井の中の蛙、大海を知る。|日々呟き
高校生時代の学校祭の動画を見た。
今日は実家に帰っています。ふと高校時代の文化祭・学校祭の動画が見たくなり、もう1,2年くらい開けていなかったであろう本棚からDVDを取り出しました。本棚を開けた時、あの頃のちょっとだけ古臭い匂いがして、まるであの頃の思い出が空気とともにしまってあるようでした。
記憶ってどんなに楽しい思い出でも時間が経つと忘れてしまうんですね。高校3年生の時、学校祭では、応援合戦で優勝、総合で準優勝、そのほかにもさまざまな賞を総舐めし、2,3ヶ月余韻に慕ってたような気がします。(高校当時の頃を思い出すとめっちゃうざいやつ笑)
今ではすごく大人しい性格として、みんなには見られていますが、熱くなると痛いくらいに性格が変態化するタイプなんです。加えて、動画に映るのが好きだったので、学校祭に移っている自分はめちゃくちゃテンション高くてカメラ写りたがりなお調子者でした。見ていて恥ずかしい。。
成長するにつれて現実を知っていくんだなと思いました。まさに井の中の蛙大海を知らずってやつですね。今は大きな海原に出て、自分より早い蛙や見たこともない生き物に恐れおののいたり、騙されたり。
蛙だった僕。
蛙だった僕は、大きな海に出て、気づいたことがありました。井戸の中も一つの世界であったこと。
世界にはさまざまな人が生きています。しかし、全ての人は共存できていません。人種差別や経済格差、宗教の違いによる弾圧。世界はみんなが幸せに生きられているわけではないのです。
でもこれは、海だけの問題ではありませんでした。井の中にもその世界はありました。
部活動によって能力を、学力で知能を、友達の数でコミュ力を、人それぞれ見ていました。そんなめちゃくちゃ差別があったわけではないけれど、そんな雰囲気とか、空気感があった気がします。
そこには海と似たような縮図が存在した。僕にはそう感じられました。海ではその酷さは度を増しています。
大海は知らず、されど空の青さを知る。
世界に広がる光景が身近にも広がっている。これは悲しい出来事ばかりではありません。
学校祭のDVDで見たのは、そんな断絶された人々が繋がっている姿でした。学校祭では、団の力が結束されなければ優勝はできません。しかも、僕の母校では、体育系と文化系どちらの力も必要でした。
いわゆる体育バカは自分たちが頑張るだけでは優勝できない。芸術的センスのある人に、力を借りる必要がある。同時に、文化系の人たちは、こういう時こそ力が発揮できる時でした。
閉会式で、入賞した団が発表されるたびに団のみんなはどのひとも笑顔で喜んでいました。普段の高校生活では全く混じり合わないような人同士が一緒になって喜んでいる姿。人と人が繋がり少しだけ幸せが訪れた瞬間なんじゃないかなって思いました。
もちろん、賞を取れなかった団ではそんなことは起きません。でも、一つの解決策が提示された光景に思えたのです。
まあホントただの気づきというか、拡大解釈なんですけど笑
高校生活は楽しかった。
なんか難しい話をしてしまったんですが、そんな高校生活を思い出して、あの頃って幸せだったなあ〜って耽っていました。バカみたいなこともしたし、真面目になっていた時もあった。後悔もあれば、満足したこともある。
どんな出来事も大切な思い出で、今の自分に活きていると感じます。
得意なこと、苦手なこと、好きなこと、嫌いなこと、全てが自分の過去に詰まっていて、その上に今の僕がいます。
僕の母校は今年、学校祭も、修学旅行も中止だそうです。あんなに楽しかった思い出が作れない高校生がいることが悲しくてたまりません。どうか、彼らなりの思い出の高校生活を作って欲しい。そして数年後、お酒を飲みながら、あの時は大変だったなって笑い合っていたらなって思います。
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