって人間の知識や技能の価値が減り、代わりに計画力や行動力の価値が上がると朝のニュースで報じられていた。
なるほど確かに検索すれば様々な知識・情報が手に入るし、AIが代替できる技能・技術の進歩は目覚ましい。

だけどそれすらも希望的観測で、ついに計画も行動すらも重要じゃなくなる世界が来るとしたら?
ちょっと楽しみかもしれない。…なんていうか気味がいいな。
気味の悪い世界を想像しながら、いい気味だとほくそ笑む。
だがもちろんこんなのはあくまでも妄想の域を出ない。いや、妄想と呼ぶにも出来損ないのバッドマインドだ。流石にそんな世界病んでるしそうは訪れない。
当面はやはり行動力が不可欠だし、いやそれを言うならばそもそも勉強だって不可欠だろう。知識と技術を学ばないと…。

全てのことがタスクの消化だとしても

自分が何者なのか、何をやるべき人物なのか結局正体が分からなくて、正体不明のものを操縦し続けなくてはいけなくて、だけど正体不明の何かに“なることが出来た”のが自分で、それが人生をかけて獲得してきた自分なのだ。なるようになったのが今の僕だ。

受け入れて誇らしくやっていかないといけない。
全てのことがタスクの消費だとしても。

淡々と仄暗い話をしてしまったが、様々な人からの優しさや、幸運に恵まれて最近楽しい。
あなたのおかげで毎日が楽しい。

実はこうやって文章を書いているのも、やるべきことから目を背けるためだったりして…。
いいからさっさと寝ろ無能よ。それくらい言われないとお風呂も入れない。1日の終盤に入浴とかいうクソ面倒臭いタスクが残っているの普通に欠陥だろう…。

ごちゃごちゃ言っても本音は「ああもう何もやりたくない!!」だ。
…とは言えない。そこだけは一線を引いておきたいのだ。
僕にとってやる必要があることを、誰でもなく僕がやっているのだ、と言い張りたい。

曖昧とした結論になったが、脳ははっきりしてきた。
終わり。お疲れ様。