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現地居住で見た人種差別のデータと光景

セントルイスは全米を代表する人種差別のひどい町でした。
デルマー通りというストリートがあり、
そこはアメリカの全国放送で差別を象徴する場所として紹介されたことがあります。
そのデルマー通りは家から自転車で10分くらいのところでした。

このデルマー通りの北側か南側かというだけで
世帯平均年収は300万円代と800万円代の違いがあり、
北側の黒人人口率は90%で南側では白人人口率が90%。
そして一番驚いたのは北側と南側で平均寿命が18歳も違うことでした。

日本にいると差別というと心の問題だけのように思ってしまいますが、もっと根深い根本的な情勢があるのがアメリカの差別なんだということをこの町に住んで学ぶことになりました。

「貧富の差」

デルマー通りはこの言葉がぴったりと当てはまる場所
デルマー通りが境界線で、北側が「貧」南側が「豊」。

はっきりとそう色分けできました。

所得、学歴、健康状態、食べ物、寿命、この全てがこの通りの北か南かで明確に分かれています。

一旦「貧」に生まれてしまうともう抜けられない負の連鎖。
まずまともな教育を受けることはできない。
本人に勉強するつもりがあったとしても親はそんなことを望んでいない。
結果良い仕事に就くことができない。
だから貧しくなる。
チャンスなんてない。
貧しさから多くの人が犯行に走ってしまい逮捕歴のある人口割合が30%になってしまう。

そういうループがずっと続いている。

そしてそれがみんながみんな貧しいならここまでの問題にはならなかったんじゃないかって気がします。

デルマー通りではないですが、
大金持ち層居住地では友達の家の庭まで馬で行ってポロをして遊ぶ。
一方そう遠くない場所には、何十年間も放置され壁が崩れ落ちている工場が立ち並ぶ廃墟地帯で暮らす人々。

「豊」がすぐ横にあり、そこにはどうしようもない差ができてしまっている。
お同じ街でありながら決して交わることがない2つの色。
すぐとなりにお互いがいるのだけは知っている。

ニューヨークとかロサンゼルスの人種差別とは次元が少し違うと思いました。
ここでは2つの色がきっぱりと別れている。
例えばニューヨークとかの大都市で黒人の男性と白人の女性が手を繋いで歩いているのなんて全く珍しいことではないと思います。
でも僕がセントルイスの街中で見た黒人と白人のカップルは2年間でたった3組。

「そういうものだろ」っていう社会的な雰囲気もあるように感じました。
個人が少し頑張ったくらいじゃ変えようもないない差。
だから貧富の差は何世代にもわたり継続され、その結果差別として見える形で表れてくる。だからいつまでたっても解決することができない。2年セントルイスに住んでみてそんなふうに思いました。

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