目の前5mで黒人少年銃殺の白人警官 不起訴判決へのデモ行進を見て
セントルイスに住み始めて1年ちょっと経った頃の冬の始まる時期。
冬はとても寒くひどい日にはマイナス20℃近くになります。
でも6年前の冬のセントルイスは静かに燃えていました。
怒り、悲しみ、屈辱、重く燻る何世紀にもかけて積もった思い。
幸か不幸か、その深い思いを目の前で見ることになりました。
2014年の夏にセントルイス群ファーガソンで18才の黒人の男の子が白人警官に90秒後に撃ち殺された事件がありました。少年を殺した警察官は不起訴。裁判で裁かれることもありませんでした。
この事件は通常の殺人事件とは異なります。
「白人」が「黒人」を街で遭遇しただけで殺し、お咎めなしだった。
自分には全く関係のない少年が殺されたのではなく、多くの黒人が自分事として事件をとらえました。
なぜか?
きっとセントルイスに住むほとんどの黒人が、物心ついたころから自分たちが白人に虐げられてきたのを見続けていたからだと思います。
そして起訴すらされない。
怒りというよりは、深い悲しみのようなものをデモを見ていて感じました。
一方警察側にもそのような過剰な対応をしてしまう事情はあるのかもしれません。
セントルイスでの凶悪犯の数は日本の感覚からすると尋常ではないです。
統計だと人口10万人当たりの殺人が65.8人(in 2017年)
ちなみに日本は0.24人。
日本の274倍の確率で殺人事件が起きています。
そんな状況だったら同僚が殺された警官も多いのかもしれない。
日常業務で常に恐怖を感じていて、自分を守るのに必死なのかもしれない。
僕はよそ者として2年住んだだけだから不起訴処分が正しいとか間違っているとかは言えないし、わからないです。
でも2年間住んで日本人という第3者的な立場で、
アメリカ人でさえ目を背けようとする現実を
目の前で客観的に見ることができました。
そういう環境に居合わせた者として、セントルイスの中は人種ではっきりと分かれているっていう感覚を、感じたまま書いた方がいいのかなと思いました。
だから不快になる方もいるかとは思いますが、敢えて「黒人」「白人」っていう単語を忖度せずに使います。
申し訳ありません。
殺害した白人警官の不起訴処分が決まった次の日、学校で授業が終わり校舎のオープンスペースで宿題をしていると、いつもとは異なる騒々しい音が入口からしてきました。
僕が通っていた学校には校内に交番があり、普段からパトカーが常駐していました。当然ですが学生を取り締まるためではありません。金持ちのご子息が集まる学校を犯罪者から守るためです。
だから学校関係者以外が校内に入ってくることは極めて稀です。
不審者はすぐに警察に職務質問されます。
そのため学校の中はいつもとっても平穏なんです!
でもこの日は様子が違ってなんだか急にとっても騒々しくなりました!
そして黒人のデモ行進隊が校舎の中に入ってきました。
普段学校に貧しい人が行列をなして入ってくるなんてことは絶対にありません。
アメリカの私学大学って7割方はユダヤ人らしいです。
金持ちの家のご子息が多い。
貧乏暮らしをしている留学生はいるけど、貧困っていう印象では全くなくて、笑って話せるレベルです。
でもこのデモ行進の人たちの貧困は笑いにしていいと思えるものでは到底ありませんでした。貧しい上に、虐げられ、夢もないといった感じでした。
裾の端のほうが千切れて引きづっているジーパンを履いていて、コートもどこかしら破れている。シャワーも長らくしてないだろうなと容易に想像がつく見た目。怒りではなく悲痛な表情。そんな人が数百人もゆっくりと歩き、ずっと長い間虐げられてきた思いを叫んでいました。
去年から起こっている香港の民主化デモのような暴力的なものとは全く違って、ただただ悲しみや悔しさを心の底から唸っているといった感覚でした。
デモ行進は僕が座っていたソファーから5m前を通りました。
10分くらいかけて数百人の人が行進し、「Fair(公平)」とだけ静かな声で繰り返し合唱しながらただゆっくりと歩き去っていく光景でした。
先月ミネソタ州での警官による黒人殺害に対するデモがニューヨークで行われているのをニュースで見ましたが、複数の人種の方が参加していたと思います。
でもセントルイスでは参加者は100%黒人でした。
この町がアメリカの中でも他の町とは違い、完全に人種で分かれていることを感じました。実際に2年間住んでいる間に黒人と白人のカップルを見かけたのは3組だけです。
派手さは全くなく、静かな悲しさで地面が唸るようなデモでした。
次の日学校に行くと至る所に警官がいました。
デモを学校に受け入れないために徹底して警官が配置されていました。
学生をデモ守るっていう姿勢は正しいだろうし、僕自身も守られている身だったんですが、何かとてつもない違和感を感じました。
そして学校は黒人のデモをシャットアウトし、いつも通りに動いていました。
その日の夜10時ごろ、家で宿題をしていると外からデモ行進をしている声が聞こえてきました。
外の気温はマイナス10℃
マンションのベランダに出て様子を見てみました。
デモ行進隊の距離は1㎞くらい、
極寒の夜を破れた服で、ただFair(公平)とだけ言いながら歩いていました。
ベランダから見えなくなるまでの約3kmくらいをゆっくりと歩いていきました。
なんとも言えない悲痛な叫び!
例えれるものではないんですが、ピカソの「ゲルニカ」を見た時のような感覚で、痛々しい過去が目に見える人の一人一人にあったことを想像させられるような静かな叫び声でした。
少年が殺されて殺害した側になんのお咎めがなかったのは、彼らにとって他人事ではなかったんだと感じました。自分にも同じような思いをしたことがある。そう思わされる悲痛な叫びが、静かな声から聞こえてきました。
平等っていうのはとても難しいものなんだなっと思いました。
なんででしょう?
力のある人間は力のない人間を道具のように便利に使いたいからでしょうか。
歴史上差別がない時代なんてない。
人間に平等は達成できないことなのかもしれない。
何百年も続いている人種差別というものを目の前にして、そんな風に感じた出来事でした。
(トップ画像は無料画像サイト https://pixabay.com/ja/ より引用)
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